井上雄彦さんの仕事場を訪ねる。
BRUTUSの井上雄彦特集のためにツーショットを撮るのである(ということは、例によって「ハシモトさん・スズキさん」マターである)。
世田谷某所に「スラムダンクビル」がある。
タクシーで遠くから見て、「あれかな?」「いや、あれは学校でしょ」と話していたら、そこだった。
6階建ての自社ビル(というか自分ビル)で、その地階が体育館になっていて(もちろんバスケットをするため)、そこを今は仕事場にしておられる。
というのは、井上さんは週末から上野の森美術館で始まる個展のための作品をそこで描いているのである。
キャンパスの大きさが半端じゃないので、体育館に工事現場のような足場を組んでいる。
お仕事の手を休めて、ゆらりと立ち上がってこちらを向く。
「こんにちは」
おお、立ち姿に後光が差している。
ここ何日もきれぎれにしか寝ていないそうである。
しかし、その笑顔は透き通るようにさわやかである。
たぶん「そういう感じの人」ではないかと想像していたけれど、その人の手触りは、私の想像を超えて、暖かく、柔らかかった。
なるほど。
そういうものか。
そうだよ。
井上雄彦さんは『スラムダンク』、『バガボンド』、『リアル』で、文字通り「洛陽の紙価を高めた」天才漫画家である。
『スラムダンク』は「累計一億部」を超える日本出版史上の「事件」であった。
私が『バガボンド』に示された井上さんの武道的知見に深い敬意を抱いていることは、このブログに何度か言及しているので、みなさんもご存じのはずである。
『バガボンド』は私の武道指導上のもっとも言語化しにくいアイディアのいくつかを鮮やかに図像化してくれた。
小次郎と武蔵が「雪だるま」を斬るシーン。
伝七郎との決闘で無数のシミュレーションをしているうちに、いきなり間合いを切ってしまうシーン。
清十郎との決闘のときに、武蔵の脳内で柳生石舟齋と宝蔵院胤栄が「論争」をしているうちに、身体が自動的に動いて清十郎を斬撃するシーン。
これらはどれも私の「複素的身体」仮説と、「葛藤による居着きからの解放」仮説に深く通じている。
複素的身体仮説は身体的実感として納得しやすいし、画像的に見ても、きわめて「美しい」ので、それが理にかなったものであることはよくわかるはずである。
『バガボンド』24巻で、小次郎が棒きれを一閃させて雪だるまを斬るその鮮やかな動きを見て、武蔵はおのれの「居着き」に気づく。
「木も 風も 大地も ひとつのもの そうだった
刀が教えてくれるんだった
軽いっ
むずかしいぞ
でも
この棒きれですら
教えてくれるはず
耳を澄ますように
体を手放せ
(中略・ここは小次郎が邪魔して武蔵がムカッとするところ)
ぶらぶら
おお来た
これだ
指先に
ひっかかる
棒きれの確かな重み
うあ(うふっ)
何か
笑いがとまらねえ」
この「笑いが止まらねえ」のときの片手斬りは絵画史上、「片手斬り」を描いたすべての図像の中でもおそらく最高のバランスを達成している。
右手の伸び、舞うようにかざした左手、左の腰間に差した長剣の重みとの均衡のために踏み出した右足、目付、すべてが正中線の上に整っており、この姿勢によって、この場を領するすべてのエネルギーが細い棒きれの先端の幅コンマ何ミリのところに凝集されていることが知れるのである。
24巻末、蓮華王院での伝七郎との試合で、武蔵が無刀のまま伝七郎に突き当たる場面。これも見事としか言いようがない。
斬る武蔵、斬られる伝七郎の二人の身体が完璧なバランスで「二重奏」を奏でている。
武蔵はここで(幻想の)剣先にすべてのエネルギーを託して、左足の爪先が地面に軽く触れるだけで、、伝七郎に向かって泳ぐように身を投げ出している。
伝七郎は両踵を踏みしめて、両踵で武蔵のその凄まじい斬撃をまっすぐに、全身で受け止める。
伝七郎はおのれの命を差し出すことで、武蔵が「武蔵ひとりでは決して到成することのできない種類の力と美」を実現することを可能にしているのである。
斬り合いが「愛」のきわめて純度の高いかたちでありうるということをこの一シーンはみごとに表している。
