ユニバーシティ・コン

2007-05-22 mardi

私立大学が競って薬学部を新設したのは数年前の話である。
女子の「実学志向」に照準した戦略である。
初期投資が巨額であるので、財政に余裕のある大きな学校法人しか参入できない。
このスケールメリットで小規模校(うちみたいな)をマーケットから駆逐する・・・という、身も蓋もない言い方をすれば「これからは大学も『金持ちが勝ち続けるゲーム』にさせていただきます」という宣言と私は受けとった(ちょっとひがみっぽいけど)。
でも、おおすじではそういうことである。
しかし、常々申し上げていることであるが、「集団の一定数だけがそれを行う場合には利益が多いが、閾値を超えると不利益の方が多い行動」というものが存在する。
たとえば、「放置してある物品はすぐに私物化する」という行動は、そういうことを行う人が一人だけで、ほかの人はそうしないという場合にはその一人にとってたいへん有利な戦略である。
しかし、みんながそういう行動を採用した場合には、私物を安定的な仕方で維持するためだけに膨大なコストがかかるので、そのような社会集団は生産に振り向けるリソースを削られて痩せ細ってゆく。
メディアが一時期煽ったDINKS(これももう死語だな)というのは夫婦が彼らの経済活動と快楽追求の障害となるはずの子どもを作らずに、「自己実現」に集中するライフスタイルのことである。
これも大半の人が子どもによって「自己実現」を妨害されている社会では相対的に有利な生き方であるが、みんながDINKSになった場合には遠からず生産者も消費者もあらかたいなくなってしまうので、経済活動も快楽追求も不可能になる。
「小利口」という種族がこの世には存在する。
自分のことを「みんながまた気づいてない『もうけ話』にいちはやくアクセスした人間」とみなしている人間のことである。
詐欺にかかるのはこのタイプである。
そして「小利口」な人々は世の中の構成員の過半が自分と同類の「小利口」であることを組織的に見落とす傾向がある。
何の話かというと薬学部の話である。
薬学部新設は大学にとっての「もうけ話」である。
それを行う大学がごく少数にとどまる限り、それは巨大なメリットをもたらす可能性がある。
「おお、それはうまい話だ。ではさっそく」
と腕まくりした大学経営者は「自分と同じように推論する大学経営者」が日本中にあまた存在するであろうという自明の事実を勘定に入れ忘れた。
薬学部を作れと大学経営者を煽ったのは外資系のコンサルである。
「これからは薬学部の時代。6年制なので、授業料も5割り増しでゲットできる」とあちこちの大学に「貴学のためだけのもうけ話」を売り込んで歩いた。
そして、実に多くの大学がそれにひっかかった。
だからこうなることは目に見えていたのである。
「こうなる」というのは薬学部の定員割れである。
そりゃ、そうでしょう。
10 年前に比べて薬学部薬学科の入学定員が実質2倍になったのである。
2006年度の入試で、11大学の薬学部で定員割れ。
今年度は未集計だが、この数字はもっと増えるであろう。
定員割れは歩留まり率の読み誤りという可能性もあるが、それも志願者急減の結果であることに違いはない。
すでに薬学部の存在が財政負担となって、よその大学に「お買い上げ」をお願いしている私学も出ている。
「もうけ話」を勧めて歩いたコンサルのみなさんはとっくに頬被りを決め込んで、また別の「もうけ話」を売り歩いている。
次は「芸術実技系」とか「スポーツ系」とか。場合によったら「伝統芸能系」とか「創作学科」とか「武道系」とか、そういうわりとコアな線を狙った新学部構想を持ち込んでくるかもしれない。
それに「乗る」大学もきっとわらわらと出てくるのであろう。
まあ、ビジネスの失敗は大学の自己責任であり、コンサルにいまさら愚痴を言っても始まらない。
というわけでこの事例を教訓に全国の大学人に申し上げたいことがある。
大学人は大学経営についてはシロートである。
シロートというのは「経営の専門家」であると自称する人間が「ほんもの」か「詐欺師」かを見分ける能力がない人である。
そして、「ほんものか詐欺師か見分ける能力のない人間」の前に「私はほんものです」と名乗って現れる人間は10中8,9詐欺師なのである。
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