イベント続きの週末

2008-02-04 lundi

カレンダーを見ると、2月前半は「死のロード」が続く(後半も「ロード」なのだが、バリ島とか湯本温泉とか、行き先は「安楽死」傾向のところ)。
昨日3日が下川正謡会の新年会。本日4日から6日まで甲野先生の集中講義。5日が岡山で講演。7日が東京都庁で講演。8日が終日会議。9日が合気道のあと、養老先生と対談。10 日がENGINEの撮影と対談。11 日が取材二件。12 日が入試。13 日が会議と税務相談。14 日が修論審査。15 日が会議。16 日が合気道。17 日が例会。18 日が宴会。19 日が会議。バリ島出発まで用事のない日が一日もない。
その間に締め切りが4本。単行本のゲラが3個。
自己責任で引き受けた仕事であるから、今さら誰を恨むわけにもゆかないのだが、それにしてもまあずいぶんタイトなスケジュールだこと。
学期中は「本務がありますから」ということで学外の講演などはさくさくとお断りしているのだが、休み中だと「休みたいから」という理由では断れない(断ってもいいのだが、そう言って断ると相手はたいへん不機嫌になる)。
池上先生に「日本で一番不幸なひと」と命名されたのはゆえなきことではない。
はやくバリ島で昼寝がしたい。

2 日は三宅将喜くんの結婚式がリーガロイヤルである。
池上先生やモガミさんもおいでになるというので、物見遊山気分ででかける。結婚式によばれて、ただご飯を食べてお酒を飲んで帰ってくればよいというのは気楽なことである。
好事魔多し。
披露宴の前に、池上先生たちと懇談していたるとき、池上先生が私が飲み食いだけでスピーチが当たっていない楽勝体制であることを見咎め、ただちに三宅先生を呼び寄せ、「ウチダ先生にもスピーチをさせなさい」と厳命したのである。
三宅先生青ざめるが、師匠には逆らえず、披露宴のプログラムを急遽変更することになる。
「池上先生、今日の主賓ですよね? ご苦労さまなことです。僕は食べて飲むだけです。わはは、ははは」などとつい口走ったのが災いした。
私たちのテーブルは池上先生ご夫妻と吾朗さんに赤羽さんにモガミさん、K-1の武蔵さんとキックの森知行さんご兄弟とWBC世界チャンピオンの長谷川穂積さんという「たいへんに濃い」メンバーが集められた。
前列左から森知行(キックボクシング日本チャンピオン)、武蔵(K−1ジャパン)、長谷川穂積(WBCバンタム級世界王者)。
後列は私、池上六朗先生、池上吾朗さん。
武蔵さんから、リングに上がるときには「別人格」が憑依するから「ああいうこと」ができるのであって、素では「あんなこと」できないですというたいへん興味深い話を伺う。
格闘家には自己分析に優れた人が多い。
自分の中にあるさまざまな種類の「弱さ」についてのクールでリアルな省察がないと、たぶん「ああいうこと」はできないのであろう。
お三方ともたいへんウイットに富んだスピーチをする。
新郎新婦はずいぶんお若いカップルであったが、友人知人たちから愛され、信頼されていることがひしひしと伝わってくる、たいへん気分のよい披露宴であった。
三宅先生泣き続け。
みなさんどうぞお幸せに。
披露宴のあと、地下のセラーバーで池上先生ご一行と二次会。
昼過ぎから飲み続けなので、頭がぼおっとしてくる。
途中で橋本麻里さんとBRUTUSのスズキさんが登場。
どうやらBRUTUSの仕事を引き受けてしまったらしい。
さいわい池上先生がその場にいらしたので、もう少し先に予定していた『考える人』の次回のゲストを池上先生にお願いする。
また信州に遊びにゆきますねと約束して池上先生、モガミさんとお別れする。

明けて三日は下川正謡会新年会。
私の出番は素謡『正尊』の義経、『弱法師』のワキ。舞囃子『菊慈童』。それから地謡が『大原御幸』、『櫻川』、『雲林院』、『百萬』、『吉野天人』、『葵上』などなど朝から晩まで終日謡い続け。
盤捗楽は必死に稽古した甲斐あって、ノーミスでクリア。
やれやれ。
ドクター佐藤が進境著しい。
もともと「お醤油顔」のドクターであるので着物がよく似合うし、紋付袴できりりと「開き」を決めたときの格好がたいへんにつきづきしい。
よれよれになって家に戻ってから、季節の行事なので、パジャマ姿になってから節分の豆まき。
「福は〜うち、鬼は〜そと」という古めかしい節回しで家の中にマメを撒き散らす。
明日のお掃除がたいへん。
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