五輪の聖火リレーが火種になって各地でトラブルが起きている。
日本ではリレーの出発地に予定されていた善光寺が聖火リレーへの協力を断念した。
中国国内でも事件が起きた。
フランスで聖火リレーが妨害されたことに対する報復として、今度は中国各地でフランス系のスーパー、カルフールが「反仏デモ」に襲われている。
カルフールとウォルマートは(日本進出には成功しなかったが)、中国ではブリリアントな成功を収めた。
出店数第一位のカルフールは100店舗を展開しているので、中国人にとっていちばん「身近なフランス」である。
そこが標的になった。
自国主催のオリンピック大会への批判に、それに対する反対運動があった国(と関係があるもの)に対する攻撃を以て反撃する、というのはどう考えても無理筋である。
仮に中国で行われるのが「毛沢東生誕100年祭」とか、そういうドメスティックな趣旨のものであるならば、そういうナショナルな催しに対する批判にナショナルな暴力を以て報いるという選択は論理的には筋が通っている(愚かなことに変わりはないが)。
しかし、オリンピックは(実情はどうあれ、建前としては)「万民共生」を言祝ぐ祭典である。
「国境の隔たりを越えてアスリートたちが出会う」イベントを実現させるために「ナショナルな単位の間の共生不能」を言い立てるような政治的行動をとることはイベントの趣旨を否定することになるのではないか。
それは「世界の人々は愛し合いましょう」というイベントをやるために、「ここでイベントやるのに、お前ら邪魔だから出て行け」と言って、そこにいた人を殴りつけるのと同じように没論理的なふるまいである。
中国政府がこのような国民感情を「それなりに自然なもの」とみて、宥和的な態度を示しているのは、中国政府がオリンピックを「ナショナルな威信の発揚」の機会として捉えているからである。
しかし、国際社会における「威信」というのは大きな競技場を建てたり、高速道路を通したりすることによって担保されるものではない。
そこが開催するオリンピックの成功を「万人が願う」ような国際社会内部的なポジションにあることを「威信」と言うのである。
形式的にはオリンピックは実施され、運営上のトラブルも致命的なものは回避されるかも知れない。
けれども、このオリンピックの成功を心から願っていたせいで、このイベントをいつまでも記憶し、いつまでも語り継ぐような人々を中国以外に見出すことはきわめて困難であろう。
たしかに中国の軍事力や市場としての魅力のせいで、世界各国は中国に「強いことが言えない」立場にいる(日本もそうである)。
それを中国は「インターナショナルな威信」と取り違えた。
だが、実際にはそれは「威信」と呼べるようなものではない。
国際社会における「威信」は軍事力や経済力ではなく、文化的なもののクオリティの高さ、倫理的な筋目の通し方によって基礎づけられる。
今回の事件がここまで大きくなった背景にあるのはダライ・ラマ14世の「筋目の通し方」がみごとだったことである。
ダライ・ラマ14世は中国の周辺地域の政治指導者としてはきわめて例外的な人物である。
それは彼が中国とタフな政治的ネゴシエーションを演じたことによってではなく、「倫理的に正しい言葉」だけを選択的に語ってきたことによって確立したポジションである。
中国には55民族、1億4000万人の少数民族がいる。その55民族の政治指導者たちの中に、中国政府の指導者たちに匹敵するだけの国際的知名度を誇るものが何人いるだろうか。
私はダライ・ラマ14世の名しか知らない。
おおかたの日本人は私と同様であろう。
チベットにおける中国政府の軍事支配と漢族の経済・文化的支配の実情を私たちはよく知っている。
ニュースで繰り返し報道されているし、Seven years in Tibet のようなハリウッド映画で「学習」したからである。
少数民族の中でも小規模の人口270万人のチベットの弾圧については私たちには例外的に潤沢な情報が提供されているのに対して、例えば、チベットと似た境遇にある新彊ウイグル自治区(こちらは人口1900万人、中国の国土面積の17%を占めている「大国」である)における強権支配についてはほとんど何も知らされていない。
なぜか。
別にメディアが怠慢であるからだとは思わない。
おそらくは新彊ウイグルにはダライ・ラマ14世に相当するだけの「国際的知名度」をもった政治家がいないからである。
