卒論中間発表。

2005-10-06 jeudi

発表のために借りた教室にゆくと、中が真っ暗である。
「んなろ、全員遅刻か」
とぷりぷりしてドアを開けたら、中ではケーキのローソクに点灯しているところで、全員で「ハッピーバースデイ」をご唱和くださった。
思わず老師の目に涙。
学生諸君からステキなプレゼントと寄せ書きを頂く。
一瞬でも「んなろ」などと口走った粗忽な先生を許しておくれ。
ウチダはかねて申し上げている通り、『二十四の瞳』以来、「せんせー」と声を上げて、児童生徒学生の類がわらわらと走ってくる風景を見ただけで涙腺がゆるむ「大石先生体質」である。
だから、こういう設定には非常に弱い。
涙をぬぐって、卒論中間発表を始める。
15名のゼミ生2人お休みなので、13名。
一人15-20分なので、正午スタートで、終わったら午後5時。
さすがにみんなぐったりしている(そのあとわが家で「打ち上げ」宴会があるのだが)。
今日発表してくれた卒論の主題は「ラグビー」「クローン」「無印良品」「ブロードウェイ」「化粧」「バレエ」「リストカット」「食生活」「ファッション」「NEET」「水曜どうでしょう」「サリンジャー」。
多種多様というよりは支離滅裂である。
個人的にいちばん興味を引かれたのは「リストカット」であった。
この症例については名越先生、春日先生との対談で、どちらにおいても話題に出たのであるが、そのときは深く追求することを怠っていたのである。
発表の中に「リストカット危険度自己診断チェックリスト」というものが「おまけ」で添付されていた。
みなさんも該当するところにチェックを入れてください。

(1)私は周囲の人から見放されていると思う
(2)私は自分を傷つけたことがある
(3)私は自分が嫌いだ
(4)私は人生に立ち向かう力がないと思う
(5)たいてい私は孤独だと思う
(6)私は人生をやりなおしたい
(7)自分がいない方が家族はうまくやっていけると思う
(8)なんとなく気分がすぐれず憂鬱である
(9)イライラして落ち着きがない
(10)何かにつけて自分を責めたくなる
(11)人生はつまらず、生きている価値がない
(12)周りの人や事物について生き生きとした実感が薄れた
(13)一度やったことを繰り返し確かめないと気がすまない
(14)すっかり違った自分になれたらと思う
(15)何かにつけて自分を責め、頭の中で自分を責める声が聞こえる
(16)母親が嫌いである
(17)私は人から見捨てられている
(18)自分自身を尊敬できない
(19)気分がひどく変わりやすい
(20)眠りが浅い
(21)仕事や勉強に集中できない
(22)何かにつけて自分を責め、頭の中で自分を責める声が聞こえる
(23)自分のやってしまったことを覚えていないことがある
(24)変な考えが頭に浮かび取り付いて離れない

チェック5項目以下は「正常」(ただし、2,3、4にチェックをした人は「要注意」)
チェック6―10は「リストカットの危険あり」
11-15は「カウンセリング・薬物治療の必要あり」
16以上は「重症。ただちに精神科で治療を受けること」

私は2項目にチェックがはいったので「正常」に類別されてよろしいであろう(どこにチェックが入ったか当ててください)。
「(23)でしょ!」
それは私のことを知っている人なら誰にでも当たることである。
私のことはどうでもよろしい。
ここに列挙された徴候が「何を」意味しているか、である。
ここに挙げられた徴候はいずれも「解離傾向」を指している。
解離というのは、人格を切り替えることによる問題回避であり、直面している難局を「やりすごす」ことができるという点では一種のソリューションでもある。
春日武彦先生から「処世術としての解離症状」ということを伺ったことがある。
先生はこう言われていた。

「わからないところがでてきたら、とりあえず飛ばしちゃえ、というのは、一つのやり方ではあるんですよね。ですから、方法論としてはそういうやり方もあり得るけれど、ただ普通はやっぱり気色悪いからやらないわけでしょ。それを平然とやってしまうというのは、わたしのところに来る患者さんにも見られる一つの特徴であって、精神科的に言えば、一種の解離症状で乗り切ってしまう、ということに近いんじゃないかと思います。
解離というのは、それまでの脈絡とかつながりを全部断ち切ってしまうということで、『わかりません』とか『記憶にありません』とか言って、それでOKになっちゃう。たしかにそれで物事を乗り切れるように見えるんですが、でも現実にはそれは通用しませんよね。(…)
『ひきこもり』にしても、こういう解離の問題にしても、どこかで誰かが通用させてしまうと、『あ、これも罷り通るんだ』ってみんなが思ってしまって、どんなとんでもないことにでも、必ず追随者が現れますよね。(…)
ただ、いずれにしても、これは一時的な回避法でしかなくて、正攻法ではないわけですから、いつかどこかで必ず歪みが出てきてしまうわけです。神経症だって一種の回避法なのであって、そのつけとして症状が出ているんですね。」(『健全な肉体に狂気は宿る』、23-25頁)

