兵庫県教職員組合の宝塚支部というところの「8・15反戦平和のつどい」という学習会にお招きいただいて、憲法の話をする。
教育現場からの依頼にはなるべく応えるようにしているので、この夏はそういう講演がいくつか続く。
講演のマクラは参院選の総括。
このあいだSightの取材のときに聞き込んだ「参院選は福田派と田中派の代理戦争である」というアイディアを展開する。
考えてみると、これは刻下の政局を解釈する上でなかなか適切な補助線のように思われる。
竹下派「七奉行」と称された経世会(=旧田中派)の後継者たちのうち、橋本龍太郎、小渕恵三、梶山静六を除く四人すなわち奥田敬和、小沢一郎、渡部恒三、羽田孜は民主党の創立メンバーである(七人のうちすでに四人が物故者であるが)。鳩山由紀夫も岡田克也ももとをただせば経世会出身であるから、民主党は旧田中派の「直系」と言うことができる。
つまり、今回の参院選は森・小泉・安倍と三代にわたって総理を輩出した清和会(旧・福田派)と経世会(旧・田中派)の、遠く遡れば福田赳夫、田中角栄の1972年の「角福戦争」以来の「遺恨」試合の最新の一幕として見ることができるということである。
福田派は日米同盟重視のグローバリストであり、田中=竹下派はアジア外交重視であり、「列島改造論」や「ふるさと創生」で知られるように「都市と地方の格差の解消」を最優先の政治課題に掲げていた。
小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と言ったときに標的にされていたのは、要するに族議員の仲介によって霞ヶ関と各業界をリンクした利権システムを完成させた「経世会的なもの」であった。
つまり、いま「二大政党」とよばれているものも実体は自民党のかつての「二大派閥」に他ならないということである。
だから、「政権交代可能な二大政党」とは、政策選択の幅が拡がったということではなく、自民党の二大派閥のどちらかを選ぶ以外に有権者に選択肢がなくなったということなのである。
善し悪しは別にして、それは日本の政治的選択肢がそれだけ狭く、かつ先鋭化してきたというふうにも解釈できる。
世界戦略的に言えば、「対米追随」か「アジア重視」かという二者択一であり、内政的に言えば、「市場原理の導入」(民営化、市場開放)か「親方日の丸・護送船団方式の再導入」(大きな政府、市場参入の制限)かという二者択一である。
90年代以来ひたすら突っ走ってきたグローバリゼーションの流れにブレーキがかかり、右すべきか左すべきか、日本人は今立ち止まって考えている。
今、外交的にはアメリカの軍事戦略に完全に組み込まれて、「アジアの孤児」となりつつある。国内における地域格差(地方切り捨て)も、非正規雇用者の「窮民化」問題も深刻さを増している。
おそらく、今の日本人が懐かしく求めているのは小泉純一郎=安倍晋三が弊履のごとく捨て去ったタケシタノボル的なものである。
「ま、アラファトさんにもアラファトさんのお立場というものがあるわな」というあの無原則主義である。
「ふるさと創生1億円」などというのは政策的にはまったく無意味であったけれど、おじいちゃんが年金をはたいて孫たちにわずかばかりの「お年玉」を上げるようなとんちんかんな、しかしそれなりにヒューマンな肌触りのものではあった。
旧・田中派的な政治を懐かしむ有権者たちは、安倍晋三が予感させる「新しいタイプの痛みと不安」よりもむしろあの「なじみ深い、手垢まみれの不満」のうちに回帰することを夢みているのではないか。
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(2007-08-16 09:15)