それは他の中国国内少数民族にとっても同じである。
どこの少数民族集団にも、すぐれた政治指導者はいるのだろう。けれども、私たちにはその人たちについてほとんど何のニュースも提供されていない。
私たちがその名と事績を熟知し、そのメッセージを繰り返し耳にする機会のある中国少数民族指導者はダライ・ラマ14世ひとりである。
ダライ・ラマ14世は、毛沢東、周恩来以来すべての中国指導者と五分で渡り合い、いまだに中国の「対抗者」のポジションにいる世界でただ一人の政治家である。
スターリンもフルシチョフもケネディもニクソンもネルーも蒋介石もスカルノもみんな死んだ。リー・クアン・ユーもマハティールも李登輝も現役を引退している。
その中にあって、ダライ・ラマ14世だけがただ一人現役の「中国のカウンターパート」として、つねに世界のメディアの注目を集めている。
繰り返すが、これはきわめて例外的なことである。
私たちはなんとなくダライ・ラマ14世というのを穏和で平和主義的な宗教家だと思っているけれど、この人は現存する政治家の中で「最長不倒距離」を誇るスーパーマンなのである。
その「恐ろしさ」をおそらく毛沢東や周恩来は早い時期に気づいた(59年にインドに逃げられたときに)。
それはずっと中国の政治指導者たちに申し送られてきた。
「ダライ・ラマには絶対気を許すなよ」
そして、申し送りが始まってから半世紀たって、オリンピック気分にまぎれて「ダライ・ラマには絶対気を許すなよ」という申し送りの緊急性が忘れられた頃に、ダライ・ラマはきっちりと「おとしまえ」をつけた。
私はそう思っている。
中国が国際社会で威信を失墜し、「チベット」ということばが連日世界中のメディアで繰り返し言及され、世界中の「人権派」たち「チベット支援」を熱く語るこの出来事こそ、ダライ・ラマ14世が待望していたものである。
ダライ・ラマ14世の主張はシンプルで、かつリーズナブなものである。
チベット亡命政府はチベットの完全独立を求めているわけではない。外交と国防は中国政府に委ね、それ以外の、宗教、文化、経済面におけるチベット人の「高度な自治」を求めている。
チベットは「中華人民共和国の枠内での高度な自治」を平和的に実現することを要求している。
というのがダライ・ラマ14世の提案である。
これ以外のソリューションはないだろうと私は思う。
でも、中国政府はこれを呑むことができずにいる。
これ以外にはないソリューションをどうして呑めないかというと、「中国政府が言わねばならぬこと」を先にダライ・ラマ14世に言われてしまったからである。
中国政府だって、「落としどころ」はこのあたりしかないことはわかっている。
でも、それを先にダライ・ラマに言われてしまったので、それに同意すると、「まるで中国政府がダライ・ラマの言いなりになったように見える」。
それが業腹なのである。
それともう一つ、チベットを「高度な自治」にできない理由として、チベットに入り込んだ漢人資本の「既得権益」を守るという、きわめて世俗的な理由がある。
「金の話」である。
ところが、これを中国政府は国際社会に向けてはおおっぴらには口に出せない。
「主権の問題では譲歩できるが、金の問題では譲歩できない」というような恥ずかしいことは口が裂けても言えない。
だから、困っているのである。
そして、このような窮状に追い詰められたのは、もとはといえばダライ・ラマ14世の方が「一枚役者が上」だったということなのだが、それを認めるのが厭なので、こわばってしまっているのである。
オリンピックがある程度の面目を保って行われるためには、中国政府は少なくともダライ・ラマ14世との「対話」に入ることだけは国際社会に向けて約束せざるを得ないだろう。
もちろん、それしかソリューションがないことは中国政府にだってわかっている。
だから、今水面下ではどこかの大国が仲介に入って、中国政府の顔が丸つぶれにならないようなタイミングをはかっている。
私はそう予測しているけれど、はたしてどうなるんでしょう。

コメント (8)
最終回『愚よ愚よ汝をイカに戦記』by 茶々 (あらかじめご注意申し上げておきますが、ここは本当に危険ですので、しばらくの間、善意の方以外は書き込みをしないでください。その理由を知りたい方は、宮崎駿のコミック版『風の谷のナウシカ』第7巻をどうぞ!)
