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週末婚?

ゼミのお題は「週末婚」。
「しゅうまつこん」と聴いて「終末婚」という文字を思い浮かべた人もいた(臨終間際に永遠の愛を誓い合う男女・・・シュールだ)。
週日はばらばらに暮らして、週末だけいっしょに過ごす。
自分らしいライフスタイルは仮に配偶者であっても邪魔されたくないという欲求が見出したソリューションである。
なるほど。
発表した学生によると、週末婚実践者たちのブログをチェックすると、GW明けは男女問わず「配偶者と長くいたので、疲れた」という愚痴が書かれていたそうである。
疲れる理由は「自分のペースで生活できない」。「家事負担が増える」などなど。
要するに配偶者が「自分の生活」に関与してくるのをどのように抑止するかにみなさん心を砕かれているわけである。
そうですか。
でも、それなら結婚しなけりゃいいじゃないですか、とゼミの学生たちが一様に言う。
そうだね。
まあ、先方にもいろいろご事情というものがあるのであろう。
しかし、私が気になるのは、週末婚が夫婦のそれぞれがアクティヴな社会的活動に従事しており、高額の家賃を負担しても十分に単身で生活できる経済力を有しているという条件はかなり不安定なものではないかということである。
例えば、週末婚配偶者の一方が病気になったり、失職した場合に、他方の配偶者はこれにどう対応するのであろう。
「自分のペースを邪魔されたくない」から離れて結婚している人びとに、配偶者の看病をしたり、生活の面倒を見たりすることによって生じる「自分のペースの乱れ」は受容可能なのであろうか。
論理的には困難であろう。
ということは、週末婚は「強者カップル」においては可能だが、一方の配偶者が弱者になれば破綻の危機に瀕するということである。
私はいま「破綻の危機」というようなあいまいな言い方をしたけれど、実情は「弱者の切り捨て」ということである。
昔、あるインディペンデントな夫婦を知っていた。
夫婦それぞれ仕事を持ち、相当な年収を得て、お互いを束縛せずに、異性関係を含めてかなり自由に活動していた。
そういうのもありなのかしらと私は眺めていた。
その妻があるとき病気になった。
脳内出血で意識を失ったのである。
しばらく植物人間状態が続いたあと、夫は妻を実家に送り返した。
荷物みたいに。
お互いを束縛しない自由な夫婦というのも結構なことだと思う。
けれども、自分たちがその自由を満喫できるような条件が永遠に保証されているわけではないということは忘れない方がいい。
私たちは必ず年老い、病み、仕事を失い、心身の機能が低下する。
親族はそのようなときのための「安全保障」の装置である。
だから、私たちは自分の親族のうちに、幼児や老人や病人や障害者をフルメンバーとして受け容れている。
私たちはかつて幼児であり、いずれ老人になり、高い確率で病人や障害者になる。
そのときの「弱い私」をフルメンバーとして敬意を以て接してくれるような共同体を構築するために、「強い」ときに、持てるリソースの相当部分を彼らのために割くのである。
配偶者に自分と同程度の強さを要求し、配偶者が弱くあること(ひとりでは生計を立てられない、ひとりでは基礎的な家事ができない、ひとりでは寂しくて生きられないなどなど)を許さないというのは「親族の条件」を満たしていない。
結婚の誓言は「富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも」という条件を課している。
現に、富めるときや健やかなるときに私たちは親族を必要としない。
いくらでも友だちがおり、取り巻きがおり、どこでも歓迎されるからだ。
しかし、貧しいとき、病めるときには、かつての知友は知らない顔をして通り過ぎてゆき、どこの家のドアも開かない。
親族はそのようなrainy day のためのものである。
貧しいとき、病めるときでも、親族は見捨てない。
そのことを知っていたからこそ、さきほど例に挙げた夫は昏睡状態の妻をその「親族」に送り返したのである。
結婚の目的は親族の形成である。
結婚は快楽を増加するための享楽装置ではなく、最悪の事態を回避するための安全装置である。
私たちは今あまりに安全な社会に住んでいるために、親族が「生き延びるためのセーフティネット」であるという原事実を忘れている。
けれども私たちの「安全」はそれほど確かなものではない。
そのことを忘れない方がいい。

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コメント (29)

LINUS [TypeKey Profile Page]:

僕はゲイという特殊な性癖のため、結婚ができません。家族とは本当にありがたいもので、僕が大病したときも両親が(40にもなってまで)面倒みてくれました。一昨年から自立し、パートナーと「週末婚」なのですが、これには訳があります。パートナーのお母さまがご病気で、彼は一緒に住まざるを得ないのです。彼はお母かあさまにはカムアウトしていないから3人で暮らすというのは無理。お母さまを看取ってから「毎日婚」(なんかお線香の名前みたいだ)にする計画です。一緒に住むのも、ローン組むのも大変だし、税金は高いし、お互い仕事があるし、、、ストレートな人々は何故結婚しないのか不思議(ついでに子作りもしないのが、、)です(笑)。

イカフライ [TypeKey Profile Page]:

おれ、もうこのオッサン、スルーするわ。w

「弱者の切捨て」ぇ~?
いまになって何が弱者だよ。
おめえがいつも批判してきた相手じゃねえか、ぼけ。
あきれてものもいえねえよ、こいつ。
よほど鈍いか、厚顔か。

>結婚は快楽を増加するための享楽装置ではなく、最悪の事態を回避するための安全装置である。

だれが結婚を快楽装置だなんていってるんだ? おめえが勝手にそう思い込んでいるだけだろ。
このむっつりスケベーが。w
で、なに? おまえにとって結婚が安全装置なんだ。
この時代に何をいってんだ、おまえ。あほか?

knobuki [TypeKey Profile Page]:

教えはさまざまあれど、あらゆる種類の宗教に共通の使命は、寄る辺無き人に家族を用意することだと思います。

お互いが相手の幸せを願い、その実現に尽力しながらも見返りを求めることのない相手に感謝するとき、血の繋がらない赤の他人同士でも家族になれる。

先人は宗教を通じて、そのことを後世に伝えてきたのかもしれません。


WHEN I WAS LOST (THERE IS A NEW SONG)

When I was lost you came and rescued me
Reached down into the pit and lifted me
O Lord, such love: I was as far from you as I could be
You know all the things I've ever done
But Jesus' blood has cancelled every one
O Lord, such grace, to qualify me as your own

There is a new song in my mouth
There is a deep cry in my heart
A hymn of praise to Almighty God - hallelujah!
And now I stand firm on this Rock
My life is hidden now with Christ in God
The old has gone and the new has come - hallelujah!
Your love has lifted me

Now I have come into your family
For the Son of God has died for me
O Lord, such peace: I am as loved by you as I could be
In the full assurance of your love
Now with every confidence we come
O Lord, such joy to know that you delight in us

Many are the wonders you have done
Many are the things that you have planned
How beautiful the grace that gives to us all that we don't deserve
All that we cannot earn but is a gift of love

(Kate and Miles Simmonds 2001 Kingsway's Thankyou Music)

http://www.katesimmonds.com/bin/songnotes?action=view&songid=23

イカフライ [TypeKey Profile Page]:

おい、こら! 茶々=aikagami=knobuki!
このキチガイ野郎!
ハンドルネームをコロコロ変えて、同じ神経症の師匠に擦り寄るのは、いい加減...もっとやれ。(爆笑)
いずれにせよ、おまえ、おれに嫉妬もしくは敵愾心を抱いたのかもしれんが、
おれはおまえらのようなガイキチの仲間になる気はないぜ。
へへへのへ。
トーゴ失調&栄養失調のイカフライでございました。
ちゃんちゃん。♪

weezer [TypeKey Profile Page]:

弱者の面倒を見ることで自分が衰えた時の保障を手にする、という昔からの慣習はもう通用しなくなりつつあるのでしょうか。自分一人で生きて、精一杯金を貯めて老後の保障を手にするとか。こういう風潮が広まったら、そら年金制度や少子化対策は破綻しますわな。

gizza [TypeKey Profile Page]:

この手の「説教臭い」お話には、どうも素直にうなづけませんね。

「週末婚」というのは、大部分が企業の都合によるやむを得ざる別居状況であって、記事に出てくるような好きこのんでの別居はごく一部にしかすぎないのではないでしょうか。好きな人とは一緒にいたい、そんなのはそれこそ As time goes by. ですよ。

そういう特殊な例にやたら敏感に反応し、例のノスタルジーを噴出させて、いかにも「世の中全体がおかしくなっている」といいたてるのはちょっと、と思いますが。

あらまあ [TypeKey Profile Page]:

スルー、賛成。
コメント欄もスルー、大賛成。
ハンドルネーム複数使いやめようね、賛成。
言ってる本人もやってるようだけど、とに角賛成。

セーフティネットという言葉がなかった時代のほうが、
セーフティネットがしっかり張られていたような気がするけど。
セーフティネットの張り方を勉強すること、賛成。

KEN [TypeKey Profile Page]:

