岡田山の霊的プロテクション

2006-02-18 samedi

大学が風水的によい地勢であることを書いたら、根拠も示さずいい加減なことを言うなというご指摘があった。
私個人の放言や無知についてのご指摘ならともかく、大学にかかわることなので、これだけは少し追加情報を記しておこう。
神戸女学院大学が位置する岡田山は大学のキャンパスの中心に神社がある。
ミッション・スクールの中になんで神社があるんですかと来学者は驚倒するが、これは言い方が逆で、神社があったところに大学が移転してきたのである。
この神社は「岡田神社」という。
市内廣田神社の末社である。
廣田神社は創立年代は明かでないが、清和天皇貞観元年(859)従五位上に進み、延喜式で官幣小社に列せられた。
延喜式は日本史を学んだ人ならご存じだろうが、平安時代に編纂された基本法典で、延喜五年(905)八月に編纂を開始、二十二年後の延長五年(927)十二月に完成した。
そこに祈年祭奉幣にあずかる神社二千八百六十一社がリストアップされている。
いわゆる「延喜式内社」である。
本学の中心に鎮座する岡田神社はその式内社である。
つまり本学キャンパスは1100年ほど前にすでに「ホーリー・スポット」として認定された場所だということである。
平安時代の摂津の国のこのあたりはひろびろとした海岸に武庫の山が迫る絶景の場所であり、幾筋もの川が北から瀬戸内海に注いでいた。
私の住む芦屋には古墳がある。
古墳があるということは、「古墳時代から人が住んでいた」ということである。
日本中が「空き地」であったときに、列島住民たちが「じゃ、ここに住もうか」といってセレクトした場所である。
日当たりがいいとか水の便がいいとか土地が肥沃であるとか鳥獣が多いとかいうようなフィジカルな条件を超えて、「霊的に気持ちがいい」場所が選択されたと推察するのは間違っていないだろう。
コミュニケーションの困難な異族がおり、肉食獣がおり、暗夜には魑魅魍魎が跋扈する時代である。
彼らが「安全」と「快適」を求めたときに発揮する感覚は現代人よりもはるかに鋭敏だったはずである。
だから、「宏大な土地が無主であったときに、ほかならぬそのスポットが選択された」という事実は風水的によい土地であるかどうかを占ういちばん合理的な根拠たりうるのである。
風水的ロケーションのよさを見る第二の条件は「四神」が整っているかどうかである。
ご存じのとおり、唐の長安も平城京も平安京も都の造りは同一の原理に基づいている。
四神とは都の東西南北を守る玄武、白虎、朱雀、青龍のことである。
風水的に単純化すると、玄武(北)が「丘陵」、朱雀(南)が「湖沼や窪地」、青龍(東)が「流水」、白虎(西)が「広い道」である。
平安京の場合は、北に船岡山、南に巨椋池、東に鴨川、西に山陰道。
江戸の場合は(江戸はオギュスタン・ベルクの『都市の日本』によると、京の南北ラインが東西に90度曲がっているそうだが、それはまた別の話)北に上野山、南に東京湾、東に大川(隅田川)、西に甲州街道。
ではわが岡田山はどうか。
本学に来られた方はご存じのとおり、本学のキャンパスは六甲山東麓にある。
岡田神社に立って南方を望むと、背中に北が岡田山、南方には「ちぬの海」瀬戸内海が遠望される。
東西は(京都と同じく)、二本の腕で囲むように低い尾根があり、朱雀門に相当する位置に正門があり、鴨川と同じく北東から南西に向かって、この尾根の間を一筋の川が流れている。さらに東に武庫川、西には旧西国街道。
風水にいう「玉堂」、長安や平安京では御所のあるポイントに岡田神社がある。
そして、鬼門(北東)に門戸厄神。裏鬼門(南西)に廣田神社。
私がこれまで見たどのような大学と比べても、風水的配慮において本学にまさるところはない。
だから、私は「本学岡田山キャンパスは風水的に日本一」ではないかと申し上げたのである。
とはいえ、私も日本の大学キャンパスのすべてを踏破したわけではない。
めぼしい国公立私立大学は見てきたが、あるいは私が見落とした中に、岡田山よりも風水的にさらにすぐれた大学キャンパスがどこかに存在しているのかも知れない。
そのような大学があれば、ぜひ手を挙げて頂きたい。
「風水的に日本一の大学」の名誉を競い合ってみてはいかがであろう(香港あたりから高名な風水師を招いてきて診断してもらうのである)。
で、その結果を『大学ランキング』に載せていただく。
コバヤシさん、どうですか、このアイディア。
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