端末を利用した学習環境は、今後、加速していくことと思われますが、一方で、未成年が端末を利用することの害悪について論じられることも、昨今いよいよ増えています。世界的に見れば、未成年の端末利用について制限する法制化も行われ始めています。
ナイフにしても、使う練習をしなければ安全に使うことはできません。同様に、端末もネットも、使う練習をさせることが必要であり、使い方の学びや教育が大切であると考えていますが、やはりその中毒性ある負の側面には、ナイフ以上の恐怖も感じます。
高校生の端末やネットとの付き合い方、また、学校教育での指導や端末の使い方について、内田先生はどのようにお考えでしょうか。
端末についての問題点はいくつもあります。
一つはSNS経由で入ってくるジャンクな情報を浴びているうちに偏ったものの考え方に固着することです。子どもはある種の「タブラ・ラサ」ですから、簡単に洗脳されます。学校で教わる情報が「建前」「きれいごと」であり、ネットで流れてくる情報が「本音」で「社会の暗部をあばくもの」だというふうに簡単に信じ込んでしまう。そして、一度刷り込まれた情報を解除するのはきわめて困難です。
武道では最初に入った道場で教わった技の癖はなかなか治りません。たった1週間通っただけでも、そこで刷り込まれた身体の使い方は、そのあと別の道場に移って何年も稽古しても、なかなか抜けません。最初にうっかり「間違った身体の使い方」を教わってしまうと、それを「抜く」のに長い時間がかかる。何年かかっても「抜けない」ことがある。
同じことがネットから流れてくるジャンク情報・フェイク情報についても言えると思います。中学生くらいのときに陰謀論を刷り込まれると、これを解除することはかなり難しい。
ネット接続は依存症をもたらすリスクが高い。「それがもたらすベネフィットと、それがもたらすリスクを考量して、それがもたらすリスクの方が高いテクノロジーについては、その開発や運用を自制する」という考え方のことを「テクノロジー謙抑主義(techno-prudentialism)」と言います。テクノロジーの進化は自然過程であるから、誰にも止められないという考え方をする人がいますけれど、それは違います。テクノロジーはあくまで人間の欲望や夢想を外形化したものです。それが人間を傷つけるリスクがあるなら、その運用については謙抑的であるのはごく合理的なことです。
未成年者のネット接続は「煙草」や「酒」と同じように、制限をかける方がいいように思います。
ご存じの通り、オーストラリアは16歳未満のSNS使用を禁止する法律を採択しました。日本でも、愛知県豊明市の市議会が「スマホの適正使用」にかかわる条例案を採択して、余暇のスマホの使用時間を「1日2時間以内」としました。WHO(世界保健機構)は2022年にゲーム依存症を「病気」認定して、一日のネット接続時間を2時間以内にすることを推奨していますので、それに準拠したものだと思います。世界で一番厳格なのはたぶん中国です。未成年は年齢に応じた使用時間が決まっていて、上限に達すると自動的にアプリが閉じてしまいます。8歳未満では1日40分、8~16歳で1時間、16歳以上18歳未満で2時間。中国の中高生はネット接続時間が一日2時間までということです。日本もほんとうはそれくらいに制限すべきだと思います。
先日、不登校児のための学習塾と家庭教師をしている青年から、彼が担当している「最悪の事例」の話を伺いました。この生徒は高校三年生の男子で、中学一年から不登校。自宅にこもってほとんどの時間を携帯でゲームをして過ごしているそうです。多い日は一日15時間という「ゲーム依存症」です。学力は中学低学年程度なので、大学進学は無理だし、社会的能力がないので働くこともできない。この子が仮にゲーム依存症治療に成功したとしても、彼が戻る先は中学校です。アルコール依存症やギャンブル依存症は多くが成人後に発症する病気ですから、治療すれば成人段階に戻れる。でも、未成年者がゲーム依存症に罹患した場合、治療が成功しても、戻る先は中学や高校です。果たして、二十歳過ぎた大人がそこに戻れるのでしょうか。
ゲーム依存症は学校教育での端末使用と直接の関係はありませんが、「携帯やタブレットを見ずにはいられない」依存症の子どもたちがこれから大量に出現することは間違いありません。先進国はいずれすべてが「未成年者のネット接続制限」のために法整備をすることになると思います。
日本はたぶんこの点では最も法整備が遅れると思います。教育行政に危機感がまったく感じられませんから。
(2025-11-18 15:36)