携帯破壊のせいで、新機種はカメラ付きとなる。
200頁ほどあるマニュアルが付いているが、ウチダは「マニュアル失読症」なので、適当にあちこちいじっているうちにカメラで部屋を撮してしまい、それが待ち受け画面になってしまった。
ま、いいか。べつに。
業務連絡を受けて、次々とメールが届く。それをせこせこと電話帳に登録してゆく。
しかし、この小さな機械にこれだけの機能が備わっていて、それが登録料2000円だけで手にはいるのである。
ほんとうに、そういうことでよろしいのであろうか。よく、わからない。
ヴァレリーの『カイエ』の身体論を読む。
京大の集中講義の「仕込み」である。
ヴァレリーとベルクソンとプルーストを「新ネタ」に使う予定なのである(なんだか仏文学者っぽいチョイスだな)。
「私は進む、私は行く、故に私は生きている。私の運動に当面必要ないものを無視することによって。(…) 私が生きているのは、無限の細部に入り込まないからだ。」
さすがヴァレリー、間然するところがない。
モスバでロースカツバーガーを食べながら『カイエ』をこりこりと読み進む。
大学は「愉しい火曜日」。ゼミ二つ。
専攻ゼミは「無料ファイル交換問題」。大学院は「ペリー来航と日米関係の150年」。
ナップスターや Winny で事件化したこの問題について、これまでこのサイトでは発言したことがなかったので、ゼミ生諸君のご意見を伺ってみる。
私の立場はわりと簡単である。
「アーチストがやる気になる」、「音楽業界が売る気になる」、「リスナーが聴く気になる」という三つのファクターの最適解を探すことである。
ただし、「やる気」と「売る気」と「聴く気」は必ずしも一致しない。
アーチストの願いは、自分の音楽ができるだけ多くの人間に聴かれ、支持されることにある。
業界の願いは、できるだけ低いコストで、できるだけ高いベネフィットを獲得することにある。
リスナーの願いは、好きな音楽をできるだけ潤沢に享受することにある。
この三つが一致していたのは、たぶん1960―70年代のロックの全盛期とアナログレコードの時代だろう。
音楽の再生原理がデジタル化されたところで事態が変わる。
アナログレコードはまだ「モノ」的な要素が濃厚だった。
アルバムはでかく、厚みもあり、ブックレットや写真を含み、ジャケットデザインは部屋のデコレーションとしての装飾的な使われ方を前提にしていた。
つまりアナログレコードは再生音のソースである以外に書物や絵画としての有用性も兼ねていたのである。
だから音楽の頒布は、物品販売のアナロジーで語ることができた。
しかし、音楽のメディアが電磁パルスになったところで、話が変わる。
電磁パルスには物質性がほとんど感じられないからである。
手に触れることができないものについて、「所有」という概念を抱くことは難しい。
誰かが持っているレコードを「ちょっと貸してね」と持って行ってしまうと、持って行かれた方はレコードが戻ってくるまで音楽を聴くことができない。
けれども、誰かがもっている音楽のデジタルデータを「ちょっと複製させてね」と言っても、複製された方はそれによっていかなる現実的損害を蒙るわけでもない。
だから私たちはデジタルデータのやりとりに「モノ」のやりとりと同じように課金するという考え方にはなかなかなじむことができない。
「使うと減るもの」には使用者は対価を払うべきだということはわかる。
ラーメンを食べて勘定を払わないというのは許されないことである。
けれども、「使っても減らないもの」に使用者が対価を払うということには、なかなか実感が伴わない。
食べても食べても減らないラーメンに対しては、勘定を払ってくれと言われても、「でも、ラーメン減ってないじゃん」と言いたくなる。
デジタルデータに課金する場合は、結局そのつど「データがモノであった場合には・・・」という想像的な置き換えをしないと、人間は何が起きているのかをうまく理解することができない。
データをコピーしても何も減損しないけれど、コピーしたせいで「データが物品であった場合であれば、対価として支払われたかもしれない金額」が損金として計上されることになる。
この「電磁パルスを想像的に物品に置き換える」という手続きにおそらく多くの人々は納得がゆかないのであろう。
