Liberation を読んでみる

2004-04-11 dimanche

海外ではどういうふうに報道されているのか気になったので、インターネットでLiberation を読んでみる。
「日本人」「誘拐」で検索をかけると二つの記事が出てきた。
関連箇所を訳出してみる。

「サダム・フセイン体制の崩壊以後、アメリカ合衆国は日一日と全土に広がる蜂起と、同盟国の居留民の誘拐に直面している。ファルージャのスンニ派拠点での戦闘はますます激化し、昨日海兵隊員二人が狙撃されて殺害され、バグダッドの民衆は包囲された都市での蜂起に対してしだいに連帯を強めつつある。
(…) さらなる不安材料として三人の日本人と二人のパレスチナ系イスラエル人が昨日誘拐された。英国人一人もナシリア近郊で月曜から消息を絶っている。一方、バグダッド−アンマン道路で誘拐された七人の韓国人は即時解放された。
三人の日本人を誘拐したムジャヒディン軍団を名乗る未知のグループはアルジャジーラをつうじて放映されたビデオで『日本が三日以内にイラクから軍を撤退させないと三人の人質は生きながら焼かれるであろう』と告知している。
東京では三人の人質の映像を繰り返し放映している。このうち二人はNGOのメンバーであり、ひとりはフォト・レポーター。誘拐犯はこのうちの一人をナイフで切る真似をしている。政府はただちにイラクからの撤兵はないことを確言した。日本列島はテロ攻撃の恐怖で厳戒体制に入った。」

「イラクのスンニ派の叛徒は金曜バグダッド近郊で四人のイタリア人と二人のアメリカ人を捕捉した。イタリア人と言われる二人の新しい人質が目撃されている。一人は肩を撃たれ、二人とも泣いていたという。これでスンニ派地帯において最近誘拐された非イラク人人質六人(イスラエル国籍のパレスチナ人、カナダ国籍のパレスチナ人、英国の民間人コンサルタント、三人の日本人)に新たに四人が加わったことになる。日本政府はこれによってイラクから撤退することはないとを言明しており、同盟国は誘拐犯とは交渉しないことを明らかにしている。人質を捕捉しているジハード軍団という未知のグループはレバノンのテレビ局あての声明文の中でファルージャにおける同盟国軍隊の撤退を昨日要求した。」

興味深い報道である。
フランスの新聞に日本関係の記事が載ることは多くないが、これを読むと、フランスのインテリ読者が日本のイラク「支援」をどういう文脈でとらえているかある程度想像ができる。
記事を読む限り、自衛隊は「非戦闘地域」で「人道復興支援」に当たっている善意の人々であるというようなゆきとどいた理解は『リベラシオン』の特派員にはないようである。
それは「イラクからの撤兵はない」というときに自衛隊について「その国の軍隊」(ses troupes) という一般的な軍事用語を使っていることからもうかがえる。
関連記事も徴したが、自衛隊派兵の趣旨を「人道復興支援」に限定することで他の占領軍と識別するように読者に注意を促す言葉は今年の『リベラシオン』の記事には発見できなかった。
最初の記事の末尾の「日本列島はテロ攻撃の恐怖で厳戒体制に入った」というのも、本来この記事に使うべき情報ではない。
地下鉄やJRで警官の巡回が強化されたのは対日テロ攻撃の宣言がなされてからであって、この誘拐事件の直接の結果ではない。
しかし、この記者にはこの間の事件の連鎖は「誘拐」「撤兵拒否」「テロへの厳戒」というふうに「読めた」。
つまり、自国民が誘拐された。テロに屈しないという宣言を「ただちに」政府は行った。そして、これに対して報復的なテロがおそらくあるだろうという予測が日本国民に浸透し、「厳戒体制」(etat dユalerte) でテロと対決する姿勢を示している・・・というふうな流れがフランス人記者にはおそらく「見えた」のである。
これは現実と違う。
しかし、「首尾一貫した誤解」ではある。
もう一つの記事でも

「日本政府はこれによってイラクからの撤退はないことを宣言しており、同盟国は誘拐犯とは交渉しないことを明らかにしている。」

という箇所がある。これは普通に読むと、日本政府は撤兵を拒否し、交渉を拒否した(つまり誘拐された日本人を見殺しにする決断をした)としか読めない。
この文章では「日本政府」(Tokyo) と「同盟軍」(la coalition) はあきらかに同体のものとして扱われている。
これも事実と違う。
小泉首相が撤兵はないと宣言したときメディアに告げた主な理由はそれが「軍事行動ではなく、人道復興支援」だからというものであった。
政府は犯人グループとの交渉の可能性も含めて、人質救出に全力を尽くしているはずだが、それを伝える文言はどこにも見られない。
私が「興味深い」と書いたのはその点である。
フランス人の二人の記者は同じ「誤解」を共有している。
そして、おそらくそれは欧米の多くのメディアが(そしてイラクとその周辺国のメディアもまた)共有しているものだろう。
それは「日本政府は戦闘行為をする気がなく、ただアメリカに対するモラルサポートのつもりで、国内の反対を押し切って、象徴的に自衛隊を非戦闘地域での復興活動に送り出した」というややこしい家庭の事情をまるまる「無視している」ということである。
当然だと思う。
国際社会の常識として、そんなことは「ありえない」からである。
そのようなニュアンスに富んだ主観的意図を他人がこまやかに配慮してくれるいはずだと期待する方が無理である。
国際社会に対するふるまいにおいてたいせつなことは「先方に客観的にはどう理解(あるいは誤解)されるか」を一次的に配慮することであり、「こちらが主観的にどういう意図であるか」ということを言い立ててもあまり意味がない。
小泉首相は人道復興支援「だから」撤兵しないと言い、「戦没者の死を悼むことは人間として当然のことだ」と言って靖国神社に参拝している。
彼にとって最優先的に配慮されるべきなのは「自分の気持ち」なのであり、それが国際社会で「どう解釈されるか」ということには副次的な関心しかない。
この「自分の気持ち」を「他人からの解釈」よりも優先させる態度はわが国の首相に限らず、メディアで発言する人々にも、たいへん気の毒ではあるが、いま人質になっている三人の日本人にも共有されている。
そのことのもたらす災厄について、そろそろ真剣に考え始めたほうがいいのではないかということを『リベラシオン』を見ながら考えた。
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