死をめぐる二つの考察

2006-06-18 dimanche

ゼミが一つに会議が三つ。
ゼミのお題は「どうして人を殺してはいけないのか?」
むずかしい主題であり、「それはね・・・」と簡単に結論が出るような話ではない。
話は転々として解離性人格障害やコンラート・ローレンツの「狼の話」や秋田の小学生殺人事件などについてあれこれ語り合う。
興味深い指摘の一つは、「殺人事件は都会と田舎の中間で起きる」傾向である。
これは間違いない。
通り魔的、無動機的な殺人は都会で際だって見えるけれど、別に都会的な病症だとは思わない。
そういう病的なタイプの殺人者は一定の比率で必ず存在するのだから、分母が多い大都会で件数が多いの当たり前である。
だが、愛憎がわかちがたく絡み合って、それが出口を失って暴発・・・というタイプの誰の身にも起きそうな「年月かけて熟成された殺意」は都会では育ちにくい。
この種の殺意は、都会と田舎の中間に分布する「都市化されかけた(けれど決して都市にはならない)タイプの土地」を培養地として育つもののように思われる。
「ど田舎」ではあまりこういう事件は起きない。
そういう土地は共同性が濃密であり、集落全体が一種の「疑似家族」を形成している。
すべての個人情報が筒抜けである代償として、相互扶助・相互支援のネットワークが活発に機能している。
ひとりの脱落者も出ないように共同体的なセイフティネットが働いているということは、言い換えれば、社会的上昇によって共同体から抜け出す道も構造的にふさがれているということである。
ところが「ど田舎」と「都市」の中間部になると、「疑似家族的相互検察」機能だけは生きているが、「相互扶助・相互支援」機能は極端に低下する。
というのは、都市との接点を持ったときに、「市場経済と接触して、フローの現金をつかむチャンスを得た家」とそうでない家の間にあらわな階層差が生じるからである。
そこでは、「共同体から抜け出すこと」、「チャンスを求めて抜け駆けすること」と「社会的成功=金」がわかちがたく結びついている。
本来、社会的成功というのは単に「金がある」というかたちをとるだけのものではない。それは、社会的威信、質の高い情報へのアクセシビリティ、教養、社会関係資本などさまざまな形態をとり、それらの多くは外形的には認知できない。
だから、都市では「社会的上昇を遂げた」としても、それがただちに外形的に露呈することがない。というか、そういうことが外形的に露呈させないで済むというのが都市生活のメリットの一つなのである。
しかし、都市と田舎の中間部では、社会的成功の事実は必ず外形的に露出する。
というか、相互検察制度が生きている以上、わずかな社会的浮沈も絶えず外形的に申告することを強いられている。
それが結果的には必要以上の羨望や嫉妬を培養する。
個人情報が筒抜けである状態で、社会的な階層化が進行すれば、共同体は崩壊する。
社会的な階層化が避けがたい時は、必要以上の憎しみを育てないためにも、隣家との間にプライヴァシーの壁を構築しなければならない。
一軒の家に暮らす家族が貧しいなりに一つ釜の飯を分け合って生活している限り、そこに深刻なフリクションは生じない。
けれども、家族の中の一人が「オレの稼ぎはオレの好きにしていいだろう」とみんなが鰺の干物を囓っているときに、ひとりだけすき焼きを食べたり、自分の部屋にだけクーラーを付けたりしたら、家の中にはどす黒い憎悪が醸成される。
「オレの稼ぎ」を家族全員で均等にシェアするか、オレひとりで家を出るか、共同体を暴力から守るソリューションは二つしかない。
以前和歌山であった「カレー殺人事件」はたしか町内会の「夏祭りカラオケ大会」の場で起きた。
「カラオケ大会」という企画から分かるとおり、この町内にはもう伝統的な共同体儀礼は存在しない。
それはもうここには共同体成員間の自然で家族的な親しみは存在しないということである。
にもかかわらず、相互監視して抜け駆けを許さない「ムラ的な」自閉性だけは残っている。
だから、このいかにも擬似的な共同体儀礼の場で、「人には言えないような仕方で小ずるく市場経済と渡り合って個人資産を形成してきた一家」と周囲の間の憎悪が沸点にまで高まったというのは事理の平仄が合っていたのである。