だって、ほとんどの人は、「タダだからコピーしたけれど、課金されるならそんなもの要らない」というような映像音声データをPCにため込んでいるわけであり、それは必ずしも「発生したかもしれない利益」を直接的に減殺しているとは言えないからである。
音楽CDの売り上げが90年代から激減してきていることはまぎれもない事実である。
そのため、海外盤の輸入禁止やCCCDによって音楽業界は利益の確保に必死である。
でも、それと無料ファイル交換のあいだには有意な連関はないという研究結果がアメリカでは公表されている(ハーバードビジネススクールのFelix Oberhoizerによる)。
日本の場合、CDが売れなくなった最大の理由は音楽市場のメインターゲットである若年層の人口が急激に減少しているせいだろう。
若いアーチストの創造力が低下していることも否めない。
このまま音楽業界が既得権益の確保のために、なりふり構わずふるまえば、おそらく日本のポップミュージックは急速に活力を失って、遠からず業界が崩壊し、市場は1960年代の規模までシュリンクするだろう。
私はそれで別に構わないのじゃないかと思う(音楽業界のみなさんにはお気の毒だけれど)。
その頃はどの家にもたいしてレコードなんかなかったし、そもそも再生装置そのものがなかった。
でも、みんなラジオから聞こえてくる音楽をよく聴いていたし、口ずさんでいたし、歌手や作家に対しても親しみや敬意を抱いていた。
そしてリスナーたちは、お小遣いをためてあこがれの小さな再生装置を買い、音質の悪いレコードやソノシートを文字通り、溝がすり切れるまで繰り返し聴いた。
そういうのがあるいは音楽のほんらいの享受の仕方ではないかと私は思う。
そういうふうにして聴く数少ない楽曲の方が、PCにファイルされていつでも読み出せる数千曲のデジタルでクリアーな楽曲ストックよりも、身体には深く強くしみこむものではないだろうか。
1950-60年代の方が音楽の作り手も聴き手も今より幸福だったような気がする。
大学院は渡邊仁さんの発表で「ペリーと日米関係の150年」。
歴史学と系譜学のアプローチの違いについてお話をする。
歴史学は、ある歴史的事実が継起したあとに、それらを貫く「鉄の法則性」を発見しようとする。
系譜学は、どうしてある歴史的出来事が起り、そうではない出来事は起らなかったのかについて、そこに関与した無数のファクターを考量する。
系譜学が教えるのは、ある出来事が起き、そうではない出来事が起きなかったのは、多くの場合「偶然」だということである。
歴史は複雑系である。
わずかな入力の変化が劇的な出力の変化をもたらす。
プリゴジーヌのいう「バタフライ効果」である。
もし、嘉永六年の来航したのが、マシュー・カルブレイス・ペリーではなく、別の人物であったら、提督は浦賀ではなく長崎に来航したかもしれないし、安政の大地震がなければ江戸の海防は整っていたかもしれないし、老中首座阿部正弘が1857年に若死にしなければ、その後の日米関係は変わっていたかもしれない。
歴史に「もしも」はないと言うけれど、それは「もしも」を言い出したら切りがないからである。
けれども、「もしも」を言い出したら切りがないほどに多様な可能性が歴史の分岐点には存在していたということは忘れない方がいい。
というのは、歴史は一直線で予定調和的に進行していると考える人間は、未来についても、「最適解は一つしかない」という臆断を抱くからである。
歴史の分岐点には無数の偶然がかかわると考える人間は、これから取りうる方途について、さまざまな可能性を吟味することができる。
坂本竜馬や高杉晋作が横死しなければ、伊藤博文や井上馨や山県有朋があれほど偉くなることはなかっただろう。
奇兵隊の一部隊長にすぎなかった足軽の山県が日本陸軍のドンになったのは、高杉や吉田松陰や久坂玄瑞や大村益次郎がばたばたと若死にして、「上が全部いなくなった」からである。
そのうちの一人でも生き残っていたら、あるいはその後「日本軍国主義」と呼ばれることになった政治体制は存在さえしなかったかもしれない。
そういう想像力の使い方は思いの外たいせつだと私は思う。
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(2004-07-07 14:50)