トレンドの終わり

2007-11-29 jeudi

ゼミ面接がようやく終わる。
延べ81名。
総合文化学科の2年生は220名であるので、その36.8%と集中的に面談したことになる。
たいへん疲れる仕事であるけれど、いまどきの二十歳の女子学生が「何を学びたいと思っているのか」を定点観測する機会としてこれにまさるものを想像することはむずかしい。
さて、そこでいったい女子学生たちは何を学びたいと思っているのかについて、この場を借りてご報告申し上げたいと思う。

一つは「ファッション」である。
なんだ、そんなことかと思われるかも知れない。
もちろんこれまでもゼミで「ファッションについて研究したい」と言ってきた学生は少なくない。
そして、私はこれまでそういう研究目標を上げた学生はほとんどゼミ選考で落としてきた。
それはそう言う彼女たちご自身が「ブランド」に身を包み、ファッションに身をやつしていたからである。
自分が現にそれを欲望している当のものについて、その欲望の由来と構造を研究するためには超絶的な知的アクロバシーが必要である。
「ファッションについて研究したい」という学生をばんばん落としてきたのは、「ファッション」というテーマがつまらないからではなく、そのように困難なテーマを自分が研究できると思っている自己評価の不適切さを咎めたのである。
ところが今回「ファッションを研究したい」と言ってきた学生たちは、これまでの学生たちとたたずまいが少し違っていた。
彼女たちは「イラついて」いたのである。
どうして女性誌を毎月全巻読破して、最新流行アイテムの記号的意味について習熟し、かつまた自分のコーディネイトの当否について同輩たちから朝夕に非妥協的な査定を受けなければならないのか、それについての「不満」が彼女たちのうちにはあきらかに鬱積しつつある。
どうして、「こんなこと」をしなければならないのか。
この「イラつき」の直接の引き金になったのは私見によれば「ファー」の流行である。
ご存じの方はまだ少ないであろうが、今年の秋冬の最新流行は「ファー」である。
毛皮の襟巻きですね。要するに。
これをくるくると首の回りに巻き付ける。
海外のセレブたちがこの襟巻きをしている写真が今年の春先から集中的に報道され、「今年の秋冬は毛皮の襟巻きが定番」ということが日本中の女子たちに刷り込まれた。
そして夏前にその情報を仕入れたファッション・リーダーを自任する女の子たちはいささかフライング気味にファーの着用に及んだのである。
今年の夏は暑かった。
10月も十分に暑かった。クーラーを入れた日があるほどである。
しかし、秋冬アイテムは10月になったらもう着用せねばならない。
ある日授業に行ったら、西日の差し込むくそ暑い教室で3人の学生が「毛皮の襟巻き」をして額からたらたらと脂汗を流していた。
「それ、暑くないかい」と私は気づかったのだが、彼女たちは苦しげに首を横に振った。
さすがに11月も末になると、このファッションもつきづきしいものとなったが、そこに至るまでの3週間ほど、ファッション・リーダーの女子たちは死ぬ思いをしたのである。おそらく首周りに「あせも」を作って苦しんだ学生も少なくないであろう。
この経験がおそらく彼女たちのうちの「探究心」に点火したのではないかと私は推察するのである。
「なぜこのような思いをしなければならないのか?」
そのわずかな怒気を含んだ「なぜ?」が、今年度のゼミ面接学生たちの「ファッションについて研究したい」という志望理由には含まれているように私には感じられた。
その中で繰り返し登場したのが本学の「真のファッション・リーダー」と目されているある三回生の話である。
聞くところでは、その彼女のモノクロ系コーディネイトは女性誌が定型化するものとはまったく違う、きわめて個性的でシックなものであり、彼女が廊下を通り過ぎるときに学生たちの間にはさざなみのようにひそやかなどよめきが広がるのだそうである。
CanCamやJJを読んで、そのとおりのコーディネイトをしてくる「ファッション・フォロワー」の学生たちは彼女のセンスに遠く及ばないと学生たちは断言していた。
そして、この「女性誌的定型化」を軽々と無視しながら、「ファッション・リーダー」の女の子たちを驚倒させるこの女子学生のセンスの良さをどれほど的確に評価できるかどうかが本学のファッション・リーダーの女の子たちにとっていまや「踏み絵」となっているのである。
「え? そんな人、うちにいた?」というような反応をする学生はもうその段階でペケなのである。
すごいね。
私はここに「ビジネス優先のファッション時代」の終焉のかすかな予兆を感知したのである。
まだ気づいたことはいくつかあるのだが、それはまた別の機会にご報告したいと思う。
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