え? もう終わりかよ。うん。
投稿者: 茶々
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2008年04月23日 09:17
日時: 2008年04月23日 09:17
このブログは「みんなまとめて、面倒みよう」です。
これイカのコメントは、全て面倒見られている。
少なくとも内田さんはそう思っているのじゃないか。
ほっておくのも手、たまにちょっかい出すのも手。
その気まぐれは論理とは関係ない、直感だと内田さんは
仰っている気がする。
これイカに。
投稿者: タコフライ
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2008年04月23日 11:17
日時: 2008年04月23日 11:17
なんちゅうか、いちいち反駁する気も失せるようなご発言ですな。
内田さんは政治や社会を語るのに向いているとは思われないな。漫画も無理。
もちろん、発言するのは自由だが。
あまりにも....。
投稿者: イカフライ
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2008年04月23日 22:35
日時: 2008年04月23日 22:35
いや、きょうはね、大阪から和歌山まで自転車で行ってきた。正確には和歌山の北、「磯ノ浦」という大阪地方では唯一のサーフポイントがあるところだが。
地元で自転車を買うのがもったいなくて二台ある自転車のうち、使っていなかった六段変速を自ら運んだってわけだ。
原付で大阪ー東京を二往復するなんてえ無謀なことを平気でするわたしのことだから、自転車で和歌山なんて朝飯前だった。もっとも五時間半かかったが。
帰りは電車。
で、内田先生のブログを見て、そのあまりもの暗さに唖然。
明るい暗いの「明るさ」がないし、また、「明晰」という意味での「明るさ」がない。
おれはこんなものを相手にまじめにコメントしていたのかと愕然とした。
こうやって春のサーフィンの準備を着々と進めているうちに少しずつ、まともとは何かに気がつきはじめている。
長い冬も終わって、いよいよ明るい季節の到来だ。
投稿者: イカフライ
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2008年04月23日 23:14
日時: 2008年04月23日 23:14
今まで間来長い間黙って読んできましたが、イカフライくん、もういいかげんウンザリです。できるだけ公平に見てきましたが、どうみてもあなたに部は無い。しつこすぎる。醜い。これ以上醜態を晒すのはあまりにも見苦しい行為です。そんなに嫌なら読まなければいいじゃないですか。去りなさい。あああああああ、見苦しい。情けない。恥ずかしい。さもしいヒトですね。
投稿者: イカキライ
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2008年04月24日 00:16
日時: 2008年04月24日 00:16
あのー、おっしゃることはよくわかりました。
ところで、漢字が....間違っています。w
>どうみてもあなたに部は無い。
ひょっとして「分」では?
投稿者: イカフライ
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2008年04月24日 00:23
日時: 2008年04月24日 00:23
今更「愕然」とはねえ。
でも、気づきはじめられたようなので、よかったな。
投稿者: あらまあ
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2008年04月24日 05:57
日時: 2008年04月24日 05:57
黙っていようと思っていたが、では仕方がない。いいましょうか。
内田さん、またしてもあなたのこの記事には現状認識への微妙なズレがある。それが洞察の齟齬からくるのか、あるいは意図的なものなのかは知らないが...。
まず冒頭。
>五輪の聖火リレーが火種になって各地でトラブルが起きている。
五輪の聖火リレーが火種になっているのではない。
火種になっているのは中国によるチベットへの弾圧です。
チベット人・民に対する中国の日常的な武力弾圧や言論弾圧、支配形態における弾圧。それらがすべての揉め事の火種になっているのです。
問題の在所をハッキリさせてから論を展開してもらわないとまるで聖火リレーやオリンピックが問題であるかのような錯誤にとらわれる人が出てこないとも限らないので。
>私たちがその名と事績を熟知し、そのメッセージを繰り返し耳にする機会のある中国少数民族指導者はダライ・ラマ14世ひとりである。
>この人は現存する政治家の中で「最長不倒距離」を誇るスーパーマンなのである。
またしても超人、偉人、ずば抜けた天才好きな内田センセーの本領発揮というところですが、ぜんぜん違いますな。
中国指導者が畏れたのはダライ・ラマという固有の指導者ではないとおもうのです。
よ~く、考えてみますと、
中国指導者が死ぬほど怖れたのはチベット仏教の純粋すぎるほど純粋な宗教にではないでしょうか。
チベット仏教の主要な宗派はニンマ派、カギュー派、サキャ派、ゲルク派の4つですが、カルマ(輪廻)を信じるかの地の人々はなかなか実利にはなびかない。
中国指導部それを怖れたのです。
よってその頭である者がだれであれ必ず生きていさえすれば名前がたとえ「ひいふうみいよう」であれ「へのへのもへの」であれ、いかに愚鈍であれ、いかに秀才であれ、ダライ・ラマというチベット仏教の象徴でさえあればだれしもが怖れたのは間違いないのです。
ダライ・ラマの指導者としての手腕の巧拙はここでは問われない。
間違ってもらっては困ります。
>おそらくは新彊ウイグルにはダライ・ラマ14世に相当するだけの「国際的知名度」をもった政治家がいないからである。
冗談じゃないすよ、内田先生。
新彊ウイグルの多数を占めるウィグル族はほぼ100%スンニー派のイスラム教徒です。
チベットのような聖域ともいる純粋仏教の地というより、むしろ柔軟性をかねそなえた慣行・範例宗教を背景にした民族の地です。
だからそれに見合って、弾圧のほうも控えめで済んだのでしょう。だから指導者が立つ必要がなかったのです。
しかし、ここでもしチベットのような弾圧があれば必ず、必然的に、宗教的象徴としての偉大な人物が登場するに決まっているのです。
それが宗教の怖さというものです。
ダライ・ラマの偉大さというよりも、チベット仏教の純粋さが世界をして震撼せしめているのですよ。
先生。
投稿者: イカフライ
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2008年04月24日 17:25
日時: 2008年04月24日 17:25