土曜日は大阪の朝日カルチャーセンターで釈先生と「現代霊性論」のシリーズ三回目(このシリーズは去年の後期に大学の講義でやった話の続き。四月から六月まで大阪、七月に東京でやってとりあえず打ち上げ)。
喪の儀礼、死者とのコミュニケーションという重い問題を最後に取り上げる。
複式夢幻能という演劇形式が精神分析のセッションと同型的な構造を持っているということはよく指摘される。
前シテが分析主体(患者)で、ワキが分析家(医師)である。
ある「痕跡」をワキがみとがめて、そこに立ち止まる。
そして、「ここでいったい何が起きたのだろう?」という問いを発する。
その問いに呼応するように「影の薄い人間」(前シテ)が登場して、歌枕の来歴について説明を始める。
説明が続いているうちに、しだいに前シテは高揚してきて、やがて「ほんとうのことを言おうか?」というキーワードをワキに投げかける。
ワキがそれに応じると同時に舞台は一転して、「トラウマ的経験」が夢幻的に再演される。
後ジテが「死者」としてそのトラウマ的経験を語り、それをワキが黙って聴取することによってシテは「成仏」する(しない場合もある)。
「成仏」というのは要するに「症状の緩解」ということである。
能のこの構成はおそらく喪の儀礼の古代的形態を正しく伝えている。
そこには二人の登場人物が出てくる。
「痕跡」(症状)を見て、そこでかつて起きたこと(トラウマ的経験)をもう一度物語的に再演することを要請する生者。
その要請に応えて、その物語をもう一度生きる「死者」。
この物語は「演じるもの」と「見るもの」がそのようなトラウマ的事実があったということに合意署名することで完了する。
時間を遡行できない以上、その物語が事実であったかどうかを検証する審級は存在しない。
ということは、その物語は事実であっても嘘であっても、コンテンツは「どうでもいい」ということである。
手続きだけが重要なのだ。
それが「儀礼」ということである。
能の前シテが「影の薄い人物」であるということも重要である。
それはただの通りすがりの「誰でもいい人」(Mister Nobody) である。
あるいは、そんな人物はそこに通りがかりさえしなかったのかもしれない。
というのはほとんどの場合、ワキは長旅で疲れ果てて、人里離れたところで呆然と立ちつくしているところから物語は始まるからだ。
これは「入眠幻覚」にとって絶好の条件である。
前シテも、後ジテも、ワキが出会ったと思っている人はもしかするとはじめから最後までそこにはいなかったのである。
もしかすると、ワキは疲れ果てて短い夢を見ていただけなのかも知れない。
重要なのは、「それでよい」ということである。
むしろ、「そうでなければならない」ということである。
それが死者とのコミュニケーションの正統的なかたちなのだ。
たぶん死者が私たち生者に告げようとしているメッセージも、彼らが語る驚くべき物語も、生者が無意識的に構築したものなのである。
ラカンがただしく述べたように、分析においてもっとも活発に活動しているのは分析家の欲望だからである。
私たちは「自分の欲望」をつねに「死者からのメッセージ」というかたちで読む。
自分の欲望を「私はこんなことをしたいです」とストレートな文型で表白しても、そんなものには何のリアリティもありはしない。
そんなものは小学校の卒業文集の「将来なりたい人間」に書いた文章と同じように、私たちが自分自身についてどれほど貧しい想像力しか行使できないのかを教えてくれるだけである。
私自身の貧しい限界を超えるような仕方で「私の欲望」を解発するためには、どうあってもそれは「他者からのメッセージ」として聴き取られねばならない。
そして、あらゆる他者のうちでもっとも遂行性の強いメッセージは死者からのそれである。
「死者からのメッセージ」はその定義上「書き換え不能」だからである。
そして、「死者からのメッセージ」として読まれたときに「私の欲望」はその盤石の基礎づけを得ることになる。
ラカンはこう書いていた。

「言語活動において、私たちのメッセージは『他者』から私たちのもとに到来する。それも、逆転した仕方で」(dans le langage notre message nous vient de l’Autre, et pour l’énoncer jusqu’au bout : sous une forme inversée) Écrit I, Seuil, 1966, p.15

私たち自身の欲望の表明を、私たちは「他者」からの「謎のことば」として聴き出す。
それが「喪の儀礼」の本質構造である。
それは私たちが「自分のことば」をもってしては決して語ることのできない「私の欲望」を言語化する唯一のチャンスなのである。
喪の儀礼とは「死者は私たちに何を伝えたかったのだろう?」という問いを繰り返すことである。
そして、この問いこそが「私の欲望」を解錠し、私が私の限界を越えて生きることを可能にする決定的な鍵なのである。
人類が他の霊長類と別れるきっかけになったのは、たぶんこの問いが念頭に浮かんだその瞬間だからである。
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