無印良政治家

2004-05-15 samedi

とうとう小泉首相まで年金未加入がわかって、江角マキコに始まる年金スキャンダルはしだいに荒涼たる風景を呈してきた。
未納未加入期間があったということは、年金制度改革法案の提案者である総理大臣が、現行の年金システムの趣旨が「よくわかってなかった」ということをはしなくも露呈している。
制度の趣旨がよくわかっていないひとが、その制度の改革を進めるということがあってよろしいのであろうか。
あまりよいようには思われない。
だが、ご自身は戦場で銃を取るつもりがまるでない人間が、「人的貢献」というようなことを声高に叫ぶ業界であるから、そういうこともおそらくあってよろしいのであろう。
まあ、自分のことは棚に上げて、ひとに負荷をおしつけるというのが政治家の骨法というものであるから、それもしかたがないか。
とはいえ、小泉首相の未加入期間とその理由についてを読んでいたら、納得するところがあった。おおかたの国民のみなさんも、同意されると思う。
それは「大学浪人中」の未加入のことではない(そういう尻に火がついてるときに、年金納入のためにバイトしたり、親に頭を下げて借金する予備校生がいるかどうか、私にはうまく想像ができない)。
そうではなく、「留学から帰国」のときの未加入理由である。
「69年8月ー70年3月:父親が急逝のため留学先のロンドンから帰国したが、ロンドンに戻ることも考えていたため加入せず」
もっともだよな、と私は思った。
年金というのは自分の「将来計画」がある程度見通せるときに「払う気」になり、先行きの展望が混沌としているときには、納付意欲がいちじるしく減退するものであることを、首相の事例はよく示している。
いまの日本で年金納付意欲がいちじるしく低下し、制度が崩壊の危機にあるのは、ことの順序からして、「先行きの展望が混沌としている」ためであって、制度を手直しすることで、「先の展望が見えてくる」というふうに話を進めるのにはいささかの無理がある。
昨日も書いたとおり、当今の若者たちは「決めたくない」のである。
「年金を払うのは国民の義務だから断固払う」というひとも、「年金なんかはらえっかよ、ばかくせー」というひとも、ともに少数派であり、大多数のみなさんは「年金はらったほうがいいのか、はらわないほうがいいのか、よくわからないけど、この『よくわからない』という状態をもう少しずるずる引き延ばしてもよいかしら」という状態にあるのではないかと拝察する。
先行きの見通しが見えないときは、決断しない、というのが21世紀の風儀なんだから。
アンガジュマンということを昨日書いたけれど、これはフランス語の動詞 engager の名詞形である。
engager というのは、語源的には gage(担保、質草、供託、保証)に入れる(en)ということ
である。だから s'engager は「誓約する、巻き込まれる、コミットする」などの意味になる。
ものを質草に置くときには「質屋が請け出しの日まで存続する」ことが前提になっている。
供託金を預けるときは「供託金の受託者が、誓約の成否が判明するまで供託金をキープしてくれる」ことが前提になっている。
アンガジュマン理論がさかんに言われたころの世界には「歴史の法廷」というものが未来永劫に「ある」ということになっていた(まことに牧歌的な時代であった)。
でも、いまの日本にはこの「質屋」や「受託者」が存在しない。
そういうところで、若い人に「あなたの運命を質屋に預けろ」と言ったって無理である。肝心の「質屋」がどこにもないんだから。
ロンドンに帰るかもしれないから、加入しなかった、という小泉首相のいいわけを、当今の若いひとたちはおそらくうなずいて受入れるだろう。
そういうものである。
日本なんかにいつまでもいないかもしれないし・・・たぶん、そう思っている若者たちも多いはずである。
いますぐ若者たちにその未来を託すにあたいする社会制度をつくれ、といってもむりである。
そんな無理無体なことを私は求めているわけではない。
でも、せめて、「よりましな制度を作る」ために鋭意努力をしている姿勢くらいは示してもよろしいのではないか。
国家に対するクレジットというのは、抽象的な制度に対するクレジットではなく、「制度を考案し、運営する人間」の「質」に対するクレジットである。
多少言うことが右往左往しても、多少失敗や瑕疵があっても、その人間の本性が「まっとう」であるということが知れる限り、私たちは「質草」を預けてもいい気になる。
そのような「とりあえず信用するに足る人間」であることが、「レイザーシャープな政策立案者」や「どんなに批判されても、のらくら言い抜ける三百代言野郎」よりもこと「未来」については当てにできる。
そういう「ふつうで、まっとうな」「無印良政治家」「無印良官僚」をこそいまの社会は望んでいるように思われるのだが。
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