9時半就寝。起きたら8時。
ずいぶんぐっすり眠ってしまった。
時差なしとはいえ、日本列島とは経度が違うので、体感的な時間差は1時間くらいある。だから、8時といってもまだ7時。カーテンを開けるとようやく夜明けのソウルの街をもう忙しく車が行き来している。
朝風呂に入ってからひとりゆるゆると街へ出る。学生諸君はもうてんでに観光や買い物にダッシュした後である。
今回のソウル・ツァーは卒業生の華ちゃんに会ってご挨拶するのと韓国の「空気を吸う」がメインの仕事だったので、一日目にして主要日程が終わったのであとは特にすることがない。
とりあえずさらにソウルの空気を吸うべく地下鉄に乗る。
地下鉄のシステムはだいたい日本と同じで、フランスのようなカフカ的不条理には巡り会わない。
最初に訪れた都市では、その都市の「根」に当たる部分にご挨拶をするというのが私のルールなので、景福宮(キョンボックン)を訪れることにする。
駅三(ヨクサム)駅の地下鉄の窓口で「キョンボックン」と告げるとちゃんと通じて切符を頂ける。1000ウォン。日本円で120円くらい。
景福宮(すごいね日本のワードは。「きょんぼっくん」と入力するとちゃんと「景福宮」と出てくる)の二つ手前の地下鉄の駅で降りて、ふらふらと歩き出す。
だいたいあっちの方角だろうと思って歩くと、なんだか浅草の仲見世のようなおみやげもの街に出る。
地図を見ると、ここは仁寺洞(「いんさどん」と打ち込むと・・・以下同様)。韓国の伝統工芸品の街であるらしい。
ひやかしながら歩いているうちに急速に腹が減ってきた。
学生諸君はスタバで朝ご飯を食べたらしいが、何もソウルまで来てスタバもないぜとあたりを見回して、目に入った韓国料理屋に入る。
メニューの写真を見て美味しそうなものを頼む。
出てきたものをガイドブックと照合すると、これは「ソルロンタン」というものである。
牛肉牛骨を煮込んだ煮えたぎった白濁したスープに牛肉と麺と葱が入っている。それにキムチとナムルとご飯。
美味である。
ぱくぱく。
すっかり暖まって満腹となる。
これで5500ウォン。700円くらい。
腹をゆすりながら景福宮に向かう。
ここは1996年まで朝鮮総督府の建物があったところで、それが撤去されてから、宮城らしい景観を回復したものである。
廷内の建物の多くが日本統治時代に失われて、かなりの部分が近年に考証にもとづいて再建されたいわば「ヴァーチャル旧跡」である。
「ヴァーチャルな旧跡」というのは形容矛盾のようであるが、ナショナル・アイデンティティというものが絶えざる「想像の共同体の再構築」というしかたで維持されるものであるとするならば、むしろ旧跡としては「正統的」なありようのものなのである。
景福宮の南で全景を遮っていた日本総督府の建物が96年に撤去されたので、宮城らしい姿をソウル市民の前に示してまだ10年しか経っていない。
入場料は3000ウォン。観光案内のトーキーを借りて、これが2000ウォン。
興礼門、勤政門をくぐると勤政殿(クンジョンジョン)がある。北京の紫禁城のややこぶりなモデルであるが、構図はまったく同一である。
勤政殿の前に文武官が整列するときの「正一品」から「従九品」までの石のめじるしがある。
従六品のところで「おお、ここがチャングムの・・・」としばし感慨に耽るが、知らない人には意味不明。
トーキーはたいへん流暢な日本語で解説がなされているが、ほとんどどのスポットについても、「ここにあった建物は日本統治時代に撤去され・・・」という説明がついているのが日本人観光客としては耳に痛い。
景福宮の各所では日本統治時代に破壊された建物の復旧作業が行われている。