武道的身体運用の極意が「世界との調和」にあることは、井上雄彦の画力によって、武道を知らない人にも理解が届く。
しかし、脳内で「二人の武神」が論争することで「居着き」を離れるという理合は言葉ではわかりにくい。
しかし、どのようなものであれ何らかの技芸を長期的・集中的に修業した経験のある人ならこのことは実感されているはずである。
人は単一のロールモデルが示す「すっきりした」プログラムに従って訓育されている限り、必ず技術的な限界にぶつかる。
必ずぶつかる。
それは「私」がプログラムの「意味」を理解したことによる限界である。
「このプログラムによって、私のこの資質、この潜在能力が開発され強化されるのだな」ということが「私にわかった」ときにプログラムの教育的効果は不意に限界に突き当たる。
どうしてかしらないけれど、そうなのだ。
たしかに引き続きそのプログラムで訓練しても、局所的な技術や部分的な能力は上がるだろう。
けれども、それは「檻の中でぶくぶく太ってゆく」ような膨満感しかもたらさない。
教育されることは本来教わるものに「のびやかな開放感」をもたらすはずである。
そのためには「私は私を教育するプログラムの意味や構造について完全に理解した」ということがあってはならないのである。
プログラムは私の「外部」に/でなければならない。
しかし、プログラムそのものは異論の余地なく「正しい」のである。
だから、それとは違う「もっと正しいプログラム」に乗り移ることは解決にはならない(同じことを繰り返すだけである)。
そうではなくて、この「正しいプログラム」に「正しいがゆえに居着いてしまった私」をそこから引き離すことが問題なのである。
「正しいプログラムへの居着き」は「間違っていない」のである。
けれども、そこに居着いては技術の向上が停止する。
「正しいこと」を「正しいから止める」ということは論理的には人間にはできない。
そこで、要請されるのが「同じ一つの正しいことを別の言葉で言う二人の師」である。
彼らは「同じ一つの正しいこと」を教えるのだが、使う言葉が違う。言い方が違う。
だから、教えられる方は「だから、何が言いたいんですか?」と困惑する。
けれども、この「不決断」は「正しい教え」の中での「揺らぎ」なのである。
いくら揺らいでも、絶対「誤答」に行き着く恐れのない、「どこに転んでも正解」という枠内で揺らいでいるのである。
このような揺らぎに身を委ねることで、私たちは「正しさへの居着き」から解き放たれる。
個人的なことを言えば、私には多田宏とエマニュエル・レヴィナスという二人のロールモデルがいる。
多田先生には植芝盛平と中村天風という二人のロールモデルがいた。
その植芝先生には武田惣角と出口王仁三郎という二人のロールモデルがいた。
これは偶然ではない。
技芸の伝承が教育的に機能するためには、そういう「かたち」が構造的に必要とされるのである。
だから、無二齋という「単独のロールモデル」から「石舟齋と胤栄」という「二人のロールモデル」にシフトすることで、武蔵が「プログラムへの居着き」から解放されるという理路が私にはわかる。
教育というものが効果的に機能するためには、「同じ一つのことを語る人間が二人いなければならない」。
同じことを昨日も書いたような気がするけれど、そういうことなのである。
井上雄彦さんはそのような意味で現代日本においてもっとも「教育的」なクリエイターであると私は思っている(ご本人はそんなことを言われたらびっくりするだろうけれど)。
今回は作品搬出の直前で時間がなく、井上さんに私の年来のレスペクトを告げるだけで終わってしまったけれど、いずれ機会があれば、絵について、身体について、教育について、長い時間をかけて話してみたい人である。
展覧会のご成功をお祈りしております。
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(2008-05-22 10:16)