港町ブルース

2005-04-11 lundi

『ミーツ』の江さんがNAGAYAにたいへん痛快なエッセイを書いている。
「都会的なるもの」と「街的なるもの」の違いについての考察である。
私は江さんの感覚がとても好きだ。
私は「街」ということばではなく、「都市」ということばをつかう。
その定義は江さんの「街」とはたぶん微妙に違う。
それについて書いてみたい。
10 年ほど前、日本における「都市」の定義というものを思いつき的にしたことがある。
そのとき私が考えた条件は一つだけ。
それは「チャイナ・タウンのある街」というものである。
ここでいう「チャイナ・タウン」は比喩的な意味のそれである。
「チャイナ・タウン」のある街というのは「港町」であるということである。
この場合の「港」は地理的に海岸を意味するわけではない。
川沿いであろうと、内陸部であろうと、山のてっぺんであろうと、排除的な境界線が効果的に機能しないために、「入ろうと思えば、どこからでも入れる」ならば、そこは「港」の条件のひとつを備えていると言ってよい。
ある街が「港」として機能するためには、境界線のアバウトさの他に第二の条件が続く。
それは「ハーバーライト」が存在すること、である。
つねに変わりなく暗夜に信号を送る「輝く定点」がなければ、船は港に戻れない。
「ハーバーライト」には「おーいらみーさきのー」と静かに灯を守る人間(佐田啓二)がいなければならない。
いくらボーダー・コントロールがアバウトでも、誰ひとり「定点」を守る人間がいない土地は「港」としては機能しない。
私はそのような役割を引き受ける人間のことを「見守る人」(センチネル)と呼んでいる。
港町には「異族」が住みつく。
これが第三の条件である。
「異族」が住みつくことのできない街は「港町」とは言われない。
彼らは「故地」を離れて来た人間たちである。
「レフ・レハー」(私があなたに示すその地に至れ)という言葉を聴き取って、父祖の地を離れてきた人間である。
ここでいう「異族」は人種とも国籍とも関係がない。
異郷に旅立つことが、いつか故郷の島にもどって、その驚くべき冒険譚を語り聴かせるための「帰ることが予定されている旅」ではなく、「帰らない旅」であるような旅を選んだ人々を私は「異族」と名づける。
「異族」は「港町」に住みつく。
そこしか彼らが安住できる土地がないからだ。
そして、しばしば彼らは「ハーバーライトを守る」仕事に「原住民」(アンディジェーヌ)よりずっと真剣に取り組む。
それは彼ら自身がかつて暗夜の海をあてどなく航海したときに、「港」の明かりがどれほど温かく見えたかを記憶しているせいだろう。
私はそういう街が好きだ。
故郷を離れてきた人間が、その街の灯りを絶やさないために黙々と「センチネル」をつとめるような街。
過去を持たない人間が静かに護る「逃れの街」。
東京は「港町」ではない。
たしかに、そこにはさまざまな出自の人々が自由に蝟集している。
排他的な境界線が機能していないという点では「自由な街」なのかもしれない。
けれども、東京には「センチネル」がいない。
そのような役回りの人間を敬する精神的土壌が東京にはない。
もちろん、江戸時代から何代にもわたって土地に根づいている人はいる。
けれども、彼らは暗夜に向けて灯りを送る仕事を自分の責務だとは思っていない。
村上春樹の造形した人物の中で、私がいちばん好きなのは「ジェイズ・バー」のジェイである。
彼は過去を語らない「中国人」であり、「僕」と「鼠」にとって、帰りたいときに(結局彼らはそこに帰ることはないのだが)帰ることのできる場所を指し示す「ハーバーライト」の役割を静かに引き受けている。
この人物が私にとって「港町」というものを端的に表象している。
ジェイズ・バーは『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』と『羊をめぐる冒険』における記述を仔細に検討するならば、芦屋の国道二号線から少し入ったところに存在する。
私が「芦屋の国道二号線から少し入ったところ」に居住することに固執するのは、そこに私にとっての理想的な「港町」があるような気がするからである。
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