2月20日

2001-02-20 mardi

非日常写真館」を開設すべくフジイ君にファイルを送ったら、すばやくアップロードしてくれた。銀行勤めでお疲れさまのところ、残業させてしまってすまない。どうもありがとね。
フジイ君の感想は「まあ、利発そうなおぼっちゃまで」という「近所のおばさん」的なものであったが、たしかに、いかにも「勉強してるよ、こりこり」という感じの童顔である。
じっさいによく勉強していたのである。
私は1965年当時、「日本でもっともよく勉強している中学生」のベストテンに入るくらいよく勉強していた。
中学三年の夏休みにトラホームになって、まぶたの裏側のつぶつぶをメスでごりごり削ぎ落とすという激痛の手術を終えたその足で、眼帯を鮮血で染めたまま、残った片目で受験勉強を始めたくらいである。正気の沙汰ではない。
高校受験の科目は9科目あったが、私は中学生の夏休みのあいだに履修範囲を全部記憶してしまったので、(その当時私が「カメラ目小僧」という特異体質であったことはかつて書いたことがあるね)秋からあとはすることがなくなった。
しかたなく、同じ問題集を何度も何度もくりかえしやっていた。カメラ目で問題も解答も全部覚えているのであるから、何回やっても満点である。
真夜中に、こりこりと赤鉛筆で際限なく円を書きつつ問題集の自己採点をしていると、お兄ちゃんが通りかかって不思議そうに、「なんで、答を知っている問題をやるんだよ?」とたずねたことがある。
考えてみたら不思議だ。答がわかってしまったクロスワードパズルを何回もやって、何が楽しいだろう。
答に窮しているとお兄ちゃんは、
「まあ、一服すっぺや」
とあやしげな笑みとともにお誘い下さり、お兄ちゃんの部屋で私たちはリー・モーガンを聴きながらハイライトを吸ったりしていたのである。
私が受験勉強をして分かったことは、それが決定的にくだらないものである、ということと、そのようなもので社会が階層化されることはまったく間違っているということであった。
その程度のことは勉強しなくたって分からなければいけないのだけれど、とにかく、私は15歳の冬に、現代社会においてドミナントな「査定システム」は、まるで信用できない、ということを学んだのである。