「平八」的なものについて

2008-05-07 mercredi

恒例の「美山町のコバヤシ家で山菜天ぷらを食べる会」に5、6日と出かける。
ノコさんに会う。
7、8年ぶりである。
ノコさんはコバヤシ家のオハギとともに、私の Ex-wife の中学高校時代のおともだちであり、私たちが九品仏にいたころ、すぐお隣に住んでいた。
どうして別れた妻の子ども時代の友人たちのご友誼を私が賜っているかについては説明するのが面倒なのであるが、私は基本的に「一度お友だちになった人とは、ずっと友だち」という人なのである。
世の中には引越をしたり、仕事を替えたりすると、それまでの人間関係をあっさりリセットしてしまう人間がいるけれど、私はそうではない。
みなでお茶しながら、「でね、あそこの家たいへんなのよ」「あら、そう。お嫁さんがそれじゃね」というような会話を延々と続ける。
もりあがったのは当然「ミヤタケ」の話である。
これは子細あって詳細にわたっては言及することができぬ。
考えてみると、私が節度なく「オバサン」化できるのはコバヤシ家の台所だけである。
私はそこで一年に一度だけ「完全にオバサン化した私」に出会う。
おそらく、すべての友人の分だけの数の「内田樹」が解離的に存在しており、私は定期的にそれを箱から取り出して、埃を払って、油を差して、また箱にしまうというようなことをしているのであろう。
ユキちゃんから「しめじ」をもらって、みなさまに別れを告げて、新緑の美山を後にする。

早めに帰ってきたのは、夕方から梅田で卒業生たちの集まりに呼ばれていたからである。
4日にサトウの結婚式で会った諸君よりも一学年上の諸君である。ほんとうは5日はこの3月に卒業したゼミ生たちの集まりがあったのであるが、これは美山とかぶったのでご無礼したのである。
梅田のニョッキというイタリアンでムラサキ、ヤブッチ、アイキ、ミハラさん、クボさんとご飯。ナミカワは腹痛で、ウイちゃんはフライトの都合で欠席(ゼミ生間の呼称を流用したが、どういう基準で敬称が付いたり消えたりするのかがよくわからない。おそらく無意識的な選別を行っているのであろう。ちなみに敬称が略されているのはいずれも「ゼミのダークサイド」と呼ばれた諸君である)。
ナミカワには一度ひどい目にあったことがあるので、腹痛で来ないのを幸い、とりあえずナミカワをサカナにする。
みなさんもOL4年目となり、ミハラさんはもうすぐ結婚して寿退社。ナミカワもムラサキもゴールが近いそうである。
ひとしきり仕事と結婚の話。
主に「お局さま」の弊害について。
若い女性たちばかりが集まっているので、ふつうなら「上司のバカオヤジ」の悪口で盛り上がるはずであるが、それが一つも出ない。
どういうわけか、どなたも「上司のオジサン」にはかわいがられているようである。
「50代、60代のオジサンたちには女学院ブランドがまだ効果あるんじゃないですか」と口々に言う。
そうかもしれない。
しかし、聴いているうちに、ふとそれは違うのではないかという気がしてきた。
というのは、同じ説明を20年前にも10年前にも聞いたことがあるからである。
20年前の「50代、60代のオジサン」たちは今は「70代、80代のオジイサン」たちである。
今の「50代60代のオジサン」たちは20年前には「30代、40代のオニイサン、オジサン」だったはずである。
その年回りの頃には「女学院ブランド」の意味がよくわからず、ある程度年を重ねて練れてくると「女学院ブランド」の風合いがわかってくるということではないのか。
その方が納得がゆく。
若いときは「仕事ができる」ということに焦点化して若い人を評価する。
個人の能力を見るのである。
しかし、長く集団で仕事をしてくると、「個人の能力」というのは単品ではあまり意味がないということがわかってくる。
「個人的には高い能力があるが、その人がそこにいると集団のパフォーマンスが下がる」という人がいる(けっこうたくさんいる)。
「個人的にはそれほど高い能力があるようには思えないが、その人がそこにいるだけでなんだかその場が明るくなり、集団のパフォーマンスが上がる人」がいる。
むろん、組織的なアクティヴィティを考えると、あきらかに後者の方が貢献度は高い。
そういう潜在能力を見抜く力は残念ながら若い人(特に自分は「仕事ができる」と思っている人間)には欠けている。
けれども場数を積んで50代くらいの管理職になると、どういうタイプの人間がほんとうに役に立つのかわかってくる。
意外かもしれないが、それは「後退戦を戦える人間」である。
黒澤明の『七人の侍』には勘兵衛(志村喬)と五郎兵衛(稲葉義男)が侍をリクルートする場面がある。
五郎兵衛は自分がみつけてきた「まきわり流を少々」という平八(千秋実)という侍をこう紹介する。
「腕はまず、中の下。しかし、正直な面白い男でな。その男と話していると気が開ける。苦しい時には重宝な男と思うが。」
野武士と戦う七人の侍をリクルートするときの原理は、現代の企業新入社員を採用するときのそれとそれほどには変わらない。
五郎兵衛の洞察は「苦しいとき」を想定して人事を起こしていることにある。
私たちは人を採用するとき、組織が「右肩上がり」に成長してゆく「晴天型モデル」を無意識のうちに前提にして、スキルや知識や資格の高いものを採用しようとする。
だが、これは前提が間違っている。
企業の経営をしたことのある人間なら誰でも知っていることだが、組織的な運動はその生存期間の過半を「悪天候」のうちで過ごすものである。
組織人の真価は後退戦においてこそよく発揮される。
勢いに乗って勝つことは難しいことではない。勝機に恵まれれば、小才のある人間なら誰でも勝てる。
しかし、敗退局面で適切な判断を下して、破局的崩壊を食い止め、生き延びることのできるものを生き延びさせ、救うべきものを救い出すことはきわめてむずかしい。
だから、組織が人を登用するときには、五郎兵衛がしたように「苦しいとき」においてその能力が際だつような人間をまず優先的に採用すべきなのである。
そういう人間的能力は見えにくい。
外形的評価では「まず、中の下」というところかも知れない。
「女学院ブランド」もそのあたりかも知れない。
平八が野武士の襲撃を待ちながら、長雨に降り込められていた気鬱な日に、にこにこと笑いながら「旗印」を縫っていたように、「正直な面白い女の子でね。その子と話しているとなんだか気がせいせいする。苦しい時には重宝な人材だと思うが・・・」という評価がおそらくは本学の就職力の高さを支えている。
どのようにしたら、そのような能力を選択的に強化できるのか。
それは繰り返し申し上げているように、岡田山とヴォーリズ設計の学舎が蔵している「場の力」なのである。
現代の高等教育機関のアドミニストレイターたちの中に、キャンパスのもつ「場の力」、とくにその中でも「学舎内における言葉の響き方」のもつ重要性をほんとうに理解している人はたぶんほとんどおられないであろう。
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