授業再開。
大学院は「猫の妙術」を読む。
「猫の妙術」は江戸時代の剣術の伝書中、澤庵の「不動智神妙録」と並んで、もっとも有名なものの一つである。短いけれど、実に巧妙な構成になっていて含蓄が深く、初心者が読んでもある程度修業した人間が読んでも、そのつど学ぶことが多い。
新潮文庫の『姿三四郎』の中に、矢野正五郎先生から借りて三四郎が読む場面があり、そこに全文掲載されている。
今回何度目かの読み直しで、「木猫」「木鶏」(@荘子)「木人」(@柳生宗矩)「かかし」(@澤庵)といった、一連の「ウッディー・アイテム」をなぜ伝書は武芸の至極の位とみなしてきたのか、その意味がほの見えてきた。
数年前、『木人花鳥』を書いているころは、これを単純に身体運用上の比喩と考えていたのであるが、やはりそれだけではない。
至極の位にある「木猫」について『猫の妙術』はこう記している。
「昔、我が隣郷に猫あり、終日眠り居て気勢なし。木にて作りたる猫の如し。人、その鼠を捕らえたるを見ず、然れども彼の猫至る処近辺に鼠なし。処を替えても然り。我れ行きてその故を問ふ。猫答へざるにあらず、答ふる所を知らざるなり。是を以て知る。知るものは言はず、言ふものは知らざるを。彼の猫は己を忘れ、物を忘れて物無きに帰す。神武にして殺さずと言ふものなり。」
これのもとネタは『荘子』にある。
闘鶏師紀昌の鍛えた闘鶏は、まるで木で作った鶏のようであったが、その影をみただけで、他の鶏たちは走って逃げ出した。
これを「神武不殺」という。
だが、これを「木猫」や「木鶏」の発する浩然闊達なる気の効果に圧倒されて、鼠や鶏たちが戦わずして逃げ去ったというふうに考えると、問題の本質を見損なうことになる。
だって、「それならがんばって浩然の気を養いましょう」と言うことになって、二段階前の「灰色老猫」段階に逆戻りだからである。
ここまで来て、稽古の段階が逆戻りするはずがない。
ということは、木で出来た猫は「気を発していない」と考えなければ話のつじつまが合わない。
気という言葉には無数の語義があるが、ここでは「変ずるもの」と解する。
「望気」という言葉があるように、変ずるものがあるときに、それは徴候化する。木猫は動かない。(縁側で寝ているだけである。)
木猫は変状しない。
木猫とは猫にして、猫に非ざるものである。
「これはどうも猫らしい」という示差的認知をかろうじて受けることのできるぎりぎりの記号性しかもたない猫。それが木猫である。
『トムとジェリー』が教えてくれるように、「対するもの」があるときにのみ「主体」は存立する。トムがいなければジェリーはいないし、ジェリーがいなければトムもいない。
「鼠を獲るものをネコ、蛇を獲るものをヘコ、鳥を獲るものをトコと名づける」という有名な猫の定義がある。ソシュールが読んだら膝を打って「一般言語学講義」の第二章第四節で記号の恣意性の喩えに使っただろう。
猫と鼠は同時的に生起する。
その存在の「厚み」や運動性やシステム内でのふるまいの影響力の大きさは、「それと差異化されている項」と完全にシンクロする。
木猫とは、猫的リアリティを極限まで削ぎ落とし、「ただの記号になった猫」のことである。だから、「ただの記号になった猫」のいる世界には「ただの記号になった鼠」しか存在できない。
木猫の近辺にも実は鼠はいるのである。
いるのだけれど、猫が縁側で寝ているので、鼠もまた床下で眠るしかないのである。
差異のシステムを活発に機能させているもの=気を不活性化させ、記号作用そのものを熱死させること、それが木猫の位である。
だからこそ木猫は神武不殺、天下無敵なのである。
だって、この世にあって殺すことの出来ないものはただ一つしかないからだ。
それは「すでに死んでいるもの」である。
他者と主体は同時的に生起する。
レヴィナス老師はそうおっしゃっておられた。
我あるが故に敵あり、我なければ敵なし、敵と言うは、もと対峙の名なり。
これは多田先生の教えである。
お師匠さまたちの言うことは帰する所つねに一である。
夜はゼミ三年生の「新年会」。
忘年会が流れたので、仕切直しである。参加者7名。
「檄辛キムチ鍋」を作る。「全員中腰状態」で、7000円分の白菜・豚肉・豆腐・しらたき・鶏ダンゴ・鴨肉・ニラ・えのきだけ・ラーメンなどが瞬く間に人々の腹中に消える。
よく食べるねー。
そのまま鍋を囲んでわいわいとおしゃべりをする。
「嘘をつくことの効用」「親不孝のススメ」「就職活動は卒業してから始めましょう」など持説を説く。親御さんが聞いたら青ざめるであろうが、仕方がない。これから先の時代を生き抜くためには、20世紀の「常識」はもう役に立たない。
10時半ごろみんなを帰して、あと片づけ。
夕刊をひろげたら、文化欄の「息抜きながら生き抜くための21世紀的動詞」の二回目に「ためらう」が取り上げられていた。私自身がファンであるところの加藤典洋さん、高橋源一郎さんといっしょにインタビューされるとはなんと光栄なことであろうか。
なになにと読んでみると、私が言った(らしい)ことが書いてある。
へえー、こんなことを私はしゃべったのか。
忘れていた。
結論は「ぼくはこれが好きなんだよ。好き嫌いに理屈はないの。だから、ほっといてね」というものであった。
これでは高校生のときとぜんぜん変わらない。私もまるで進歩のない男である。
(2002-01-08 00:00)