7月7日

2000-07-07 vendredi

S女子高校に「高校訪問」に行く。
進路指導の先生はとても感じのよいひとだった。
その先生から貴重なマーケットのなまの声を聞かせていただいた。
阪神間の女子大の凋落ぶりは劇的である。
甲南女子、神戸女子、山手女子、親和女子・・・みんなどこかの学科が予備校資料で「Fランク」にランクづけされている。
Fランクというのは、Free つまり「受ければ誰でも受かる」ということである。
どうしてFになったかということの理由はさまざまだが、決して教育内容に致命的な問題があるわけではない。単に「なんとなく人気がない」という気分的な現象なのである。
しかし、どんなヴァーチャルな理由からであれ、「Fランクされる」ということは経営を一気に傾けかねないほどのリアルなダメージである。
うちの大学もマーケットの動向が変化すれば、どの学科も「Fランク」の可能性がある。
これを食い止める方法は、単純なことだけれど、ひとつしかない。
どういう理由からであれ、「神戸女学院に行きたい」という思いをもった高校生を一定数(「一定数」でいいのだ)確保すること、それに尽きる。この学校は「なんだか私のためにある学校みたい」というふうに思ってくれる高校生を見出すことである。
でも、どうやって?
「営業」するしかないでしょう。
「大学教授、東奔西走す」という記事が今週の『週間朝日』の広告にあった。私大は民間企業であるから、営業活動をするのは当然である、と私は思う。マスコミが揶揄するような奇異なできごとではない。
私はもと営業マンであるから、こういう仕事には何の抵抗もないし、どちらかといえば好きな種類の仕事である。
24年前、翻訳会社を創業したときには定期的に仕事を流してくれるクライアントというのは一社もなかった。だから、全部営業で新規開発した。
毎朝営業会議をして、「重点地区」を決め、みんなで手分けしてあらゆるコネを頼りに東京のオフィス街を「絨毯爆撃」する。
足を棒にして会社から会社へ歩き回って、名刺をばらまき、米搗きバッタのようにへこへこしながら一日が暮れたが、それでも20社まわると、そのうちの1社は実験的に仕事を回してくれた。そのトライアルの仕事で期待通りのものを納品すれば、それ以後はコンスタントに仕事は入ってくる。
だから創業してから毎月売り上げは倍々で増えていった。
商品がよいものであれば、営業はけっこう楽しい仕事である。
そのとき営業の基本というのを経験的に学んだ。
要するに、「話をしているのが何となく愉快な」人間関係を構築するということである。
自分の会社がある取り引きでいくら儲かるというようなことは、現場の人間にとってはべつにそれほど現実感のあることではない。
むしろこの取り引きがうまくいくと、また「あの人」と会えるな、ということが楽しみで、取り引きの継続を願う、ということのほうが動機としては濃厚だったように記憶している。(それは自分が「クライアント」になってみるとすぐ分かる)
私たちが集めなければならないのは、とりあえず学科の指定校推薦枠の100人程度の高校生である。それは200の高校の進路指導の先生たちとフレンドリーな人間関係を構築すれば、それほど達成するのがむずかしい仕事ではない。5人の元気でオープンハーテッドな営業マンがいれば、1月でなんとかなる数字である。
私がみるところうちの学科には営業マンとしてかなり「できる」感じの先生がいる。
みんながんばりましょう。