とても良い勉強になる素晴らしいエントリだと思います。

イカフライ [TypeKey Profile Page]:

“その妻があるとき病気になった。
脳内出血で意識を失ったのである。
しばらく植物人間状態が続いたあと、夫は妻を実家に送り返した。
荷物みたいに。”(内田樹)


↑このあたりの書き方が内田大先生の‘文学オンチ’をあらわしているんだよね。
なぜなら、最後の「荷物みたいに」という副詞句は、ふつう現場にいて事態に直面していなければ書けない描写だ。
「荷物みたいに」送り返したのか、あるいは、抱きしめあって「泣く泣く」送り返したのか、そこはよほどこの夫婦にかかわっていなければわからない。
だとすれば内田大先生の「荷物みたいに」という副詞句の背景にある思想とは、
植物人間になった妻を実家に送り返す行為は、「荷物みたい」に送り返す行為だ
という考え方の上に立っているとしか考えられない。
いや、そうじゃない。ほんとうに「荷物みたいに」つまり「物」みたいに送り返したんだ、
というならば根拠は「植物人間」=「物」という思い込みがどこかにあるからだろう。
いずれにしても硬直かつ単純な人間観が、いつも複雑な哲学的コメントの背後にあることが伺える。
言葉を教えている人がこんな不用意な文章を書いてはいけないのじゃないか。
そんなことをふと思う今日この頃でした。
まる。


イカフライ [TypeKey Profile Page]:

あ、おれトーゴー参謀じゃなくトーゴー失調なんで、おれの場合のトーゴーの失調形式としては、
スルーしてくださいといわれればスルーしないのよねえ。
スルーしないでくださいといわれればスルーするかも。
案外、スルーしないでくださいといわれれば素直に聞いたりして。(バク
あははは。いずれにしてもおまえらが何を望んでもムダだな。
それにふと思ったんだが、おれを嫌がっているのはおまえらだけで、
内田大先生は案外おれのコメントを楽しみにしているかも?
くくく。
なんだって?、それが真性のトーゴー失調の前駆症状なんだって?
こりゃ、また、失礼。
がちょ~ん。
おあと、よろしいようで。

Is [TypeKey Profile Page]:

内田先生

私はこの部分がどうしても先生が何をいわんとされているのか分らないので教えていただきたいのですが、


>親族はそのようなrainy day のためのものである。
貧しいとき、病めるときでも、親族は見捨てない。
そのことを知っていたからこそ、さきほど例に挙げた夫は昏睡状態の妻をその「親族」に送り返したのである。
結婚の目的は親族の形成である。


なんだかそれだと、パートナーが植物人間になったとたんに実家に「荷物みたいに」送り返した「彼」の行動は、妙に肯定されているように読み取れて、かなりの違和感があり、誰もそこをつっこまないことにも不思議であえて投稿いたしました。(実際にその彼の行為や判断が正しいと思っておられるわけですか???)


それから親族がセーフティネットっであるというのは、現実には従来の家父長制による「嫁」という女性立場ではあまり機能していませんよ。現在も結構そういう風土風潮は地方に残っていると思います。私の知人は農村の大家族に嫁いでから大けがをして、家事がまともにできなくなった時、エントリの彼と同様に一時期「実家に送り返され」ました。何もできなくて嫁ぎ先では気を遣って養生できないだろうというのが嫁ぎ先の舅や姑、小姑達の言い分でしたが、実家の両親は「嫁の具合がわるくなったら介抱してやるどころか、家事にも農作業にも使い物にならないと実家に送り返して来るとは情けない。我が娘がまる嫁ぎ先で家政婦かロボットのように扱われているなんて....。」と嘆いたそうです。

彼女の実家には彼女の兄夫婦が親と同居していましたし、そちらのお嫁さんにもけむたがられ、彼女はどちらにも身の置き場がなく辛かったと申しておりました。怪我が治り家事や農作業が出来るようになったら、また婚家に連れ戻されました。彼女は今、子育てをしながら大舅の介護と、それと休日になったら「子ども」を預けに来る義弟夫婦の横暴さに呆れています。
彼女には「自分の時間」など一切ありません。ぼろぼろになってます。

他にも、子どもができなくて跡継ぎが産めなくて離縁された女性など昔はたくさんいましたし、今も結構なまなましくありますよ。妻よりも自分の母親を大事にする亭主に「おまえの替わりは見つかるが、おれのおふくろの替わりはない」といって追い出した家のケースもうちの地域ではあります。

