朋有り、遠方より来たる

2004-12-28 mardi

朝起きて、ダイヤリーを開いたら「北海道新聞原稿締め切り」と書いてある。
おっと、忘れていた。
お題は「2005年の時代相」。
「教養の再構築」というテーマで1800字の原稿を書き飛ばして、メールで送信。
朝飯前に一仕事。
ただちに年末恒例の煤払いにとりかかる。
まず玄関、納戸、寝室、洗面所、台所、居間を掃除。
まだ引っ越して10ヶ月だから、ファンタスティックな汚れ方はしていないので、楽ちんである。
マイペットでシュッシュッ、ふきふき。
BGMはユーミン、大瀧詠一、ジェームス・テイラー、キャロル・キング。
よいね、お掃除のBGMにキャロル・キングは。
「あの子はぼくの天使さ」とか「君と歩くとみんなが振り返る」とかゴフィン=キングの歌詞って、そんなお気楽なのばかり。
そういうお気楽ポップスを聴きながら、ごしごしと台所のレンジの汚れをたわしでこすっていると、しみじみと幸福な気分になってくる。
掃除がもたらす「癒し効果」というのはたいへんに大きなものなのである。
気が滅入ると「とりあえず掃除する」という人がときどきいるけれど、私もそうだ。
お気楽なアメリカン・ポップスをかけながら、掃除をして窓ふきをしてアイロンかけをしているうちに、ブルーな気分が薄皮を剥ぐように消えて行く。
針仕事もいい。
半襟なんか縫いつけていると自分は「この世界にいてもいい人間らしい」ということについてのかすかな確信のようなものが芽生えてくる。
世の中には家事が大嫌いと言う方が多いが、どうしてこんな楽しいことが嫌いなのか、私にはよくわからない。
たぶん人に強いられてやるから嫌いになるのであろう。
自分でやると楽しいよ。
5時間ほどで一段落。
書斎(といっても居間の南半分のこと)と娯楽の殿堂(六畳の和室。ビデオ、DVD,小説本が置いてあるのでこの名がある)とベランダの掃除がまだ残っているが、それは明日回し。
お風呂にはいって汚れを流してから、さっぱりした気分で、卒論二本を読んでコメントを付けて返信。
夕方になって平川くんから電話があって、梅田に出て「あげさんすい」で晩ご飯。
カウンターで大阪の夜景を見下ろしながら「お店から」のシャンペンを頂いていると(この世でいちばん美味しいものの一つは、座ったときに「すっ」と出てくる、「お店からのシャンペン」である。これはただ「常連」になったくらいではゲットできるものではない。さまざまな事前工作(このような文章をネット上に掲げてお店の宣伝をする、などの)によって苦難の末に得ることのできるレアものなである)、カウンターの向こうに「キタガワさまがお見えですよ」と橘さんが教えてくれる。
私は眼が悪いので、カウンターの端の方にいる若い女性が誰だか特定できず、「キタガワさんって…誰?」と訊き返したら、橘さんがびっくりして「あのキタガワさんですよ」「あのキタガワさんて…え? おいちゃん?」。
へへへとあちらからご挨拶に見えたので、「こんな大人のくるところで何しているのだ」と頭ごなしに詰問する。
おいちゃんも梅田あたりのOLさんなのであるから、オフィスの帰りにハービスエントのお洒落な天ぷらやでディナーをするくらいのこと咎めるのはまことに筋違いというものであるが、こういうところで学生に会った場合は、教師はとりあえず「ああ何かね、君はよく来るのかね、こんなところに」と咎め立てるのが仕事なのである(『彼岸花』の佐分利信が銀座のバーで高橋貞二に言うときの声で)。
しかし、ぐるりとあたりを見回すとお客は若い女性ばかりである。
「天ぷらやって、そういうもんだっけ?」と平川くんが訊く。
違うような気がするが、おそらくは橘さんの人徳というものであろう。
しかし、若い女性に選択的に効果を発揮する人徳というのは「あり」なのか。
たいへん美味しい天ぷらを頂いたのち、仕事帰りの江さんと合流して芦屋のわが家へ。
そこに平川ブログでその文体を絶賛された「三度の飯より人に褒められるのが好き」なドクター佐藤がご挨拶に登場。
平川くんのパソコンにBSでぼくたちの本を小池昌代さんが紹介してくれたときの映像が入っているというので、全員で「ビデオ鑑賞会」。
みんなで「いやー小池さんて、綺麗な人だね」「いかにも知的ですよね」「第一、品がいいよ」「声がええですわ」などとほめたたえ、引き続き鷲田先生のコメントを聴きながら、「いやー、鷲田先生って、ほんといい人だよね」「世の中の仕組みってのがわかってるよね」「大人ですよね」「服の趣味がええですわ」などとさらに尽きせぬ賛辞を画面に送る。
何がうれしいといって、人にほめられることほどうれしいことはない。
みんなすっかり機嫌がよくなって、ヴーヴ・クリコ、越乃寒梅などを傾けつつ、芦屋の夜はしんしんと更けてゆくのであった。
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