改憲護憲といいますが・・・

2005-02-02 mercredi

ああ、疲れた。
朝からずっと「課題感想文」の添削をしている。
推薦入試で合格された受験生たちが「わーい合格だあ」と10月から遊んでしまわれると高校のカリキュラムにも支障が出るし、4月に入学したときに遊び疲れで気息奄々ということも懸念されるために、本学では推薦入試やAO入試の合格者には指定書籍を課して、それについての感想文を書いていただき、それを専任教員が添削しコメントを加えてお返しするという作業を行っている。
400字詰め8―10枚ほどの感想文10点を読みコメントを付す。
けっこうきつい。
私に与えられたのは竹内敏晴さんの『「からだ」と「ことば」のレッスン』(講談社現代新書)と憲法再生フォーラム編『改憲は必要か』(岩波新書)を選択された高校生たちの感想文である。
竹内さんの方は私のいわば「専門」領域であり、高校生の諸君よりはこの問題に通じているのでコメントも比較的しやすいのであるが、改憲問題となると、高校生の政治的意見と私の政治的意見のどちらが「熟成しているか」というようなことは軽々には私の方から申し上げることができない。
憲法九条を改正して通常の軍備をすべきだというご意見をもたれる高校生に向かって「それは正しい」とも「その考えは間違っている」とも採点者の側としては申し上げるわけにはゆかない。
こ、これはけっこう苦しい。
私は「誰に対しても好きなだけ悪口を言う自由」の確保を人生の目標に掲げて孜々たる営為をしてきた人間であるが、こと学生諸君に対してはこの自由の行使を自制している。
私は査定する側であり、彼女たちは査定される側である。
査定する側が「悪口をいう自由」を言い立ててはことの筋目が通らない。
したがって、私のコメントはきわめて歯切れの悪いものになる。
こんなふうに。

「重要な政治的案件のほとんどは、賛成反対どちらの言い分にもそれぞれ理があります。
100%正しい選択とか100%間違った選択というのは、政治の世界ではありえません。
場合によってはある時点では51%正しくて、翌日はその正しさが49%に減じた…というようなこともままあるわけです。
改憲問題も、単独の案件ではありません。いろいろな可変的ファクターが関与していますから。
憲法問題は日米関係と密接にリンクしています。
日米関係を控除して、憲法九条だけを議論するということは論の性質上不可能です。
ここに憲法問題がごちゃごちゃする原因があるように私は思うのです。
ご存じのとおり、日本の改憲論者陣営は「親米派」と「嫌米派」という立場の異なる二陣営から構成されています。
親米派はアメリカとの同盟関係を密にし、その世界戦略を支援することが直接日本の国益を最大化する方途だろうと考えています。
一方の嫌米派は、日本国憲法がアメリカの軍事的圧力の下で「押しつけられた」ということを屈辱的に感じ、自主憲法を制定することが日本の独立国としての誇りを再建するために必要だと考えています。
そして、不思議なことに、この親米的態度と嫌米的態度が同一人物の中に混在している場合さえあるのです。
というより、そういう人たちが改憲派のマジョリティではないかと私は考えています。
そして、奇妙に聞こえるかも知れませんが、この種の「アマルガム的」改憲派の存在こそが日本の改憲勢力の政治的姿勢の一貫性を担保しているのです。
というのは、アメリカの対日戦略や世界戦略が『正解』を選び取ると、日本の対米感情が好転し、アメリカの国際社会における威信が高まり、『親米派』が優勢になり、アメリカの対日政策や世界戦略が『失敗』して、対米感情が悪化し、アメリカの国際社会における威信が低下すると『嫌米派』が優勢になるからです。
親米・嫌米の比率は変りますが、両者の総和であるところの「改憲の必要の訴求力」そのものは変らない。
つまり、アメリカの世界戦略や対日政策が成功しても失敗しても改憲の必要性を求める心情には少しの変化もない…というふうに改憲派の議論は構築されているんです。
つまり日本における改憲議論というのは戦後60年間、日米関係にリンクして憲法が語られる限り、議論が前に進まないように構造化されてきたんです。
この立論は誰が思いついたのか知りませんが(吉田茂かな)、よくできていますね。
いまの日本でこの論点がすこし動き出したのは、実はこのバランスが崩れてきたことと関係がありそうに思います。
これまでの改憲護憲の議論は「アメリカの世界戦略を支援する/阻止する」という対立図式に還元できたわけですが、その前提には「アメリカがその戦略を粛々と展開した場合には、ある世界秩序が構築される」という見通しが(賛否はわかれますが)両陣営に共有されていたという事実があります。
いま、その前提が崩れ始めています。
つまり、「アメリカがその世界戦略を粛々と展開した場合、世界にはある種の〈無秩序〉が到来するのではないか…」という暗鬱な見通しを人々が持ち始めたということです。
これはえらい違いですよね、これまでとは。
ですから、改憲護憲のことばづかいは同じですし、問題が日米同盟の評価にかかわることも変らないのですが、その前提にある「アメリカによる世界秩序の構築」という見通しだけが何となく怪しくなってきたということがあるように私には思われるのです。
このまだ意識的には主題化されていない不安を政治的言説の水準に繰り上げる作業をしないままに、古典的なスキームで改憲護憲の議論をしていると、それは空語にしかならないのではないかと私は懸念するのです。」

しかし、推薦入試合格者の課題論文を提出したらこんなコメントを返されてしまった高校生にはえらい迷惑であろう。
ごめんね。ややこしいこと書いて。さらっとご放念ください。
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