結局、親族のセーフティネットって、男性中心主義視点でしか全く機能してないと思いますよ。少なくとも結婚の時に交換される「女」、「嫁」立場には非常に不利にできていると思います。今も。結局、結婚は女には人権を認めていない。

そういう大前提をもとになら、内田先生の結婚はセーフティネット、安全装置論、たしかにとおると思いますが。

イカフライ [TypeKey Profile Page]:

>しかし、貧しいとき、病めるときには、かつての知友は知らない顔をして通り過ぎてゆき、どこの家のドアも開かない。
親族はそのようなrainy day のためのものである。
貧しいとき、病めるときでも、親族は見捨てない。
そのことを知っていたからこそ、さきほど例に挙げた夫は昏睡状態の妻をその「親族」に送り返したのである。
結婚の目的は親族の形成である。


↑いうことがいちいち分裂している。
ついこのあいだまでは、家庭なんてのは最低限のマナー(おはよう。お帰り。ごちそうさま)があればいい。
と言っていた方が、急に結婚の目的は親族の形成であり、しかも、その親族とやらは友から見捨てられたときに最後の受け皿になってくれるのだ、と。
世間知らずもはなはだしい。
大先生はいったいどんな浮世の生活をしてきたのか?
庶民の暮らしを知っているのか?
いまどきよほどの物心両面の余裕のある家族じゃなければだれが面倒なんかみてくれるものか。

わたしは東京で高齢者の一人住まいの方々の面倒をみる仕事に一度かかわったが、
それはそれはひどいものだった。
たくさんの孤独老人が二段ベッドの部屋で生活していた。東京都が無料で提供している施設だった。
ところがこの孤独老人が亡くなられたとき家族に伝えても、ほぼ100%が引き取りに来ない。
「勝手に処分してください」という。
んが、不思議なことに亡くなられたお年寄りの多くが畳の下などにわずかな年金などを少しずつ貯金していたりする。
そのことを告げると、
「勝手に処分」といっていた息子や娘が血相を変えてすっとんでくるのだった。
タンス預金のようなものを渡すと「もうほかにはなかったですか?」と
疑心暗鬼に尋ねてくる。
特殊なケースではない。それが二十五年以上前からの日本の「家族」「家庭」の変貌のひとつの側面だ。
ったく、この大先生はいったいこれまで世の中のどこを見てきたのか?
東大でしこたま金持ちのぼんぼんを相手にし、いまは神戸の頭はあまりよくないが金持ちでわがままなお嬢様を相手に教えている。
そういう世間しかしらないで、何が家庭ですか。家族ですか。
いい加減にしなさい! とトーゴー失調のぼくから申し上げておきます。


今回のエントリーは、「強い」状態にある人に向けて語られている言葉だと思われます。

>そのときの「弱い私」をフルメンバーとして敬意を以て接してくれるような共同体を構築するために、「強い」ときに、持てるリソースの相当部分を彼らのために割くのである。
>配偶者に自分と同程度の強さを要求し、配偶者が弱くあること(ひとりでは生計を立てられない、ひとりでは基礎的な家事ができない、ひとりでは寂しくて生きられないなどなど)を許さないというのは「親族の条件」を満たしていない。

強い状態にあるときには、共同体内の弱いメンバーを守り、支えるべきである。
情けは人のためならず。
強い人も初めは弱い人だったのだし、強い人もいずれ弱い人になる。
弱い親族を親族として認めないようでは、それは、親族の名に値しない。

★「強い人」よ、共同体内の「弱い人」のために尽くしなさい。

これが、今回、私が内田先生から受け取ったメッセージです。
共同体内の構成員が、手助けを必要としていないときは、「ハイホー(わたしはあなたにメッセージを送りました。聞こえてますか?)」でいいのです。

>★「強い人」よ、共同体内の「弱い人」のために尽くしなさい。

まったく同意です。補足すればお嬢さん学生の皆さんに向けたコメント。そんな簡単なこと(湧泉堂さん、ゴメン)すら読めないで批判した気になる恥ずかしさ(字あまり)。やっぱりね・・・。

イカフライ [TypeKey Profile Page]:

