海あり山あり

2005-08-17 mercredi

ようやく『街場のアメリカ論』の直しが終わる。
といっても三島くん、ただちに喜んではいけない。
終わったからと言って、そのままお渡しするわけにはゆかないのである。
こういうものは書いたあと、しばらく「塩漬け」にしておかないといけない。
「塩漬け」にしていると、そのうちにぽろぽろと剥離してくる部分がある。
文章においては「しばらくすると腐る」ところと「なかなか腐らない」ところがある。
「風穴」があいていると文章はなかなか腐らない。
「風穴」というか「地下水路」というか、とにかく「よくわからないところ」へ通じる怪しげな回路が開いている文章は時代が変わってもけっこうしぶとく生き続ける。
きちんとパッケージされていて、理路整然、博引旁証、間然するところのない文章であっても(そのようなものを私が書いているということではない、一般論として)、「風穴」があいてないと経時的変化とともに、「酸欠」になって、腐り始める。
その違いを説明するのはむずかしい。
「腐る」というのは言い換えると「経時的に汎用性がない」ということである。
つまり、例えば、いまから20年前の読者やいまから20年後の読者というものを想定したときに、その人たちにもこちらの言いたいことが「伝わる」かどうかということである。
メディアがもてはやす「切れ味のよい文章」はたいていの場合、「同時代人の中でもとりわけ情報感度のよい読者」を照準している。
20年前や後のことなんかあまり考えない。
でも、たいていの場合、その気遣いの欠如(それは外形的には「かっこいい」のだ)が文章を腐りやすくするのである。
同時代の中のさらに少数に限定するような文章が、時代的背景も常識も流行も違う場所で読解可能であるかどうか。
考えてみればすぐにわかる。
私が「周知のように」という挿入句を避けるのは、それがしばしば「腐臭」の発生源の標識だからだ(そういう言葉を平気で使える人間の文章はたいていの場合書かれたときにすでに腐り始めている)。
今回の『アメリカ論』の私の想定読者はだいぶ昔の人である。
すごく昔の人。
驚くなかれ、アレクシス・トクヴィルである。
トクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシーについて』は170年前の著作であるが、ほとんど「腐っている」ところがない。
これはすごいことである。
それは彼がその「アメリカ論」を「アメリカのことをほとんど知らない読者」を想定して書いているからである。
だって、アメリカ合衆国に行ったことのある人なんか、彼の時代のフランス人読者のなかにほとんどいなかったんだから。
だから、噛んで含めるように書いてあるのだけれど、その「噛んで含める」というところにトクヴィルの批評性の原理的なところがくっきりと現れる。
「何も知らない読者」には170年後の「アメリカのことをよく知らない日本人」(私のことだ)も含まれている。
だから、読んでいて「あ、やっぱりそうなんだ!」とか「いや、私も同意見ですう」というようなリアクションをついしてしまうのである。
同時代の日本人のアメリカ論を読んでも、なかなかこういう経験することはない。
そのお礼というのも何だけれど、私は草葉の陰のトクヴィルさんに読んでもらった場合でも、「ふーん、なるほどね。あ、そういうことって、あるかもしれない」という反応が返ってくることを目指して書いたのである。
もちろんトクヴィルさんにはよくわからないこともあるかもしれない。
「『ジェイソン』て誰?」とか「『フェミニズム』って何のこと?」とか。
でも、たぶんトクヴィルさんが読んでもだいたいのことは類推できるように、それぞれかなり懇切ていねいな説明をつけて書いたつもりである。
170年前のフランス人が読んでも「だいたいわかる」ならその文章は腐らない。
十日ほど「塩漬け」にするのは、トクヴィルさんから「意味ぷー」と言われそうな箇所が剥離してくるのを待つためである。

とにかく仕事が一つ終わったので、「夏休み」を宣言する。
三宅先生のところに行って、ばりばりになった肩をほぐしてもらってから、バイクで海に行く。
海があるんです。芦屋には。
南芦屋浜という、沖に突き出た埋め立て地があり、その先端に小さな人工の浜辺がある。
もちろん海水浴場じゃないから、人はほとんどいない。
1キロほどの海岸線のあちこちに家族連れが散在している。
そこで寝ころんで、久しぶりに潮風を吸って、太陽を浴びる。
けっこう気持ちがいい。
水はあまりきれいじゃないけれど、人がいないのでゴミがないだけ須磨の海岸よりはましである。
たぶん鈴木先生が泳いでおられる鎌倉の海とどっこいというところである。
海岸で3時間ほど昼寝をする。
バイクで10分ほど走ると家に戻る。
鏡をみたら、ちゃんと日焼けしていた。
明日はサンオイルとレジャーシートとMDウォークマンを持って行こうっと。

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uchida@tatsuru.com
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