政治家がよく遁辞に用いる「1億円受け取った記憶はありません」というのはある種の解離症状である。
そのことを「記憶している私」と「記憶していない私」に便宜的に人格を分離し、いまあなた方の前にいるのは「記憶していない私」であり、その私は「記憶している私」のかかわった行為については関与しない。
「私は自分が嫌いだ」「何かにつけて自分を責めたくなる」「頭の中で自分を責める声が聞こえる」「私は自分を尊敬できない」といった一連の自己批判的言明は、一見すると自省的な知的態度のように聞こえるが、実際には「私」と「自分」を分離することによって、「私1の欠点を点検・批判できる程度に倫理的・合理的な私2の立ち上げ」を果たして、「私1」に責任を転嫁して、とりあえず「私2」を救出しようとする「解離ソリューション」である。
その結果、当然ながら「周りの人や事物について生き生きとした実感が薄れ」ることになる。
「私」はその場にはおらず、その場から離脱して、その場で屈託している「私」を見下ろしているわけであるから、「生き生きとした実感」がなくて当然である。
なるほど、それなら、「人生をやりなおしたい」「すっかり違った自分になれたらと思う」ということばも漏れるであろう。
解離症状はたしかに一時的には問題を回避することを可能にする(そうでなければ進んで神経症を患う人はいない)。
そして、有効性が証明されたソリューションは爆発的に蔓延する。
現在、リストカットの人々が増えているという事実は、解離症状による人間関係のトラブル・シューティングという「作法」が蔓延していることと関係があるように私には思われる。
この一週間毎晩『タイガー&ドラゴン』で楽しませていただいた。
宮藤官九郎の描く登場人物たちは「解離症状」を呈する人間が非常に多い。
主人公二人の初期設定そのものが「解離」である。
小虎(長瀬智也)は昼間は噺家、夜はヤクザという二重生活を別人格に解離することで生き抜いている。
同じように小竜(岡田准一)はダサいデザイナーと天才落語家という二重性を両者を別人格に解離することでしのいでいる。
彼らが、演じ分けている「ヤクザ」「噺家」「デザイナー」の性格づけや様態は過激なまでに「類型的」であり、それらを包摂できる統合的な自我を彼らは持っていない。
したがって、多重人格のうちもっとも状況に適応性の高い人格がそのつどの場面で選択的に出現することになる。
この二人の解離症状が最終的に「自己矛盾を包摂したゆるやかな単一人格への収束」というかたちで「緩寛」するまでの回復プロセスが物語の縦糸をなしている(すごい。これって、フロイト的トラウマ回復ドラマだったんだ)。
彼ら以外の人物、落語の師匠のどん兵衛(西田敏行)も、ヤクザの組長けんちゃん(笑福亭鶴瓶)も、ヤクザの二代目銀次郎(塚本高史)もみな「気分がひどく変わりやすい」という性質を共有している。
全員が二つの別人格を使い分けることで、そのつどの状況をやりすごしている。
毎回のエンディングでは、小虎がどん兵衛師匠に「師礼を尽くす」次の瞬間に手のひらを返したように屈辱的な罵倒を浴びせるというギャグが用意されている。
小虎は尊敬すべき師匠が同時に最低の債務者であるという困難な人間関係を、解離症状を呈することで切り抜けているのである(この症状はドラマの最後では「専一的に師事する」人間関係に収束することで消失する)。
マドンナ役のメグミ(伊東美咲)もかなり重度の解離症状を呈している。
そのつどの状況に応じて、そのつど別人になり、「私じゃないときの私」の言動については一切責任を取らないことを処世の基本とするこの女性が「病人」ではなくむしろ「かなり魅力的な女性」として描かれていることに私は時代の「空気」を感じた。
このTVドラマを見たあとに、「解離症状を呈することはソリューションとしては『あり』だ」ということに気づいた若者たちが多数発生したのではないだろうか。
そういう仕方でとりあえず「問題解決の先延ばし」をしている人々を社会的に「許容する」というマナーがこのTVドラマの視聴者の間にゆっくりと定着したということがあるならば、それは「よいこと」ではないかと私は思う(個人的には、そういうタイプの人がまわりにあまりたくさんいられても困るが)。
精神科医なら「病人」と診断するはずの人間を「わりとチャーミングな人間」に描き直すということが結果的には「健常」ラインを引き下げているなら、宮藤官九郎は一種の「救い」を日本社会にもたらしていることになる。
すぐれた物語作家は半チクな政治家よりもはるかに社会的コストの軽減に貢献している。
宮藤官九郎に文化勲章を。
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