週末東京で演武会と合同稽古をこなしたあと、月曜は『ミーツ』の最終回原稿を書いて、それから毎日新聞のエッセイ(これは6月に4回連続で家庭欄に掲載される予定。タイトルは「オトコのみかた」)。
書き終えるとばたばたと学校へ行って、杖道のお稽古。今日は六本目「物見」。
昨日の今日なので、さすがに稽古に来る人は少ない。
溝口さんと嶋津さんがそれでも来ている。偉いぞ。
嶋津さんに「東京みやげです」と「銀座のいちご」をいただく。私も昨日東京駅頭において「和菓子になった東京ばな奈」を購入してきたのであるが、甘み系のものは午前中のエネルギー源の必須アイテムであるからして、ありがたく頂戴する。ごちそうさま。
火曜日はゼミが二つ。
大学院ゼミは井原さんの「アメリカと戦争」。
アメリカはどうしてあれほど戦争をするのか?という根源的な疑問をめぐってディスカッション。
アメリカの政治的な支配圏の拡大は、19世紀以来つねに「正義の戦争」として展開してきた。
その「必勝パターン」の記憶の上にナショナル・アイデンティティが構築されている限り、「あれは、もうやめましょう」ということについての国民的合意の形成は困難であろう、というのがウチダの解釈である。
私たち日本国民が国際社会から見てきわめて親密なアメリカの政治的パートナーであるにもかかわらず、私たちはそのアメリカの政治史について、ほとんど教えられない。
たしかに西洋史で中学高校とアメリカの歴史を私たちは学んでいるはずなのであるが、「アメリカの植民地拡大の歴史」についてまともに習った記憶がない。
米墨戦争(アメリカ=メキシコ戦争)はご存じ『アラモ』の背景となる戦争であるが、戦争の原因はアメリカがメキシコの支配下にあったテキサスを領有したのち、さらにメキシコの一州であったカリフォルニアに領土的野心を抱いたことに発する。戦争のあと、カリフォルニア在住のアメリカ人たちはメキシコからの「独立」を宣言し、そのあとアメリカに併合される。
同じことはハワイでも行われた。1893年にアメリカはカメハメハ王朝を武力クーデターで打ち倒し、アメリカ人宣教師の息子ドールを首長とする地方政府を立て、そのドールが「ハワイ共和国」の大統領となり、98年にアメリカに併合される(もちろんドールは初代知事)。
1898年の米西戦争(アメリカ=スペイン戦争)では、スペイン領のキューバとフィリピンの独立運動を支援するかたちで軍事介入を行い、結果的にはフィリピン、プエルトリコ、グアムを割譲させ、キューバを保護国化する(その後、フィリピン独立運動を軍事的に弾圧して植民地化する)。
「ほしい」と思う「王国」に名目的な「民主化=独立運動」を見出し、そのなかば虚構の運動を「支援する」という大義名分を掲げて軍事介入し、独立達成後に独立国の自由意志に基づいて「併合」するというやり方で19世紀末にアメリカはその領土を拡大してきた。
それ以後も小国に対する軍事介入のロジックはつねに同一である(ベトナムでもアフガニスタンでもイラクでも同じことを繰り返している)。
この「パターン」に対する「有罪感」というものを感知することはアメリカ人にとって構造的に困難である。
なぜなら、「こういうのって、ちょっとまずいんじゃないかな」ということをアメリカ人自身が言い出すと、「あ、そう。じゃ、それを反省してるというなら、まずカリフォルニアとニューメキシコとテキサスをメキシコ人に返還し、プエルトリコをプエルトリコ人に返還し、ハワイをハワイ人に返還してから話をきこうじゃないの。あ、ついでにマンハッタン島もハッケンサック族に返しておいてね」という流れになることは避けがたいからである。
ひとつでも有罪を認めたら、先住民の虐殺から始まった建国以来の領土拡大のすべてについても有罪を認めることになるから、間違っても「すみません」と言うわけにはゆかない・・・というのが「正義であり続けなければならない」アメリカの宿命である。
その意味でアメリカはこれからあとも、世界のどこかに「独立運動」を探して、それを支援する「正義の戦争」を続けることになるだろう。
