女性の政治進出について

2024-05-08 mercredi

 女性の政治参加が増加することでどのような社会の変化が期待できるのかについて意見を求められた。
 少なからぬ女性議員がいわゆる「保守」界隈にはいるけれども、彼女たちが男性議員と異なる政治的役割を果たしていると思っている人はいないだろう。あえて名を挙げるまでもなく、この人たちはしばしば男性議員以上に差別的であったり、強権的であったりすることで存在感を示している。こんな議員がさらに増えても、ろくなことは起きない。だから、この問いは「まともな女性政治家が増えることでどのような変化が期待できるか」でないと意味をなさない。
 でも、それだと「まともな政治家が増えると何が変わるか」という問いと実質意味は同じだから、答えは「政治がまともになる」に決まっている。
 実践的な問題があるとすれば、それは「まともな女性が政策決定に参加できる筋道をどうやってつけるか」である。
 昨年の統一地方選の時に、私の知り合いの女性たちが何人か立候補して、当選を果たした。多くはそれまで市民運動をしてきた無名の市井の人たちである。今の政治に「もう我慢できない」と自ら立ったのである。彼女たちの当選はその素志が有権者に伝わったからだろう。
 千葉県白井市、兵庫県宝塚市、東京都杉並区で議会が「女性過半数」となった。特に目立ったのは杉並区で、女性議員が改選前の15から25に増えた。これは明らかに岸本聡子区長の功績である。このような趨勢が他の自治体にも広がるなら、地方議会から政治は変わると思う。
 国政の参入障壁が高いのは第一に供託金が高額なせいである(選挙区300万円、比例区600万円)。組織的な支援がないとこの供託金は無駄になる。それに対して政令指定都市以外の市議選と東京23区の区議選は30万円である。これなら無名の市民でも「まともなこと」を訴えれば議席を得ることができる。つまり、地方政治の方が国政よりも民主主義として機能するチャンスが高いということである。
 国政がこれだけ劣化したのは、(異常な低投票率のおかげで)組織票を持つ公認候補なら人格識見と無関係に当選できるからである。レベルの低い政治家が増えれば増えるほど有権者の政治家に対する期待は萎み、投票意欲は減殺され、投票率は下がる。このメカニズムの最大の受益者が自民党の世襲議員たちであることは現状を見ればわかる。
 しかし、地方議会なら有権者は人格識見を基準に議員を選ぶことができる。だから、まず地方議会から「民主化」を進めることが最も現実的だと私は考えている。地方で「善政」の実績を積んだ議員が国政に進出する道筋をつけることさえできたら、遠からず女性議員が国政でも過半を制すると思う。(『通販生活』3月16日)