フランス語とゼミと杖道のお稽古。
フランス語は一年生のクラスなのだが、なんだか非常に静かである。しんとした教室に私の声とノートを走るこりこりというシャープペンシルの音しかしない。
教室で私語というのものを聞いたことがない(みんなお互いに口をききたくないほど仲が悪いというのでなければよいのだが)。
ゼミの諸君は四年生だから就職活動の今がピークのはずだが、ぞろぞろ来ている。
おそらくはやばやと内定をもらったか、はやばやと就職を断念したのかどちらかなのであろう。
なんでも、こういうものは切り上げ時が肝腎である。
就職活動についてはつねづね「そんなのは、卒業したあとに考えることである」と学生には教えている。
在学中はとにかく勉強に専心する。
卒業したら、のんびり世の中を眺め、旅行などもし、旧友との久闊を叙し、師友と語らって、ゆっくり「今後の身の振り方」を考えればよろしい。
在学中であるにもかかわらず大学にろくに顔を出さず、汗水流して「勝ち組になりたい!」などとおめいて就職活動に奔走するなどというのは言語道断である。
そのような愚かしくも拙劣な判断で選ぶから、新卒の諸君の30%が就職後3年以内に離職してしまうのである(10年後まで見れば、女子学生の就職者の90%は最初の就職先を離れているであろう)。
これこそリソースの無駄遣いである。
なぜもっとじっくり腰を据えて「ほんとうに自分がやりたいこと」を考えないのか。
こういうことを知るためには時間が要るものである。
書を読み、友と語り、見知らぬ街を歩き、さまざまな職業の人々に出会い、さまざまな社会に触れて、はじめて「こんなことがしたいなあ」という欲望が輪郭を取ってくるのである。
大学卒業後少なくとも一年間は読書と散歩と清談の「沈潜と思索」の時間がある方がよいと私は思っている。
そのあいだはバイトとかリゾートでバカンスとか、そういう「セコい」ことをしてはならない。
『卒業』のダスティン・ホフマンも、『こゝろ』の「私」も、『虞美人草』の宗近君も、大学を卒業したあとは、そうやって「ぼんやり」するものと相場が決まっているのである。
親の方も長い目で見たら、適切な職を見出させるためには、大学生の子どもの尻を叩くべきではないということくらい分かってよいはずである。
大学四年間プラス「沈潜と思索」一年間=五年間をもって「大学修了」というふうに考えれば済むことである。
それによって、大学生活はどれほど穏やかなものになるであろう。
企業ももう新卒採用を止めなさい。
「一年以上の沈潜と思索」を採用の条件とするくらいの英断はできないのだろうか。(その方が絶対おもしろい若者が集まってくると思うけどね)
(2003-06-23 00:00)