ゼミ生のH瀬くんのお父上が亡くなったので、部長会を休んで西神中央に告別式にでかける。
昨夜ゼミ生たちにMLで回したけれど、急な話だし(こういうことはだいたい急な話なのだが)試験期間中ということもあって、参列したのはH井くんひとり(よく来てくれたね。ありがとう)。
学長からの生花が飾ってあり、学長と学科長から弔電が届いていた。形式的なことかも知れないけれど、こういう気づかいはやっぱりたいせつだと思う。
もう二ヶ月がんばってH瀬くんが卒業する姿を見たかっただろうけれど、詮無いことである。ご冥福を祈る。
芦屋まで戻って、携帯の電源を入れるとすぐに教務課長から電話。
神戸海星の校長先生たちがさきほどからお待ちです・・・
げ。
2時半に約束していたのだ。
時計を見るとすでに3時。
ひえ〜。
車を飛ばして大学へ。
1時間遅れで登場して、平身低頭してお詫びする。
8月の講演の打ち合わせである。
教務課の諸君がコーヒーやケーキを出して、女学院のカレンダーなどを差し上げて部長の失態をカバーすべく必死に応接してくださったようである(ありがとね)。
神戸海星は亡き川崎ヒロ子さん(弱雀小僧の愛妻)の母校で、お勤め先であったし、本学の山内祥史学長が退職後学長をされていた因縁浅からぬ学校である。
私の許されざる遅延にキリスト者らしいにこやかな赦しの笑みをもって応じてくださった。
お二人とも私の本をお読みくださっているということなので、お詫びのしるしに本棚からお好きな本をお持ち下さいと申し上げたら、森田校長先生は『他者を死者』を、もうお一人の堀内先生は『九条どうでしょう』をお選びになったので、さらさらとネコマンガを描く。
渋いチョイスですね。
にわか雨が降ってきたので、車で芦屋川までお送りする。
家に戻ってやれやれと喪服を脱いでいたら、携帯がぴーぴー鳴る。
げ。
下川先生のお稽古日だった。
これも忘れていた。
ソッコーで御影へ。
着いたら、飯田先生が『胡蝶』の舞囃子のお稽古の最中。
帯刀さんの『藤戸』と大西さんの『船弁慶』の地謡をつけてから、大西さんと新年会の『花筐』(「はながたみ」と読むのだよ)の素謡のお稽古をして、みなさんがお帰りになってから8時まで『鶴亀』の舞囃子の稽古。
家に戻ると8時半。
「げ」の多い一日であった。
アマゾンから『北京の55日』が届いている。
伊丹十三が柴五郎中佐を演じているのである。
この映画に出演することになった経緯については伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』に詳しいが、映画のギャラで「ジャギュア」を買ったという話だけが印象に残っていて、彼が演じた柴五郎という人物については何もコメントしていなかったように思う。
これから映画を見て、伊丹十三の柴五郎理解について考えてみたい。
そういえば、今日、芦屋と西神中央への往復のあいだずっと村上兵衛の『守城の人』(柴五郎の伝記)を読んでいたのである。
柴五郎は陸軍幼年学校の第一世代であり、村上兵衛は陸軍幼年学校最後の生徒である。
村上兵衛は谷川雁とともに吉本隆明の『試行』の最初期の執筆者の一人であった。
『自立の思想的拠点』から『守城の人』まで、40年かかって私は16歳のときと同じところに還ってきたようである。
「進歩がない」と言うべきなのか、「三つ子の魂百まで」と言うべきなのか。
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(2007-01-22 23:03)