『インターネット持仏堂』の相方である釈徹宗先生がアンナ・ルッジェリさんというイタリア女性をともなって芦屋においでになる。
アンナさんは立命館の先生で専門は「武道と禅」。
ヴェネツィア大学東洋言語文学学科の卒論が『白隠慧鶴―教えおよび修行』、花園大での修論が『白隠和尚「遠羅天釜」の思想的研究』、大阪府立大での博士論文が『禅公案の思想的研究―白隠慧鶴を中心として』というお方である。武道は糸東流空手を13歳からやっていて、三段。西宮の道場で教えている。
そういう文武両道才色兼備のイタリア女性である。
以前に多田先生が「イタリアでは『夜船閑話』の翻訳も出ていて、『白隠禅師のこれこれの公案はどういうことでしょうか?』なんていう質問をしてくるのがけっこういるんだ。イタリア人の方がそこらの日本人よりよっぽど禅に詳しいよ」と笑って話してくれたことがある(たしか一昨年の五月祭のあと、気錬会の北澤さんともうひとりイタリアの方とごいっしょに先生に「天せいろ」をおごっていただいたときのことである)。
そのときは「ふーむ」と思っていただけだったが、今回アンナさんにお会いして、「なるほど」と腑に落ちた。
「修士論文はオラテガマです」なんて言われても、それが書名だということがしばらくは分からなかった。
よその国のひとの方が、こちらの文化について詳しく真剣に研究しているということはよくある。
私がフランスで「専門はエマニュエル・レヴィナスの哲学で、『タルムード講話』を日本語訳しました」なんて言うと、ほとんどのフランス人が今日の私のような顔(「いったい、なんでまた、そんなことを・・・」という顔)をする。
そういう文化理解の「ずれ」は(手前味噌になるが)じつはけっこう生産的なものなのである。
「日本の文化は日本人にしかわからん」などという夜郎自大な幻想をもつのはまことに愚かなことである。
そのアンナさんが釈先生のご案内でウチダに会いに来られたは合気道について聞きたいということであったのだが、どうやらアンナさんが知りたいのは大東流のことで、これはウチダの管轄外。残念ながらごくおおざっぱな歴史的経緯をご説明するだけで、現在の大東流がどのような術理に基づいて、どんな稽古をされているのか、はたまたどのような名人達人がおられるのか、ウチダは寡聞にして知らないので、とくに教えて差し上げることがなかった(すまない)。
しかし、せっかくの機会であるから、多田先生の教えておられる「多田塾合気道」とはどういうものかについて熱弁をふるう。
強弱勝敗を論ぜず、他流を批判せず、気の錬磨の修行を通じて生きる力を高める、汎用性の高い「兵法」であるという説明にアンナさんも納得してくださったようである。
アンナさん自身もイタリア時代から「競技としての空手」というあり方に疑問があり、「トーナメント」とか「ランキング」という発想にいまでもなかなかなじめないそうである。
本学の高橋友子先生ともお友達だということなので、女学院にもイタリア語の非常勤で来てくださいね・・・とお誘いする。ついでに合気道もごいっしょに。
二時間ほどの歓談を終えて、部屋に戻って、引き続きレヴィナスの翻訳。
ごりごりごりごり。
夜の9時までノンストップで訳し続けて、ついに402頁までたどりつく。あと8頁。
この8頁は前に訳したところだから文言の修正だけ。ゆえに、本日をもっていちおう翻訳初稿は完成である。
やれやれ。
しかし、最後の方はほんとに訳しにくい文章であった。
すでに十冊以上レヴィナス老師の本を訳しているはずであり、その用語法には慣れているはずなのウチダであるが、それでもまったく構文が取れず、意味不明の文が何十行も続くと、立ち上がって「ああああああ」と髪の毛をかきむしることになる。
先日も書いたが、老師のお書きになる文章では「一つの文が一つの意味」ということがほとんどない。
文は倒置で始まることが非常に多く、主語らしきものが出てくると、ほぼ例外なしに同格の名詞が続く。それに関係代名詞がつく。その関係詞節の中の名詞にさらに関係代名詞がつく。平均してひとつの文に動詞(その多くが条件法)が5個くらいある。どの動詞がどの主語に対応しているのかよくわからない。
どうしてこんなに「わかりにくく」書くのか。
それはセンテンスを書いている老師の頭の中で、句点にたどり着く前に、思考が分岐し、反復し、迂回し、天に舞い、地に潜り、時間を遡り、駈け下り・・・ということがなされるからである。
あらゆる言明には、その言明を可能たらしめる厳密な条件があり「・・・が・・・であるかぎりにおいてこの言明は成り立つ」という限定条件をできるかぎり精密かつ網羅的に一センテンスに盛り込もうとすると、いつのまにか「こういう文」になってしまうのである。
だから、訳者であれ読者であれ、レヴィナス老師の文を「静止点」から一望俯瞰するということはできない。老師ご自身が自分の思考を一望俯瞰するということを断念している(というより自制している)以上、私らにできるはずがない。
私たちは書き手である老師と「いっしょに」迷路のような関係代名詞節と副詞節のあいだをうろうろすることなしには、道を先へたどることができない。
だから、レヴィナスの翻訳は、翻訳する作業それ自体が「公案を歯が抜けるまで噛みしめる」ような「修行」のプロセスになっているのである。
まことに教師として行き届いた方である。
とにかく『困難な自由』が一段落し、2004年の最初の仕事が終わった。
sigh
さ、次は『他者と死者』だ。
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(2004-03-24 11:10)