8月13日

2001-08-13 lundi

恒例の中禅寺湖での久保山裕司メモリアル・キャンプを終えて、帰ってきた。
キャンプは 20 年ほど前に久保山、伊藤ご夫妻4人で始まった。15 年ほど前に私がそれに加わり、以後、浜田、澤田、太田、竹信と蛍雪友の会のお歴々が順次参加するようになり、家族を含めて 10 名以上の大所帯キャンプを張っていた。
癌を発症したあとも、キャンプにだけは参加していた久保山隊長が 96 年の 12 月に亡くなり、翌年から「法事」として続けていたが、子どもたちは成長あそばして、もうキャンプなんかには関心を示さず、奥様たちも姿を消し、ついに今年から「純正おじさんキャンプ」になってしまった。
そのおじさんたちのうち、太田くんは精密検査にひっかかり、竹信くんは引っ越し騒ぎにとりまぎれ、参加したのは伊藤 "コスモ石油" 茂敏くんと、澤田 "コニカ" 潔くんと私の三人だけ。キャンプ史上最小の規模になってしまった。
それでも、相変わらず、無精ひげを生やしたおじさん三人が泥にまみれてずるずるとカップラーメンを啜り、スカッチを汲む。なりと食事はみすぼらしいが話題だけは世界史、世界経済、国際政治分析と妙にカタイ。
私は年に一度このキャンプでじべたにごろごろしながら、日本経済の激動の渦中にあるサラリーマンのおじさんたちから世間のナマ話を聴いて、いろいろとご教示いただくことをこの上ない愉しみとしている。今回も日本経済の危機的状況や、青少年ととりまく亡国的文化状況をはじめ、実に多くの有意義なお話を拝聴した。
恒例通り、しっかり雨に濡れてどろどろになって二泊のキャンプを終え、湯元の温泉寺へ上る。薬師湯で三日分の垢を洗い流し、さっぱりしてから煙雨の中を帰京。

その足で相模原の両親宅へ。
お兄ちゃんが甥のヨータンを連れてサイクリングの途中で実家に来ていた。山形以来の父、兄とウィスキーを啜りながら歓談。
季節柄、恐い話をききたいというヨータンのリクエストで、母が「相模台・恐怖の心霊スポット」を、私が「香港・猫茶器の祟り」と「九品仏UFO事件」の超常現象二席を演じる。
あまり知られていないことであるが、私は心霊のたたり、とUFOとのコンタクトを実地に経験しているレアな大学教師である。「霊界は存在する」と「地球外生命体は存在する」は私の経験的確信である。私の実証科学に対する姿勢にどこかなめた態度が散見されるのはおそらくそのせいである。

翌日は兄たちを送り出したあと、母とお茶を呑みながら世間話。
私は小学生のころから、母と台所のテーブルをはさんでお茶をしながら世間(といっても親戚と近所の人たちのことですけど)の家庭内事情について「あることないこと」詮索するのがたいへんに好きであった。今回も話題は奇をきわめ、二時間ほどふたりでしゃべりまくる。
今回の母の結論は「さっさと離婚して、さっさと子離れしておいて、あんたはよかったよ」というものであった。聞けば聞くほど世上の夫婦親子の葛藤は昨日の怪談を超えるオソロシサであった。

帰省ラッシュを避けて夕方相模原を発ち、たらたらと東名を下り、午後 11 時に無事御影着。行きも帰りも車内はずっと大瀧詠一と山下達郎の「新春放談」(97 年から 01 年まで)と大瀧詠一の「日本ポップス伝2」を聴き続ける。もう何十回も聴いているので、テープがそろそろすり切れてきた。これはどちらも活字にするか CD 化して頂きたいものである。ラジオ関東でやっていた「ゴーゴー・ナイアガラ」をテープから起こして CD 化するとかそういうことはできないのであろうか。ワンセット5万円でもうれし泣きして買うというナイアガラーが日本に 1000 人はいると思うけど。だめでしょうか。