戦争を継続することなしには、過去2世紀のナショナル・アイデンティティそのものが立ちゆかない国も不幸だし、そんな国の「自分探し」につきあわれて空爆される小国も不幸である。
アメリカがこの袋小路から逃れる道はとりあえず一つしかない。
それは「アメリカ史」についてはできるだけ国際社会のみなさんに「忘れていただく」ということである。今日のアメリカ領土は父祖伝来の「故地」である幻想をアメリカ国民以外の方々にも共有してもらうことである。
日本はその点については、きわめてアメリカに協力的な仕方で初等中等教育のカリキュラムを組み立てているように私には思われる。
現に、日本人は毎年何十万人もがハワイを訪れているけれど、「どうしてハワイは太平洋の真ん中にあるのにアメリカの領土なの?」という子供の質問に答えられる日本人はほとんど存在しないからである。
大学院が終わって、ソッコーで帰宅。そのまま東京へ。
今回は業務出張。
翌日早朝から「大学業務の品質管理システムとISO9001」というセミナーに出席するためである。
「高等教育の品質管理」ということを自己評価委員になってからいろいろと考えているが、なかなか名案が浮かばない。
ISO9001については数年前に品質管理の専門家である旧友澤田潔くんに大学への導入の可能性を訊ねたことがある。そのときは「9001取得は手間がかかるから、大学への導入は当分ないんじゃないか」ということだったが、けっこう早く日程にのぼってきたようである。
というわけで26日は朝から夕方まで渋谷の東京法科大学院というビルの7階会議室で、ISO9001:2000という国際規格を大学教育システムマネジメントに適用するに際しては、どのような面倒なことがあり、いったん導入された暁にはどのようなヨロコバシイ事態が招来されるかについて、評価機関や導入先進校からのご講話を拝聴する。
ISO9001の取得校はまだ東工大、鹿児島大など、ごくわずかの大学のそれも一部署に過ぎないが、セミナーには今後導入を予定しているあるいは検討中の大学関係者が20人ほどいらしている。
まだその程度の数の大学しかISOの導入については本気で考慮していないということなのかも知れない。
もちろん本学にはISO9001の取得予定などというものはない。
「どうかね、ウチダくん、ISO9001の件、自己評価委員会あたりでちょっと揉んでおいてくれんかね」と肩をたたかれたわけではない。
しかし、「うちにも、ひとりくらいISOのことが多少分かっている人間がいないと、まずいわな」とよけいな気を病んで、ウチダがみずから申し出て出張旅費とセミナー代を学長からご下賜頂いたのである。
しかし、セミナーに出てよかったと思う。
10年以内にはISO9001の取得は大学のデファクト・スタンダードになるだろう。
本学の場合は、シラバスの整備、授業評価アンケート、教員評価システム、FDセンターの立ち上げなど、ISOの土台になる制度の骨格はある程度整っているから、あとは運用にかかわる精密なマニュアルを1年ほどかけてじっくり作成すれば、取得そのものは、それほどむずかしい仕事のようには思われない。
問題は、ISO9001:2000取得に要するその「1年ほど」の管理コストがそれによって得られるベネフィットと引き合うかどうか、である。
学内合意がとんとんと進み、FDセンターの設立趣旨にみなさんがご理解を示されれば、導入のコストはいくらでも軽減できる。
しかし、「マネジメントとかプロセスアプローチとかフィードバックとかいう横文字、わしは好かんのう」というような方々がいる場合、そのみなさんを説得して、モニタリングやら不適合報告書やらをにこやかに書いていただくところまでひっぱってゆくために要するコストは、しばしばそのシステムを導入して得られるベネフィットを相殺してしまう。
そのあたりのソロバン勘定がまことに悩ましい。
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(2004-05-26 21:14)