奥州三昧ツァー

2007-06-11 lundi

菅原美喜子さんの主宰する多田塾奥州道場で多田先生の講習会があるので、岩手県までゆく。お供はいつものウッキー。
五月は広島の講習会に行き、全日本でお会いし、五月祭で説明演武を拝見して(帰りに赤門前のそば屋でおそばもごちそうになり)、奥州でもまる二日間。トータルすると、この一ヶ月のうち6日間多田先生とご一緒したことになる。
多田先生のそばにいると、心身四肢五臓六腑が細胞レベルから活性化してくる。
こういう感じを経験のない人に伝えるのはなかなか困難であるが、熱く細かい波動が先生から送られてくる。
これはその場にいる全員が感知してよいはずであるが、不思議なもので、あれほどはっきりした波動に触れながら、「感じない」人もやはりいる。
どういう人が感じ、どういう人が感じないのか。この区別がだんだんわかるようになってきた。
良導体の人は感じ、そうでない人は感じない。
「良導体」というのは、その波動を次のひとへできるだけ正確に「手渡す」ように受信する人のことである。
伝達するためには、あいだにはさまった自分自身の器の小ささや導体としての通りの悪さによって受けとったものを縮減したり、情報を「汚したり」しないように、とにかく透明感のある状態を維持することが必要である。
私自身について言えば、17年前、自由が丘道場を離れて関西に来てから、合気道の稽古時間は激減した。
けれども、合気道の理解は東京で集中的に稽古しているときよりもむしろ進んだ。
それは「伝えなければならない」相手ができたからである。
それまでは私自身が多田先生のメッセージの「エンド・ユーザー」であった。
先生のおっしゃることがうまく理解できなくても、それによって困るのは私一人である。
精進の不足はわが身一身の不出来で完結する。
いっそすがすがしいように聞こえるけれど、これはやはり修行の妨げになるマインドセットであったのである。
私の理解が足りないことによって、私がリレーする「次の人」が困る、という状況に立ち至ってはじめて、私はそれまでとまったく違う注意力をもって先生のお話を聴くようになった。
それまでは「これは、わかる。これはわからない」というふうに自分自身をスクリーンにして、「とりあえず、わかることからきちきちと片付けよう」というふうに稽古していた。
ところが弟子ができると、「これはわからない」と放っておくわけにはゆかない。
私には師匠がいるから、たとえ「わからない」ことでも、稽古のときに先生に言われるままに身体を動かしていれば、それなりに「何か」が身についた(はずである)。
けれども、私が「わからない」から「やらない」というスクリーニングをかけてしまうと、「それ」はもう次世代には継承されない。
弟子を持つというのは「わからないこと」でも次世代に伝えなければならないという切羽詰まったポジションに立つことである。
何しろ「よくわからないこと」を伝えるわけであるから、こちらも必死である。
自前のフレームワークに落とし込んではならない。それでは古諺にいう「寝台に合わせて足を切る」ことになる。
聴いたままを伝え、見たままの動きを再現しようとするしかない。
その状態が「良導体」というありようである。
そして、「エンドユーザー弟子」から「パッサー弟子」の立場に移行したときに、先生の送ってくる波動がいきなり「びりびり」と感じられるようになったのである。
考えてみれば当然のことである。
波動の本性は「伝播すること」である。
そこでデッドエンドであるような個体に波動を送ってもしかたがない。
先生の教えを独占しようとしていたときには伝わらなかった波動が、先生の教えを次にパスしなければと思ったときにはじめて烈しく私の身体を揺り動かし始めたのである。
「波動」ということばをつかったけれど、この「 」の中にはどんな言葉でも代入できる。
「愛」でもいい、「言葉」でもいい、「お金」でもいい。
この三つはレヴィ=ストロースが「コミュニケーションの三つのレベル」という言い方で指示したものだ。
親族、言語、経済活動。
それらの人間的諸活動はいずれも私たちに「良導体であれ」ということを指示している。
私たちが欲するものは、それを他人に与えることによってしか手に入れることができない。
人間はそのように構造化されている。
あるいは、そのように構造化されているものだけを「人間」と呼ぶのである。
二日間たっぷりお稽古してから、平泉のわんこそばを食べる。
お帰りになる多田先生と月窓寺の諸君を見送ってから、自由が丘道場の大田さんご夫妻とごいっしょに、平泉在住の小野寺親先輩のご案内で中尊寺に詣でる。
新緑の美しい中尊寺で金色堂を拝観。
夕方近かったので拝観者も少ない。さわやかな「霊気」が皮膚の肌理をとおして身体にしみこんでくる。
境内の古びた能楽堂では喜多流の会をやっていた。
能楽堂から響く謡が新緑の中に流れ出て、あたりに吸い込まれる。
謡というのは、ほんらいこういうふうに地面や空や木々にしみこむものなのだということが実感される。
菅原さん、小野寺さん、奥州道場のみなさん、ご歓待に感謝を申し上げます。また来年遊びにゆきますね。
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