引越直前どたばたデイズ

2007-08-09 jeudi

またも日記の更新が遅れてしまった。
ご賢察のとおり、とっても忙しかったのである。
とりあえず備忘のために、この間の出来事を記しておく。
8月4日。朝4時に起きて、角川書店のゲラを直し、そのまま宅急便で送稿。10時から下川先生のお稽古。
12時から合気道の稽古。
AERA の取材陣が二人、新人が一人(志木道場の人で、亀井先輩のお弟子さんである)、見学者が二人、ミネソタから帰ってきたおいちゃんと、その教え子のヘンリー・シブリー高校のタヨちゃん・・・とたいへん賑やか。
そのままわが家にて新入生歓迎コンパ。途中からヤベッチとクーとを相手にコイバナと結婚バナ(もう10年くらいこればかりだ)。だんだん人だかりがしてくる。
○ロ○エがゲロを吐く。新歓コンパとしてはたいへん珍しい事態である。山手山荘蟹ゲロ事件以来、わが家の宴会では「飲むなら吐くな、吐くなら飲むな」ということが家訓として掲げられており、これ以後ヒ○ロ○はわが家においてはどぶ板(ないけど)を這って歩まねばならない。

全員が帰ったあと、脱力状態で『墨攻』を見る。
酒見賢一の原作である。
日本人の作家が造型した墨家の物語が漫画化されて、中国語に翻訳されて、ポピュラリティを獲得して、中国で実写版の映画になった。
これはたいへん可能性の低いことである。
非中国人が書いた中国人の物語はいくらもある。
けれども、それが中国語に翻訳されて、中国人に愛され、中国人自身が物語としてそれを「奪還」するということは希有のことである。
例えば、パール・バックの『大地』は非中国人が描いた中国人の物語であるが、『大地』を中国人が自身の物語として「奪還」するという事態は想像できない。

