1月6日

2000-01-06 jeudi

湯本で両親と別れて、新幹線で帰神。
車中で夏目漱石の『硝子戸の中』とジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』を読む。どちらも面白い。前日から『二百十日』『野分』と続けて読んだが、漱石はほんとに「いい人」である。レヴィナス先生も偉いが漱石先生も偉い。ファンクラブがあれば入りたいが、なぜか作家思想家については「ファンクラブ」というものがないのが不思議である。
私は「エマニュエル・レヴィナス先生遺徳顕彰会」というものを主宰していて、ひさしくその会長なのであるが、いまだ一人も参加申し込みがない。
みんなで集まって「コワントロウ」を飲みつつ、「レヴィナス・トリヴィア・クイズ」をしたり、「生写真」をみせあったり、「御真筆」のオークションをしたりしたいのだが、そういうことにはみなさん興味がないようである。なぜであろう。

今回の上京では『映画は死んだ』が局地的に(兄ちゃんと平川君に)好評であった。例外は父親。
「うーむ、あれは哲学だなあ。むずかしい。俺は最近はノン・フィクションしか読まんから」
というコメントでした。いちおうノン・フィクションなんですけど・・・。ん? フィクションかな、あれは。

明日から、また散文的な大学生活。初日からいきなり文学部教授会である。
「どういうふうになるんですか?」というお問い合わせの電話があった。

「ジャブの応酬から始まって・・・そうですね。途中からクリンチ、バッティング、ローブローが出て、悪くすると、耳噛み切られてドローじゃないかな」
「誰の耳が噛まれるんでしょうね」
「ぼくのじゃないといいんですけど」
「耳たぶないと、よくきこえないですよ」
「眼鏡もかけられなくなるしね」
「耳、噛まれないといいですね」

ありがとう。気をつけるよ。