湧泉堂も「誤読知らず」も低脳丸出しだな。
「○○しないさい」なら幼稚園児にもいえることだ。
いまどき何をバカなことをいっているんだ。
町を歩いてみろ。
五十年も前から家々の戸や柱には、
「人類が永遠に平和でありますように」という張り紙がしてある。
スローガンとしてはこれで十分なんだ。
これ以上の言葉はもういらない。
大事なことは「何を」ではなく「どう」「いかに」の時代なんだ。
なーにが、
>★「強い人」よ、共同体内の「弱い人」のために尽くしなさい。だ。

そんなことは小学生でも知っているし、幼稚園児でも言える。
ばかばかしい。
それよりどうすればいいかが大事なんだ。うん? 低脳二人よ。言ってみろ。どうすればいいのだ?
強い人が弱い人のためになれる社会を到来させるには。
スローガンの連呼で、あとは酒を飲み、能書きを垂れ、弱者を踏み付けてればいいのか?
笹川競艇王だってもっとましなことをいっている。

おまえらひょっとして本物のバカ?


イカフライ [TypeKey Profile Page]:

湧泉堂も「誤読知らず」も内田大先生を擁護しているつもりで、じつは
辱めているだけかもしれないな。w
おまえら内田御大を援護するならきちっと論理的にも感性的にも鋭い分析を披露してみろ。
まるで芸能人おっかけみたいに、
「でも、あたしウッチャンのいうこと信じるわ」
「内田センセだーぃ好き」
程度の薄っぺらい嬌声を上げてんじゃねえよ。
それじゃ、
内田大先生がかわいそうすぎるだろう。
はたで見ていてもおまえら面汚しだよ。

ハイホー!
ヘイ、ブラザー!

イカフライさん、こんにちは!

たぶん、内田先生は、イカフライさんのコメントよりも、私のコメントの方が不愉快だと感じておられるはずです。

「こら!湧泉堂、俺が苦心して読者の心に響かせようとして書いた記事を、たった一行でまとめるな!」

スローガンを連呼するような硬直した思考を、内田先生は、好まないと思いますから。
ということで、イカフライさんの問いかけの答えは、内田先生の記事の中に書いてあると思うんですが。
わかりませんか?
わからないふりをしているだけですか?

ところで、イカフライさんのコメントについては、内田先生は嫌いじゃないと思いますよ。
だって、内田先生は、信念や思想信条の一貫性、論理的整合性などのために、『不愉快だ』と感じることを我慢するなんていうセンスの持ち主じゃないから。
イヤなら、ブログなんて止めてるでしょ。

コメント欄を読むときは、天文学者が天体を観察するような気持ちかも知れませんね(勝手な憶測でスミマセン)。
そういう意味では、イカフライさんは、非常に珍しい天体として、興味深く観察されているかも知れません。
私ごときは、きっと、ありふれた天体として、興味をもたれていないでしょう。
そう考えると、イカフライさんが、ちょっと羨ましいような気もします。
では!

>けれども私たちの「安全」はそれほど確かなものではない。/そのことを忘れない方がいい。

とすると、戦国時代の政略結婚は賢いひとつの結婚だったのかな。
じゃあ日米同盟を国際的な政略結婚と考えれば、もうお互い何歳? 
などと妄想にふけっているのは、結婚する前に相手を探す必要が、探す前に信頼できるセーフティー・ネットを作る人になれるのか(どんだけェ~)、とか恐ろしい現実界を忘れる努力が無意識につづけられているからに違いありません。。もういいや、同棲で(短絡)。

イカフライ [TypeKey Profile Page]:

湧泉堂さん、わたしは単純なことを言っているだけですよ。
人は、他人を教祖扱いしてはいけない。
これだけのことです。
あなたが内田さんを教祖扱いした時点で、知見はそこに限定され、いかなる広がりもありません。
それではほんとうの子弟の関係ではない。
真昼に庭の古い石を裏返したらゾウリムシなんかが群がって自足している光景をみることがあるでしょう。
あれです。
あなたがたは満足でしょうがその満足に浸っていればいかなる言説も無用。批判も無用。進展も無用。
ただ教祖のご宣託を待つばかり。
それならブログの必要はない。
人間が自分の頭で物を考える必要も無い。
領土を広げる必要もない。ただゾウリムシのように隠れて、
教祖のご宣託をまつばかり。
内田さんがまさか人が自分の考えで知見を伸ばすことを否定しているとは考えたくないですが
内田流のレヴィナス解釈は独特で、そのような神秘的なレヴィナス像を形作りつつある。
それがなんとも不気味です。

あらまあ [TypeKey Profile Page]:

何だかんだ言って、
内田レヴィナス論、熟読なさってるんですね。
「内田流のレヴィナス解釈は独特で、そのような神秘的なレヴィナス像を形作りつつある」
素晴らしい賛辞。
スルーしたくなる気持ち、分かります。

イカフライ [TypeKey Profile Page]:

「あらまあ」はわかっちゃいないなあ。
内田さんの思想は「田園調布」の思想なんだよ。
田園調布とか芦屋とかそのあたりの富裕層の感性にいちばんぴったりする物の味方、考え方を
やんわり、じんわりお広めなさっているんだな。
別に田園調布と限ったわけではないが、あのあたりの住人にとっては
日々テレビなどで見聞きする、老人医療問題で文句を言う人、
アスベスト被害で被害者ツラする人、正規雇用を認めないでぼろ儲けする企業を批判するニートたち、
すべては「被害者ツラ」した人たちにしか見えない。とにかく異次元の人々だからね。
しかし、かといって安泰に紅茶など飲みながらモーツアルトを聞きつつ
レヴィナスなどを紐解いていられるかというとそうでもない。
あ。ところで紅茶、モーツアルト、レヴィナス、これが今日、品のいい富裕層のたしなみね。(爆笑)
とはいうものの、
常に背後でそういう「被害者ツラ」の人たちになんか背中をつかれている後ろめたさがある。
そういう後ろめたさはまったく無用、悪いのはすべて「被害者ツラ」をした連中ないしは
「弱者ツラ」した連中。田園調布や芦屋に住むひとたちが何も気に病むことはないのです。
と、一生懸命、援護、擁護して、大企業・政府権力の精神を代弁、吹聴してくださるのが、
内田大先生なのです。

hiroshi [TypeKey Profile Page]:

田園調布の考え方だと思っているのだったら、もう何もいうことはないんじゃないでしょうか。

だってもしそうならあなたに向けてしゃべっていることは何一つないのだから。

だってそうでしょう。
犬は鳥に話しかけないですよね。

まあ、ほんとにそうなのかは分かりませんが。

bribribrizauemon [TypeKey Profile Page]:

しかしみんなよい人たちですよね。

もし、毎日したり顔で「キダタローはズラだ!」なんていい募る人がいたら僕なら相手にしません。

してしまった。

ぼくはいいひとかなあ~?

モコモコ [TypeKey Profile Page]:

そのヅラなしには、現在のキダタローではありえない可能性があります。とはいえ、そのヅラを手放しで肯定するのも説得力に欠けると思うのです。では、もっといいヅラを提示すればいいのかというと、話はそう簡単ではない。いいヅラとは、この場合どういうヅラなのか。タロー自身のこれまでの生活の総体においてそのヅラがどういう意味を持っているのか、それはおそらくタロー自身にすら明確に言語化できるものではなく、軽々に「ズラだ!」などと紋切り型の発言を、大して関心も持っていない人々の前で言い募ることは、タローとヅラ、にとって、なんの作用を持つのか…
疲れました。

ズラの人はハゲの人に「ハゲッ!」って悪口を言えるのでしょうか?

そして、ズラがハゲに「ハゲ!」と言い、ハゲがズラに「ハゲ!」と言った場合どちらがより罪深いのでしょうか?

誰か教えてください。

ポール [TypeKey Profile Page]:

>もし、毎日したり顔で「キダタローはズラだ!」なんていい募る人

「アスペルガー症候群」の症状に似ています。
つまりK.Yということです。

順天堂 [TypeKey Profile Page]:

言葉遣いの悪い人って、万が一、正しいことを仰っていたとしても、尊敬できません。まあ参考にはしますけどね。


田園調布でも芦屋でもないけど岡田山の麓の住人


■■■■■■■
まったくの蛇足:ハゲてる人をスキンヘッドとは呼ばないんですね。何冊か辞書を見て驚きました。剃り上げた頭でないとダメみたいです。
もっとも研究社の現代英和にいたってはskinheadは「戦闘的な保守主義的青年労働者(多くは短髪)」って書いてありますw。長髪でもスキンヘッドと呼んでOKなんですね、現代英和のばやいw。だからハゲでも思想信条によってはスキンヘッドOKってことですね。

ysformen [TypeKey Profile Page]:

安全な時代が結婚をシステムではなく飾りにしてしまった、という印象です。

多くの人は、やっぱり自身で酸いも甘いも経験してから学ぶんでしょうか。

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2008年05月14日 10:49 に投稿されたエントリーのページです。

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