世界にとっての悪夢

2005-07-13 mercredi

体調はまだ上向きにならない。
ミヤケ先生によると、風邪で薬物をたくさん摂取したために肝機能が低下して、それでさまざまな障害が起きているらしい。
同時多発障害である。
それでも月曜の晩の最低レベルからはすこし浮上して、ふらふらと大学にでかける。
ゼミを二つ。どちらも前期最終回である。
3回生のゼミは「改憲」問題、大学院は「中華思想」。
九条改憲問題については、これまでずいぶん書いてきたけれど、どうもゼミ生諸君の中にはブログ上の私の憲法論議を熟読玩味された方はあまりおられないようである。
仕方がないので、超高速で私の改憲についての意見を申し上げる。
あまりに超高速だったので話している私にも意味不明だった。
興味深かったのは「改憲賛成」だった学生諸君が一様に「改憲しないと、外国が侵略してきたときに対応できない」という改憲派の議論を論拠としていたこと。
「どこが侵略してくるの?」
と訊くと、みなさん一瞬ためらってから「北朝鮮」と答える。
「北朝鮮が日本に攻めてくるとこまるので、九条を改定して、交戦権を確保しておく方がいい」
というロジックがひろく普及しているらしい。
たしかに北朝鮮が攻めてくるようなことがあると、とても困る。
私も困るし、あなたも困るし、たぶんキムジョンイルも困る。
みんなが困るような外交的オプションは選択される確率が低い。
だから心配するには及ばないと申し上げる。
日米安保条約というものがある。
そこにはこう記してある。

「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」

常識的に解釈すると、これは日本に北朝鮮が攻めてきたらほぼ自動的にアメリカ軍が「共通の危機に対処するように行動する」ということを意味している。
日本領土に他国軍が攻め込んできたときに発動しないような安全保障条約は安全保障条約とは呼ばない。
「空文」である。
憲法九条は空文であるということを改憲派の諸君はよくいわれるが、同じ口吻で日米安保条約は空文であると主張することのある人はおられないようである。
ということは改憲派の諸君も安保条約は機能するとお考えなのであろう。
その上で「北朝鮮が攻めてきたら、九条を改定していないと、日本は占領されてしまう」というのは条約締結の相手国にずいぶん失礼な物言いではあるまいか。
あるいは、改憲派の諸君はそういう非常時にもアメリカ軍は何もせずに日本が外国軍に占領されるがままに放置しておく、というシナリオにリアリティを感じているのかもしれない(村上龍の『半島を出よ』では駐留米軍はテロリストに対して何の軍事行動も起こさないが、これは現在の日本人のアメリカの軍事的パートナーシップへの「不安」をかなり忠実に表している)。
たしかにそういう事態もありうるだろう。
それはアメリカが日本を見限って、別の国(侵略国かその同盟国)を東アジアにおける軍事的パートナーに選んだということである。
アメリカが北朝鮮のような破綻国家を日本に代えて東アジアの軍事的パートナーに選ぶということは合理的に考えてありえない。
アメリカが日米安保を破棄して、次のパートナーに選ぶとすると中国かロシアのいずれかしかあるまい。
いまアメリカ国務省がそのどれかの線で世界戦略の書き換えシミュレーションをしていることはかなりの確度で推測できる(私が国務省の役人ならとっくにやっている)。
そして、あらゆる計算をした果てに、どう考えてみても、「アメリカが思いのままに頤使することのできる〈弱い味方〉である日本」に代わるほどに好都合なパートナーは存在しないという結論に達しているはずである。
だから戦略的に考えれば、日米安保条約は日本領土が「国家」によって侵略された場合には実効的に機能するはずである。
機能するということは、侵略「国家」はアメリカの報復攻撃によって壊滅するということである。
日米安保が機能しないで、日本が侵略された場合はさらに不幸な未来が私たちを待ている。
それはアメリカが日本を同盟国として永遠に失ったことを意味するからである。
数百万の日本人が死傷し、財産が奪われ、領土が分断された場合、あとに生き残った日本人はどうなるだろう。
まちがいなく、彼らは二度といかなる安全保障条約も同盟関係も信じず、自国の防衛は自国民の手でしかなしえないということを民族的教訓とするだろう。
私ならそうする。
そうして世界でもっとも好戦的な国民国家・復讐国家ができあがる。
日本の経済力と集団組織とテクノロジーと知的ポテンシャルのインフラの上に「憎悪にみちたナショナリズム」が乗ったときに、それが「どんな国」になるのか・・・想像するのはむずかしいことではない。
たぶん「ナチス第三帝国」をさらに機能的にヴァージョンアップした激烈な排外主義的な国民国家ができあがるだろう。
それはその中に生きる日本国民にとっても不幸な国家体制であると同時に、周囲のどの国にとっても不幸な国家体制である。
必ずやこの「日本第二帝国」は侵略国を侵略し返し、日本侵略を拱手傍観したすべての国に報復し、ついに太平洋を越えて、日本を裏切ったアメリカと「差し違える」ことを何十年かかっても完遂することを全国民的な悲願とする国になることだろう。
どう考えても、これほど日本人の「忠臣蔵」的、「総長賭博」的メンタリティーにぴったりくるシナリオは存在しない。
日本人は「こういうありよう」が心底好きだからだ。
その「臥薪嘗胆」ニッポンは現在の日本人からは想像できないほど勤勉で、禁欲的で、死に急ぐ日本青年たちに満たされる。
三島由紀夫が生きていたら「私はこの日を待っていた」と感涙をもらしただろう。
憲法九条のようなものを持っている国を侵略してはならない。
平和憲法を護持しているときに侵略されたら、間違いなく日本は二度と平和についてのいかなる理想論も信じない歴史上最悪の復讐国家になって甦る。
日本がそのような国になることは侵略した当の国を含めて「世界にとっての悪夢」なのである。
憲法九条という非現実的な「縛り」を日本が受け入れているのは、それが被侵略というかたちで破綻したときの目の眩むような絶望と、抑圧されていた「ミリタリズム」のマグマがメフィストフェレスの哄笑とともに噴出する感触を無意識のうちに欲望しているからかもしれない。
そう考えてみると、やはり九条護持はたいへん「日本的な」ソリューションだということが知れるのである。
大学院の「中華思想」もたいへんおもしろかった。
ゼミのあと打ち上げ宴会へ。
ビールを飲んで、イカ、魚、練り物などを食べる。
おお、すべて「プリン体」の宝庫ではないか。
一夜明けるとたいへんなことになっていた。
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