5日から7日までは恒例の7ヶ月に一度の「温泉麻雀」である。
二日酔いでふらふらしながら新幹線に乗る。
新横浜で兄ちゃんに拾ってもらって、いつもの箱根湯本吉池へ。
すでに平川くん、石川くんは到着している。
露天風呂に浸かって、真夏の青空を見上げる。降り注ぐ蝉しぐれ。
ようやく夏休みになった気分である。
風呂から上がってただちに戦闘開始。
音楽は全員持ち寄りのiPod。60年代ポップスがほとんど無限に続く。コニー・フランシス(Too many rules)、ヘイリー・ミルズ(『罠にかかったパパとママ』)、ミーナ(いんたれんたりるんな)などなどを全員が合唱。
この頃のポップスはほとんど漣健児が訳詞して、日本語カバーがなされていたのである。
日本語でカバーされた曲は子どもの記憶に深く刻まれ、リスナーはオリジナルとカバーの両方を等しく愛するようになる。
「日本語カバー」という習慣を失ってから外国の楽曲は私たちにとってただの「外国の楽曲」になった。
初日に親の役満を上がる(四暗刻自摸)。二日目に再び親の役満を上がる(大三元)。
大三元は(三枚目の白を「これはない!」と場に叩きつけて泣かせてくれた)兄ちゃんがついでに四七萬待ちの四萬に振り込んでくれた。
二日間の勝率は平川くんが圧勝の14戦7勝(勝率5割)。私は14戦4勝ながら、二回の役満が幸いして得点は210の第一位。
全員ぐったり疲れてお風呂にはいり、爆睡。
三日目の朝ご飯を食べておしゃべりしているときが、一番楽しい。あっというまに時間が経つ。
だったら、麻雀なんかしないでずっとおしゃべりをしていたらいいじゃないかと思うかもしれないが、そうではないのである。
十数時間、無言で(歌いながらだけど)麻雀をし続けたあとだからこそ、このおしゃべりタイムが濃密なのである。
どういうわけか母親と叔母が吉池に「乱入」してきたので、いっしょにコーヒーを飲んで、小田原まで兄に送ってもらう。
新幹線車中で『論座』の原稿を書く。
帰宅して引越し準備。
疲れたのでお風呂にはいり、小田原みやげの「かます」と「あじ」を肴にワインを飲む。
それから寝ころんで『武士の一分』を見る。
キムタクくんのくぐもった山形弁がよい。
この山田洋次の藤沢周平シリーズはどれも山形弁の鈍重さがかえって言葉を語る身体の厚みを感じさせる。
8日。三宅先生のところで治療。右腕の中心にときどき鈍い痛みがある。よく意味がわからない。
13時、日経の担当者たちがやってくる。一方的な連載打ち切り宣告について「わがまま言ってごめんなさい」と謝る。
「こだわり」とか「プリンシプル」とかいうのは、あまりない方がいいとつねづね申し上げているので、これはべつに「物書きとしてのプリンシプル」に基づいての行動ではない。
「こういうこと書くと、怒ってくる人がいますから、ちょっと書き方変えてください」というのは日常茶飯事である。
「怒ってくる人」というのはみなさん言わなくてもおわかりだろうけれど、「あの方」たちと「あの方」たちである。
日本広しと言いながら、出版に圧力をかけることができる方たちというのは実は二種類しかいないということである。
言われれば、私も「はいはい」と書き直す。
あの手の人たちが乱入してきては出版社の諸君だって仕事に障る。それは私の望むところではない。
けれども、見ているとだんだんこの「虎の尾」の表面積が出版人の主観の中では拡大しているような気がする。
「これもやばいんじゃないの?」「これも直しておいた方が無難?」というふうに「自主規制」の幅が無制限に拡がりつつあるように思える。
「尾」が存在するのは客観的事実であるが、「どこからどこまでが尾か」の判断は主観に委ねられている。
「尾」の主観的幅を「広めにとって、とりあえず安全をはかる」出版人と、「どこがぎりぎりのきわか見定めようとする」出版人の間には思っている以上の差が出る。
前者はしばしば「そこは『尾』じゃないところ」まで「尾」だと錯覚して、「尾」の面積を拡大する方向に(無意識に)棹さす。
それは「尾」を最小面積にまで切り縮めようと努力している人々にとっては「敵」である。
私が今回最終的に連載打ち切りを決めたのは「いかなる訂正要求にも応じない」というプリンシプルによるものではなく(そんなプリンシプルを私は持っていない)、「自主規制の範囲がこれ以上拡大してゆくことに対する出版人としての痛み」を「訂正要求」に感じることができなかったからである。
ミシマ社の『街場の中国論』のゲラでもミシマくんから「これ書き換えてもらえませんか」という訂正要求が入ったことがある。
私はにこやかに訂正に応じた。
街宣車が自由が丘の彼のオフィスの前に並んだりすると、立ち上げたばかりのミシマ社の未来に暗雲がたちこめるからである。
彼の言葉からは「そのような事態」を恐れなければならない出版者の非力に対する「痛み」が感じられたので私は訂正に応じたのである。
些細な違いのようだけれど、実は大きな差なのだと私は思っている。
15時、イタリアはパルマの武田さんが遊びに来る。パルマの生ハムご持参である。
お茶をしながら「おばさん的会話」を交わす。
17時、細川商店の細川さんが来る。新居で本棚の採寸と見積もり。
新しく6本本棚を入れることにする。これでたぶん定年で研究室の本が戻ってきても、なんとか収納できそうである。
家に戻り、引き続き引越し準備。
疲れたので、お風呂に入り、サラダと冷や奴を肴にエグッチにもらった「アジアビール」を飲む。
それから平川くんオススメの『フラガール』を見る。
『がんばっていきまっしょい』、『ウォーターボーイズ』、『スイングガール』と続くこの「(あまり才能がない)ふつうの子たちが、いい先生(実はあまり才能がない)に出会い、仲間と友情を深め、ブレークスルーを経験する」という物語群はいずれも教育というものの本質を鋭く衝いている。
教育とは煎じ詰めれば「そういうこと」だからである。
才能なんて、教える側にも教わる側にも、誰にもなくても大丈夫なのである。
それでも手順さえ間違えなければ才能はちゃんと開花する。
これらの映画はそのメッセージ性の明快において、21世紀版の『二十四の瞳』であり、『青い山脈』とみなすことができる。
日本人がみんな「こういう映画」を見て「ほんと、そうだよね」と思ってくれれば、教育再生会議なんか要らない。
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