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モラルハザードの構造

興味深い記事を見た。
NHK記者ら三人がインサイダー情報による株取引容疑で取り調べを受けているという話である。
この三人は報道局のテレビニュース制作部記者、岐阜放送局の記者、水戸放送局のディレクター。三人の間に連絡を取り合った形跡はない。
それはつまりこのインサイダー取引が「自然発生的・同時多発的」にNHK内で行われたということである。
ということは、「このようなこと」が当該組織内ではごく日常的に行われていた蓋然性が高い。
不正利用されたのはある牛丼チェーンが回転ずしチェーンを合併するというもの。
3人はニュースの放送前にこれを知り、うち2人は「放送までの22分の間に専用端末で原稿を読み」回転ずしチェーンの株を購入。株価は一日で1720円から1774円に上がり、3人は翌日売り抜けて10-40万円の利益を得ていた。
この金額の「少なさ」が私にはこの不祥事の「日常性」をむしろ雄弁に物語っているように思われた。
もし、このインサイダー取引で1億とか2億とか儲けたという話なら、一サラリーマンが千載一遇の機会に遭遇して、ふと魔が差して、してはならないことに手を染めた・・・という解釈も成り立つが、NHKの職員がまさか10万やそこらで「人生を棒に振る」ようなリスクは犯すまい。
ということは、彼らにとってこれはごく日常的な「小遣い稼ぎ」であって、リスクを冒しているという感覚が欠如していたということを意味している。
ニュース原稿は放送前に約5000人のNHK職員が閲覧するそうである。
近年のNHKの不祥事の質を徴する限り、「こういうこと」をしているのが5000人のうちの3人だけであり、かつ今回だけであると信じる人はたぶん日本国民のうちに一人もいないだろう。
私はとくにNHK職員のモラルが世間一般のそれより低いとは考えていない。
たぶん彼らの非常識と非倫理性は「世間並み」であろうと思う。
だから、この事件は現代日本社会に瀰漫しているモラルハザードの構造を理解する格好の手がかりになるはずである。
この3人は取り調べを受けたときに、「え?どうして、こんなことで事情聴取されなきゃいけないの・・・」と不満顔をしただろうと思う。
いったい自分たちはどんな悪事をはたらいたというのか、彼らにはぴんと来なかったからである。
企業活動の変化を市場に先んじて察知した投資家が短期間に莫大な利益を得るというのは合法的な経済活動である。「どうやって知ったか」というようなことは副次的なことではないか、と。
彼らはそう考えたはずである。
だいたいインサイダーというのは、「インサイドにいることでアウトサイドの人間には手が出せない種類の利益を得ることのできる人間」という意味じゃないの?と。
たぶんそうだと思う。
私が興味をもつのは、この「インサイダーはアウトサイダーとの情報差を利用して金儲けをしてはいけない」という「常識」がたぶん彼らにはまるで身体化されていなかったということである。
彼らは「フェア」ということの意味を根本的に誤解しているのだと思う。
おそらく、彼らは子どもの頃から一生懸命勉強して、よい学校を出て、むずかしい入社試験を受けてNHKに採用された。
その過程で彼らは自分たちは「人に倍する努力」をしてきたと考えた。
だから、当然その努力に対して「人に倍する報酬」が保障されて然るべきだと考える。
合理的だ。
だが、「努力と成果は相関すべきである」というこの「合理的な」考え方がモラルハザードの根本原因であるという事実について私たちはもう少し警戒心を持った方がよいのではないか。
前にも書いたことだけれど、当代の「格差社会論」の基調は「努力に見合う成果」を要求するものである。
これは一見すると合理的な主張である。
けれども、「自分の努力と能力にふさわしい報酬を遅滞なく獲得すること」が100%正義であると主張する人々は、それと同時に「自分よりも努力もしていないし能力も劣る人間は、その怠慢と無能力にふさわしい社会的低位に格付けされるべきである」ということにも同意署名している。
おそらく、彼らは「勝ったものが獲得し、負けたものが失う」ことが「フェアネス」だと思っているのだろう。
しかし、それはあまりにも幼く視野狭窄的な考え方である。
人間社会というのは実際には「そういうふう」にはできていないからである。
何度も申し上げていることであるが、集団は「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援し扶助することで成立している。
これを「ノブレス・オブリージュ」などと言ってしまうと話が簡単になってしまうが、もっと複雑なのである。
「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援するのは、慈善が強者・富者の義務だからではない。
それが「自分自身」だからである。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」というのは『マタイ伝』22章39節の有名な聖句である。
それは「あなたの隣人」は「あなた自身」だからである。
私たちは誰であれかつて幼児であり、いずれ老人となる。いつかは病を患い、傷つき、高い確率で身体や精神に障害を負う。
そのような状態の人間は「アンダーアチーブする人間」であるから、それにふさわしい社会的低位に格付けされねばならず、彼らがかりにその努力や能力にふさわしからぬ過剰な資源配分を受けていたら、それを剥奪して、オーバーアチーブしている人間に傾斜配分すべきであり、それこそが「フェアネス」だという考え方をするということは、自分がアンダーアチーブメントの状態になる可能性を(つまり自分がかつて他者の支援なしには栄養をとることもできなかった幼児であった事実を、いずれ他者の介護なしには身動きもできなくなる老人になる可能性を)「勘定に入れ忘れている」からできるのである。
モラルハザードというのは「マルチ商法」に似ている。
自分はつねに「騙す側の人間」であり、決して「騙される側の人間」にはならないという前提に立てば、マルチ商法は合理的である。
騙される側の人間が無限に存在するという前提に立てばこの推論は正しい。
しかし、残念ながら、地球上に人間は無限にはいない。
どこかで地球上の全員が「騙す側の人間」になるというのがマルチ商法が禁忌とされる本来の理由である。
今回のようなモラルハザードは「ルールを愚直に守る人間たちが多数派である場所では、ルールを破る少数派は利益を得ることができる」という経験知に基づいている。
だから、ルール違反をした本人は彼以外の人々はできれば全員が「ルールを遵守すること」を望んでいる。
そうであればあるほど利益が大きいからである。
高速道路で渋滞しているときに、ルール違反をして路肩を走っているドライバーは「自分のようにふるまうドライバー」ができるだけいないことを切望する。
それと同じことである。
しかし、この事実こそがモラルハザードの存在論的陥穽なのである。
「自分のような人間」がこの世に存在しないことから利益を得ている人は、いずれ「自分のような人間」がこの世からひとりもいなくなることを願うようになるからである。
その願いはやがて「彼自身の消滅を求める呪い」となって彼自身に返ってくるであろう。
何度も申し上げていることであるが、もう一度言う。
道徳律というのはわかりやすいものである。
それは世の中が「自分のような人間」ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間になるということに尽くされる。
それが自分に祝福を贈るということである。
世の中が「自分のような人間」ばかりであったらたいへん住みにくくなるというタイプの人間は自分自身に呪いをかけているのである。
この世にはさまざまな種類の呪いがあるけれど、自分で自分にかけた呪いは誰にも解除することができない。
そのことを私たちは忘れがちなので、ここに大書するのである。


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2008年01月19日 09:27 に投稿されたエントリーのページです。

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