それではみなさんまた九月に

2006-08-22 mardi

いよいよ明日からフランス。
出発前に「年末進行」状態で二ヶ月分の連載原稿を書いたので、よれよれになってしまった。
渡仏前に渡すはずだった講談社のニート本も書き上がらず、フランスへ持ち越し。
となると、『街場の中国論』はどうなるのか(M島くんの泣き顔が・・・)。
9月末締め切りの論文がたしかあったはずだが、それはいつ書けばよろしいのか。
さまざまな不確定要素をひきずりつつ、とりあえずは飛行機に乗ることにする。
フランス滞在中はブルーノくんが到着から出発までほとんど全日程フルアテンダンスしてくれることになっている。
ブルーノくんはご承知のとおり、パリで巡査をしているビゾンタン(ブザンソン人)なので、パリでもブザンソンでも彼がいれば無敵である。
パリにはジローくんも先乗りしている。
またパリのカフェで彼と昼酒をしながら、よしなしおしゃべりをすることになる。
誰かゼミ生も来ていたはずだ(イセカナだったかな、違うか?)。
「パリの岡田山化」というか、「ルーティン化」が進行しつつある。
私は「いつもとおんなじ生活」のうちに極上の楽しみを見出す人間なので、これでよいのである。
荷造りをするときにいつも考え込むのがどんな本を持ってゆくかである。
3週間であるし、移動時間もけっこう長いのでそれなりの用意が必要である。
途中で活字が切れると「活字禁断状態」になる。
その場合はフランス語の本を買って読めばよいのであるが、フランス語の本は読んでいるうちにすぐ眠ってしまい、目覚めるとそれまで読んでいた内容をすべて忘れてしまうのが難点である。
今回持参するのはメルヴィルの『白鯨』。
あと、『徒然草』と『移動祝祭日』と『東洋的な見方』
『白鯨』がメイン。ときどき吉田兼好を読んでへらへら笑って、パリの街を歩くときはヘミングウェイを読み、ブルーノくんたちを相手に武道ネタでえらそうなことをしゃべるときのネタは鈴木大拙から仕込む。
仕事用に『大地の咆哮』と構造構成主義の本二冊。
フランスにゆくときはいつも忘れずに明治の人が書いたものを持ってゆくことにしている。
フランスの田舎町のホテルの一室で昼寝の友に泉鏡花なんか読んでいると、けっこういい感じである。
「明治の人」には私たちにはない種類の国際性があるような気がする。
そのせいか、読んでいるうちに、なんか「よおし、オレだって日本人だ」的な気合いの入り方がするのである。
この二年間ろくにフランス語を話していないので、泥縄でフランス語会話の勉強をする。
「この花はあなたへのプレゼントです」「あら、そんなお気を使わなくてもよかったのに」
というような会話をMDで聴く。
そんな会話現地でするはずないんだけど。
ではみなさん、さようなら。
日記は9月14日まで三週間お休みです。
ばいばい。
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