師走雑感

2004-12-29 mercredi

年賀状をだいたい書き終えて、ゲラの校正にとりかかる。
とりあえず短そうなものから…というので田口ランディさんとRe-setでやった対談「痴呆老人対談」を2時間程度で直して、メールで安藤さんに送る。
ゲラをデータで送ってもらってからもう半年くらいになる。
半年間に2時間の暇がなかったのか、と詰め寄られそうだが、「なかった」んである。
「さあ、やるぞ」という心構えが整わないと、仕事にならないのである。
続いて橋本治さんとの対談の校正。これはほとんど修正箇所がないので、見るだけ。
昼にまたまた「守さんうどん」を食す。
その守さんから「和装用コート」が送られてくる。
二種類入っていて、どちらかお好きな方を、というので、襟が別珍の角袖コート(とりあえず「高利貸しコート」と命名)を選択。
最初はインバネスか二重回しを買うつもりだった。
二重回しというと、黒澤明の『生きる』で、渡辺勘治を「地獄巡り」に誘う伊藤雄之助演じる無頼派文士が黒い二重回しをざらっと羽織って、山高帽に下駄といういでたちで銀座を遊弋していた姿を思い出す。
私の映像記憶の中では、これが二重回しの着こなしの「ベストドレッサー」賞である。
しかし、私はまだここまで和服を粋に着崩すだけの人間的蓄積がないので、今回はちょっとおとなしめの角袖にしておいたのである。
これに手提げ袋をさげて、絹のマフラーをまいて、下駄でからからと街を歩くと、年の瀬に貧乏人から貸金を取り立てた因業な金貸しが、下谷か根岸あたりに囲った妾の家に昼酒を飲みに行くような風情に見えるかもしれない。
と書いたら、突然「朝倉文法辞典」の条件法の例文を思い出した。
Quelqu’un qui me verrait croirait que je vais a rendez-vous d’amour ou chercher de l’argent.
「誰かが私を見たら、逢い引きか金の工面にゆくところだと思うだろう。」
こういうのは「He is an oyster of a man」と同じで、一度覚えてしまうとなかなか忘れないものである。
なに、このフレーズをご存じない?
「彼は蠣のように寡黙な男だ」という意味である。
故・竹信悦夫くんが朝日新聞で『Japan Quarterly』の編集長をしていたころ、副編集長のアメリカ人がある日彼に思いあまって尋ねたそうである。
「私の知っている実に多くの日本人が『彼は寡黙だね』というときに He is an oyster of a man という言い方をする。こんな古めかしい表現をするアメリカ人なんて今はいないんだけれど、いったいどうして日本人はこんなことばを知っているんだ?」
竹信くんは破顔一笑して、それは『新々英文解釈』という60年代受験生必読の英語の参考書の最初の例文だからだよと教えてあげたそうである。

そうこうしているうちに日が暮れてきたので、三宮に買い物に行く。
セーターを買おうと思って大丸の5階にゆくと、カシミアのセーターがある。
おお、これはよいものだ。いくらかしら…と思って値札を見ると「13万円」である。
おっとっと、とよろめいて、次の店にゆくと「5万円」である。
人間というのは不思議なもので、「13万円」のあとに「5万円」を見ると「安い!」という反応をしてしまうのである。
セーターを買ったついでにスーツも買ってしまう。
Corneliani というイタリアのあまり知られていないブランドであるが、5年くらい前にそこのスーツを買ったことがある。これが値段のわりにはなかなか着心地がよく、着すぎたせいで袖や肘がへたってきた。またスーツを買いに行ったら、もう店がなくなっていた。人気が出なかったのね…と残念に思っていたが、それは私の勘違いで、ちゃんと大丸にあった。
これからはアルマーニはやめて、ここにしよう。
30日の宴会用にワイングラスをまとめ買いする。
先日、皿洗いのときにわりとよいグラスを倒して割ってしまい、「あああああ」と青ざめていたら、その勢いで、そのときふきんで拭いていたリーデルのフルートグラス(ナバちゃんからの引越祝いだったのに…)もぱしんと割れてしまった。
今回はHOYAガラスのちょっと厚めのグラスにする。
帰りに小腹が空いたので、元町の「蛸の壺」で明石焼きを食べて、ビールを飲む。
けっこう夜道は寒い。
まんまるの白い月を見上げながら家路につく。
だんだん年の瀬らしい風情になってきた。
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