六甲山から広島へ

2008-05-12 lundi

金曜日の教授会を途中で抜け出して、六甲セミナーハウスで基礎ゼミのフレッシュマン・キャンプ。
渡部先生のゼミとご一緒で総勢40名。
マニュアルができていて、ちゃんと食前の祈りも、讃美歌も、聖書朗読も、奨励もある。
私はこういうふうにきちんとしたプロトコルが整っていることはたいせつだと思う。
場を一気に圧倒するようなカリスマ的な人がいれば、できあいの儀礼に頼る必要はない(その人のふるまいそのものがプロトコル化するからである)。
しかし、われら常人にはそれほどの人間的迫力は望み難い。
だから、「かつて場を一気に圧倒した人が践んだ手順」を儀礼として再演するのである。
私はこの知恵を深いと思う。
焼き肉パーティ、礼拝とミーティングをさくさくと済ませて(ついでに長説教10分間。どうして私は説教をはじめると止めることができぬのであろう・・・)
別に学生たちを叱っての「説教」ではなく、語義通り「教えを説いて」いるのである。
諸君の中には大学生活を通じて、自己の能力を高めようとしている方がおられるやもしれぬ。
TOEICの点数を上げたいとか、ナントカ資格を取りたいとか、そういうことを目的にしている方もおられるやもしれぬ。
しかし、諸君、それは大きな誤解というものである。
諸君らひとりひとり個人の能力を高めることは高等教育のめざすところではない(おお、すごい断言)。
そうではなくて、私どもは「まわりにいるすべての人々の能力を高めるような人間」を育てることを教育の目的であると考えている。
そのような教育理念を掲げている大学はたぶん日本にウチしかない。
愛神愛隣とは実はそのことなのである(知らなかったでしょ)。
諸君が自己の能力を高める努力をされるのは結構である。
だがもし、その努力の報酬として「私は他人より自分は高いポジションに就くべきである」とか「他人より高い年収を得る資格がある」とか「他人から敬意を示されるべきである」というようなことを考えているのであれば、そのような能力開発は諸君を少しも幸福にしないし、諸君のまわりの人をも少しも幸福にしない。
諸君が自己の潜在可能性を開花させ、生きる知恵と力とを高めるのは、それによって「諸君の周囲にいる人々の可能性を開花させ、彼らの生きる知恵と力とを高める」ためである。
もし、諸君が「競争」という枠組みで努力をとらえていれば、諸君はいずれ「自分が優れていること」と「他人が劣っていること」が結果的には同一であることに気づくであろう。
それはつまり「自分の心身の能力を高める努力」と「他人を愚鈍で無能な状態のままにとどめおく努力」とが交換可能だということである。
そういうことになったとき、人間はその両方を同時に達成できるような方法を探し始めるものである。
論理の経済がそれを要請するからである。
だから、原理的に言えば、教育の場に「競争」という概念は決して持ち込んではならないのである。
本学がめざすのは「他者の能力を高め、他者に幸福をもたらす力」を涵養することである。
どうすれば、私たちの隣にたまたま居合わせたこの人々を、今よりもっとアクティヴで、もっとイノベーティヴで、もっとハッピーな状態にすることができるか。
それを思量することに優先的にリソースを備給する人間になりなさい。
とりあえず、諸君の今夜の任務は君たちの隣にたまたま居合わせた学友たちと夜を徹して仲良しになることである。
がんがん盛り上がってくれたまえ。
あまりに変テコな説教なので、学生たちは目を点にして「しーん」としている。
渡部先生とお部屋に戻って「琉球泡盛」を喫しつつ、沖縄はいいよね話からハイブラウな文学論、はては酔余の勢いで数学論など、頭がだんだんくるくるしてくるのであった。

翌朝、ソッコーで起きて、学生たちを渡部先生に託して、六甲山を下り、身支度を調えて、広島へ。
広島県合気道連盟主催の多田先生の講習会に駆けつける。
甲南合気会の諸君はすでに朝の9時から現地入りしている。
私が到着したのは11時半。
先生に遅参のお詫びをしてから、夕方までお稽古。
久しぶりに受け身をとったので、どろどろに汗をかく。
むかしは、これくらいの時間の稽古は何でもなかったのであるが、さすがに還暦も間近となると、学生さん相手にばしばし稽古していると、受け身から起き上がるのが億劫になる。
畳に臥せって、このまま寝ていたいと思うが、多田先生がときどき回ってきて、息も絶え絶えな私のありさまを見て「ウチダくんも修業が甘いな」と寂しげなお顔をされる(ように見えた)ので、泣く泣く起き上がる。
だが体力の限界はいかんともしがたく、必殺「説教責め」に作戦変更。
これは高段者だけに許された必殺技であり初心者はまねをしないように。
素直そうな顔つきの学生をつかまえて、二三本技をかけさせたあとに、おもむろに「あのね、ちょっといいかな」といかにも親切げに語りかけるのである。
とりあえず一つ二つ技術的な課題をお示しする。
もちろん口頭で指示されたくらいでいきなりできるなら誰も苦労はないわけで、当然、できない。
「う〜ん、こまったね。どうだろう、この辺をこうしてみちゃ」というような親切心をさらにお示しする。
すると、少しできるようになる。
学生よろこぶ。私もうれしい(口を開いている間だけでも休めるから)。

なんとか生きて夕方を迎え、ホテルにもどってシャワーを浴びてから、私とドクター佐藤、ウッキーは懇親会へ。残る諸君は大挙して「宴会」に繰り出す。
多田先生のお隣にぺたりと座って二時間、先生のお話を伺う。
先生とはお正月以来である。
ホテルまでお送りしてから、門人諸君の待つ宴会会場へ。
すでに全員「ヘベレケ」姉さん「ヘベレケ」兄さん状態になっている。
いったいわずか2時間余でどれほどの量を飲めばこうなるのか。
おそらく生ビールを一樽ほど干したのであろう。
懇親会組はちょっと飲み足りないので、二次会へ。
ここで発作的に「邪道」の昇段審査が行われる。
相変わらずウッキーがぶっちぎりで段位を上げてゆく。
この人は「寸暇を惜しんでイジワルをする」ということに天賦の才能を持っているのである。
ドクター佐藤やヒロスエもそれなりに「邪心」の芽生えはあるのだが、まだまだウッキーの水準には遠い。

翌日も朝から夕方までお稽古。
午後は剣と杖だったので、身体はだいぶ楽である。
お稽古を終えて、多田先生をお見送りしてから、いつものように広島駅の広島焼き屋で生ビールで乾杯。
めっちゃ美味しい。
さらにビールなど飲みつつ、新幹線で新神戸へ。
新大阪方面へ去る諸君と駅頭でお別れする。
合気道の稽古を長時間した後は、どうも別れ難い。
「一体感」が高まっているので、なんだか自分の身体の一部と別れるような不思議な寂しさがするのである。
みんな次の稽古が待ち遠しいような顔をしている。
身体の節々が痛むのに、私も次の稽古が待ち遠しい。
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