No strings attached

2007-04-16 lundi

オークランドからバークレーに引っ越した町山智浩さんのポッドキャストを毎週楽しみにしている。
今週の Grind House の二本立て、タランティーノ監督の Death Proof の解説も面白かった。
話が横道にすぐ逸れるので、Death Proof の話になかなかたどりつかない。
町山さんが『映画秘宝』を創刊したのはもう10年くらい前だろうか。「読む雑誌がない」とひさしく嘆いていた私にとって『映画秘宝』はまさに干天の慈雨、砂漠にオアシスのような媒体であった。
私は文字通り貪るように不定期刊のムックを読み、そこでご推奨されている折り紙つきの「Z級バカ映画」を絨毯爆撃的に見続けた。
たしかにそれらはいずれもどうしようもないバカ映画・ゴミ映画であったが、そのどれにも探せば一掬の愛すべき点がある。
そのような「愛すべきバカ映画」に町山さんはつねに暖かいマナザシを注いでいた。
この「どんなゴミにも探せば愛すべき点がある」というアプローチは高橋源一郎さんや橋本治さんの批評的構えにも通じている。
しかし、ゴミの山から一粒の「よきもの」を探し当てるのはむずかしい。
そのためには、「救いのないゴミ」と「救いのあるゴミ」の微細な差異を感知できなければならないからだ。
映画がゴミになる理由はいくつかある。
フィルムメーカーが「ビンボー」であること、「偏差値が低い」こと、「変態」であることなどによってもたらされる「ゴミ性」は町山的基準からすればわりと「救いのあるゴミ」である。
ビンボーでバカで変態であるにもかかわらず(というより、だからこそ)映画を作る人間の映画(ジョン・ウォーターズの映画とかタラちゃん映画とかリュック・ベッソンの映画)には、たしかに「何か」がある。
うまく言えないけれど、「何か」がある。
その「何か」が何であるのかが知りたくて、ついゴミ映画を漁ってしまうのであるが、まだそれをうまく言葉にすることができない。
一方、フィルムメーカーが潤沢な資金を持ち、メディアを操作して、「政治的あるいは宗教的正しさ」の看板を掲げた上で「ゴミ」でしかないような映画もある。
そのような映画では監督だけでなく、脚本家も俳優もカメラマンもスタッフたちも、全員が「ゴミ」のような仕事しかしない。
誰もその映画を愛していないからである。
町山さんはおそらく「誰かに愛されている映画」と「誰にも愛されない映画」を批評的基準にしている。
そして、町山さん自身が「愛した映画」は全世界からゴミ扱いされていても、少なくとも世界に一人だけ愛する人がいたことで、「救われる」のである。
すごい。
ほとんどキリストみたいな人である。
そのような救世主的な批評実践をしている批評家はこれまでにいない(と思う)。
さて、その町山さんはTBSラジオ「コラムの花道」でもアメリカから生放送でトンデモ話を毎週している。
今週はアメリカの2ちゃんねる Craiglist の話だった。
抱腹絶倒の小咄(実話)なのであるが、その中で No strings attached (NSA) ということばが出てきた。
直訳すれば「ひもは付いてない」ということで、出会い系ネット用語では「あとくされなし」ということのようである。
ピュアにリアルにかつハードコアになさるだけで、個人情報開示とか「キミが好きになってしまった」とか、「奥さんと別れて」とか、そういうのはナシね、ということである。
「ひもつき」というのは本邦の語彙にもある。洋の東西を問わず考えることは同じだね。
そのあと、バカ映画(「ザ・センチネル」)を見て(これは救いのない方のバカ映画でした。マイケル・ダグラスはいい加減に「下半身トラブルで本業に支障をきたす男」の役を止めなさい。キーファー・サザーランドはいい加減に「妻とうまくいかないのでイラついているエージェント」の役は止めなさい)、あまりのつまらなさにげんなりして口直しにマルクスブラザースの古い映画『マルクス二挺拳銃』を取りだして観た。
いやあ、すがすがしいほどバカだなあと思ってみたら、こんなギャグがあった。
グルーチョ(このあいだ特典映像を見ていたら関係者が「グラウチョ」と発音していた。グラウチョ・マルクスでは気分が出ないなあ)がチコとハーポのバカ兄弟を騙そうとしてがらくたを売りつける。
バカ兄弟はグラウチョの言い値を1ドルに値切る。
そして10ドルを差し出して9ドルのお釣りを要求する。
グルーチョがもらった10ドル札をポケットに入れて、9ドルお釣りをチコに手渡すあいだに、ハーポがポケットの10ドルを盗み出す。
この10ドル札には「ひも」がついていて、ハーポがくいとひっぱるとグルーチョのポケットからするりと出てくるのである。
これを三回繰り返してグルーチョの身ぐるみを剥いでからバカ兄弟は逃げ出す。
そのあと、西部の荒野で金鉱堀りをしているバカ兄弟はある老人からその土地の権利書を買うことになる。
10ドルでいいよというので、ハーポがいつもの10ドルを差し出すとチコが制して「No strings attached」と言う。
おお、シンクロニシティ。
マルクス兄弟のギャグは「ことわざや慣用句をそのまま演じる」というものがあると映画の本で読んではいたが、どういうものかよくわからなかった。
今回はじめて「なるほど、これがそのマルクス・ギャグか」と納得した。
これもみな町山さんのおかげである。
せんきう。
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