妄想のすすめ

2008-05-28 mercredi

月曜日。午前中、下川先生のお稽古。昼から部長会。そのあと3回生ゼミ。それから杖道のお稽古。
新人がたくさんいるので、たいへん楽しい。
帰宅後、ひさしぶりに帰郷したるんちゃんと歓談。
歓談しすぎて、二日酔い。
火曜日。朝、湊川神社で申し合わせ。盤渉楽。とりあえず間違えずに最後までゆくが、最初のうち身体が硬い。
着替えてから大学。ゼミ二つ。ゼミのあいまに原稿書き。
大学院ゼミは戦後世代論。
黒田くんの発表を聞いているうちに、カッキ的な世代論を思いつき、それをご披露する。
家に戻って、るんちゃんと近くのイタリアンで晩ご飯。
ワインのみつつ歓談。
昔話にふける。
震災のときの山手小学校の校長先生(たいへん立派な方であった)の話など。
家にもどってバカ映画を見る。
あまりにバカな映画だったので、タイトルを思い出せない。
るんちゃんに「読むべきマンガ・リスト」を作ってもらう。
ただちにアマゾンに発注。
最近のマンガ界の動きに疎いので、これでフォローする。
朝一で三宅先生のところに行き、帰りに下川先生のところに寄ってお稽古(これで三日連続)。
動きに「どっしり感」が足りないと叱られる。
しくしく。
汗まみれになって帰宅。シャワーを浴びて、着替えてから、午後に東京に帰るるんちゃんとお別れして、大学へ。
山折哲雄先生との対談のお仕事。
京都新聞の連載対談で、一回目が養老先生、二回目が田辺聖子さん、三回目が私。
さて、これはどういうラインアップなのでしょうね。
山折先生とお会いするのははじめてである。
自己紹介をしたあと、どうして私がこれまで日文研にかかわりがなかったのか山折先生に不思議がられる。
でも、私はこれまでまともな研究機関からはまるで相手にされなかった(今もあまり相手にされていない)人間である。
本を書くということと、アカデミアで「まともな学者」として遇されるということは別次元(ほとんど別宇宙)の話なのである。
今回の対談のテーマは格差論と身体性の教育。
山折先生とははじめてお会いするのに、どの論件についても意見がほとんど変わらない。
「ですよね〜」「そうだね」でとんとんと話が進んで、たいへん楽ちんである。
今日話した中で、個人的にいちばん面白かったのは、「妄想力」の話。
山折先生によると、若い学生たちは「黙想」ということができないそうである。
深呼吸や静座まではなんとかできる。
でも、眼を閉じて黙想するということができない。
薄眼をあけて、きょろきょろしてしまう。
黙って眼を閉じているという状態を持続できない。
どうしてなんだろう、というところから私の思考の暴走が始まった。
当今の若いひとたちは「妄想力が低下している」のではないか。
妄想というのは、眼を閉じて、「脳を暴走させる」ことである。
空想によって、そこにないものを見、そこにない音を聞き、そこにないものに触れ、そこにないものの匂いを嗅ぎ、そこにないものを味わう。
それが「妄想」である。
脳にはそれができる。
ところが、この妄想がうまくできない人が増えている(ような気がする)。
脳内で、擬似的な現実をリアルには再現することに困難を覚える人が増えている。
他人の頭の中であるから、実際に覗き込むわけにはゆかないけれど、なんとなくそういう感じがするのである
現に、どこでも空想に耽って忘我の境をさまよっている子どもというのをもう久しく見ていない。
携帯のゲームに没頭したり、マンガに没頭したり、iPodに没頭したりしている子どもは見るけれど、何も器具を用いないで、純粋に妄想に耽って忘我の境に遊んでいる子どもを、ほとんど見ない。
子供のころ、私は起きている時間の30%くらいは空想に耽っていた。
授業を聞いているときでも、教科書の挿絵や写真を見ているうちに、その「世界」に拉致されてしまうことがしばしばであった。
「キプチャク汗国」というようなインスパイアリングな文字を見るとたちまち空想に拉致された。
雪をいただくヒマラヤ、砂漠とオアシス、駱駝を引き連れた隊商たちから聞こえるトルコ風の音楽、皮の鎧と奇怪なかたちの巨大な武器、非人間的な筋肉を盛り上がらせた残忍なモンゴル兵、黒い肌をぬめぬめと光らせる半裸の奴隷女(できたらシビル・ダニングかダイアン・ソーンかステラ・スティーブンスで)・・・そういうものを想像せずにいることの方が私にはむずかしかった。
そして、想像が始まると、私は眼を宙に泳がせて、口を半開きにして、ぼおっとしていた(最後に出てきたシビル・ダニング風女奴隷の胸部のあたりに想像が固着していた可能性は高いが)
妄想の囚われ人となって、脳内で風景や音楽や手触りの細部を描き込んでいると時間はあっというまに過ぎる。
だから、私は授業に退屈しても、というか退屈しているときこそ、たいへんにおとなしい生徒であった。
そのようにして私の妄想力は初等中等教育を通じて涵養され、その結果、わずかな入力だけで、きわめてリアルな身体感覚を脳内で再現できるようになった。
そして、「強く念じたことは必ず実現する」という多田先生の教えのとおり、私が脳内で自分を主人公にして激しく繰り返し空想したことの多くは(驚くべきことに)実際に実現したのである。
少年時代から、私は大学の教壇で教えている自分の姿、武道の稽古をしている自分の姿、官能的なスタイルをしたヨーロッパの車を運転している自分の姿、美しい女性とたいへん愉快なことをしている自分の姿などなどを繰り返し想像した。
想像のもたらす現実変性能力は侮れない。
しかるに、今どきの人々はどちらかというと「取り越し苦労」的妄想を優先的になしているように思える。
「こんなことが起きたら厭だな」ということを選択的に想像する。
自分の嫌いな人間がやってきて、自分が聞きたくないことを言い、自分がされたくないことをする。
それをまず前件としておいて、それに「どう対処するか」を考える。
「最悪の場合に備えて」いるのだとご本人はおのれの先見性を言祝いでいるかもしれない。
けれど、「最悪の事態」をあらかじめ事細かに想像して、それにどう対処しようかということばかり考えている人の身には、「最悪の事態」が計ったように到来する。
そういうものである。
だって、「最悪の事態」が到来しなければ、それについて想像した「甲斐がない」からである。
だから、選択肢AとBを前にしたとき「最悪の事態を招く可能性が高い」方を無意識のうちに選択してしまうのである。
「一生結婚しないかも知れないから、手に職をつけておくわ」というようなことを若いときから繰り返し言っていた人はたいていの場合「手に職があってほんとうによかった」ということになるのである。
「年取ったときに、誰にも面倒みてもらえないかもしれないから、いまのうちから貯金しておく」というようなことを言っていた人は、「貯金があってほんとうによかった」ということになるのである。
だって、そうならないと「せっかく空想した甲斐がない」からである。
彼ら彼女らにも結婚のチャンスや、友人との相互支援組織を形成するチャンスは到来したのである。
けれども、彼らはそのつど、それが実現しないほうのオプションを選んだ。
自分の未来予測は「正しかった」という自負のもたらす快楽は、現実の不幸をしばしば凌駕する。
という話がどうして身体の教育(呼吸法や瞑想法や錬丹法)の必要に結びつくのかは、また長い話があるのだが、それは新聞で読んでください。
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