日韓併合が日本の国家的存続にとって不可避の政治的選択であったのかどうかは(日韓併合がなされなかった場合の世界史を誰も知らない以上)誰にも論証はできないが、百年経ってもまだ日本支配の痕跡をすべて抹消せずにはおかないというところまで隣国の人々に屈辱感を与えるような統治形態しか選択肢がなかったという説明は説得力を持たないだろう。
なぜこの一衣帯水の隣国の民の国民的な誇りをそれほど踏みにじらなければならなかったのか。
対ロシアであれ、対米であれ、そのためのアジア諸民族の統合が喫緊であるときに、それが「日本化」でなければならないという理由はない。
たぶん、そのころの植民地官僚たちはそれは「日本化」ではなく端的に「近代化」だと思っていたのだろう。
その意味では彼らが「善意」のグローバリストだったという説明を私はしばらくは黙って聞いてもいい。
おのれの「善意」を信じていなければ、こんなひどいことはできないからである。
「善意」の人間しかできない種類の破壊がある。
そして、ほとんどの場合、自らの善意と開明性に確信を抱く人間の行う破壊がもっとも節度のないものとなる。
日本人はそのことを半島における植民地統治の失敗から学習したのであろうか。
いささか暗澹たる気持ちになって景福宮を後にする。
景福宮から西を望む
次は歩いて昌徳宮(ちゃんどっくん)に向かう。
途中で安国(あんぐん)から北に向かって、ソウル中央高校に寄ってみる。
ソウル中央高校は『冬ソナ』のユジンとチュンサンが通っていた高校のロケ地である。
高校の正門の左右はドラマの通りに急な坂である。
通学路もずいぶん狭い。こんな道に高校生が詰め込まれたらすごいことになるであろう。
ユジンとチュンサンが乗り越えた学校の塀はどこかと訊ね歩くが、まわりはぎっしり民家が建て込んでいて見つからなかった。
近くには「ユジンの家」もあるらしいが、それはスルーして昌徳宮に向かうが残念ながら本日は休館日。
さすがに9時半から4時間歩き続けなので、少し疲れて、ホテルに戻る。
ホテルに戻って冷たいビールを飲んで昼寝。
そのまま5時過ぎまで爆睡。
6時にロッテホテルで学生諸君と待ち合わせ。
2002年にうちの大学に梨花女子大から交換留学で来ていた李多恵(リ・タエ)さんとセイウチくんが寮生仲間で仲良しなので、いまはソウルでばりばりのキャリアウーマンになっている多恵さんとその婚約者の洪一権(クゥオン・イルホン)さんのご案内で、今夜は焼き肉。
多恵さんは本学に在学中に私のフランス語の授業を受講していたので私の教え子でもある。
それから在学中に彼女ともうひとり梨花からの留学生がちょっとしたトラブルに巻き込まれたことがあった。
私がそのときに役職上彼女たちのために一肌脱いで江戸前の啖呵を切ってことを解決した(というよりはさらにややこしくして)、結果的には彼女たちではなくて私が事件の当事者になることで事件をより解決不能な事態にして事なきを得たという、なんだかよくわからない出来事があって、そんなご縁のある方なのである。
彼女はそのときの私の手荒な介入を多とされて、今回の訪韓に際して一夕の宴にお招きくださったのである。
明洞(みょんどん)の有名焼き肉屋「景福宮」で炭火の七輪で焼いた骨付きカルビ、センドゥシン、プルコギ、ユッケとともに HITE ビールや焼酎をぐぐぐと嚥下しつつ、お二人の幸福と日韓の友好を祈って繰り返し乾杯をさせていただく。
今日のお値段はひとり47000ウォン。6000円くらいである。
明洞で偶然、クォン・サンウと遭遇、久闊を除す
ロッテホテルのロビーで「韓国エステ」にゆく学生たちと二人の韓国の友人とお別れして地下鉄でホテルに戻る。
明日はもう最終日。
2時半にホテル出発なので、昼前に学生たちと買い物に行って、おみやげを買う。もう観光をしている時間はなさそうである。
仁川空港にてゼミの諸君と
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(2006-02-22 17:36)