『自民党失敗の本質』(宝島社、2021年)に収録されたインタビュー(2021年8月に行われた)。もう3年近く前のものだけれど、自民党政治の内在的批判としては今でも有効だと思う。
―菅内閣の支持率は下落の一途を辿り、2021年8月の報道各社の支持率は30%を切りました。この1年間の菅政権の動きをどのように評価されていますか。
内田 随分長く日本の政治を見てきましたけれども、正直言って、最低の部類に入るんじゃないかと思います。ひと昔前だったら内閣が吹っ飛んでしまうような事態が、第二次安倍権以降何度もあったけれども、ここまでひどい内閣というのは過去に例がなかった。
たとえば2021年8月6日、広島での平和祈念式典でのスピーチが象徴的でした。菅さんは丸々1ページ、核廃絶に向けた日本の立場を示す約120字の原稿を読み飛ばしてしまい、結果的には意味の通じないセンテンスを発語してしまいました。
僕が一番驚いたのは、そうした「意味をなさない言葉」を平然と読み続けた点です。普通、無意味なセンテンスを発してしまったとき、気持ち悪さを感じて言い淀んでしまうものです。しかし菅さんは、意に介する様子もなく堂々と読み切った。普段も官僚がつくったメモをただ読んでいるだけで、その日も同じだったのかもしれませんが、意味のない言葉を口にしても気にならない、非常に強い「無意味耐性」を持つ人だと感じましたね。
―いつも棒読みするばかりで、意味のある言葉を持ち合わせていない。
内田 政治家にとって一番たいせつな能力は、国民に言葉を届かせる力です。これまでの出来事をどのように評価して、これから何をするべきか、届く言葉で語ることが不可欠なはず。雄弁でなくとも、「私の気持ちを理解して欲しい」という真率な思いがあれば、言葉は伝わります。でも、菅首相はそもそも国民に言葉を届かせる気がなかった。「言葉を届けること」より「言質を取られないこと」の方を優先した。これは、政治家としては致命的なふるまいだと思います。官房長官だった頃のこのコミュニケーションを拒否する姿勢を「鉄壁」などと持ち上げて、国のトップに就くのを許してしまったメディアの責任は重いと思います。
―言葉でアピールするという点では、たとえば小泉純一郎元首相などは、非常に言葉巧みだったという印象を多くの人が持っていると思います。
内田 小泉さんもしばしば言葉が空疎でした。「人生いろいろ、会社もいろいろ(年金加入問題が追及された時の発言)」とか、「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ(イラク特措法における「非戦闘地域」の定義についての答弁)」とかありました。でも、彼の場合、詭弁を弄している時には、ごまかしているという自覚はあって、顔に疚しさが浮かんでいました。でも、安倍・菅の2人は、嘘をつくことに対する疚しさをまったく感じさせない。ただ言葉が流れてゆくだけで、ためらいがない。そこに違いがあると思います。
ですから、小泉純一郎的雄弁というのは、言葉によって国民の耳目を引き付けるだけの力があった。大きな反発があるなかでも郵政民営化やイラク戦争への加担といった政治的決断をできたのは、「そこまで言うなら、小泉さんに下駄を預けようか」という国民の支持を集めるだけ言葉に力があったからです。
しかし、安倍・菅からは「ぜひ自分を支持してほしい」と懇請する気持ちが伝わってこない。賛否の判断に迷っている国民の袖をつかんで、自分の方に引き寄せるという気が感じられない。自分の支持者から拍手喝采されることは当てにしているのでしょうけれども、自分の反対者や無党派層を説得して、一人でも支持者を増やそうという気概がまったく感じられなかった。
―安倍・菅両氏が、国民からの支持形成に熱心でないのはなぜでしょうか。
内田 有権者の過半の支持を得なくても選挙には勝てることが分かったからです。選挙をしても、国民の約5割は投票しない。だから、全体の3割の支持を受けられれば選挙では圧勝できる。今の選挙制度でしたら、3割のコアな支持層をまとめていれば、議席の6割以上を占有できる。だったら、苦労して国民の過半数の支持を集めるよりも、支持層だけに「いい顔」をして、無党派層や反対者は無視した方がむしろ政権基盤は盤石になる。そのことをこの9年間に彼らは学習したのです。
―つまり、自分を支持してくれる人の歓心を買うことしか念頭になかったと。
内田 敵と味方に分断して、味方には公費を費やし、公権力を利用してさまざまな便宜を図る。反対者からの要望には「ゼロ回答」で応じて、一切受け付けない。それが安倍・菅的なネポティズム(縁故主義)政治です。森友学園、加計学園、桜を見る会、日本学術会議、すべてそうです。
ネポティズムというのは発展途上国の独裁政権ではよく見られます。韓国の朴正熙、フィリピンのマルコス、インドネシアのスハルト政権など、長期にわたって独裁的な政権を維持した国ではどこでも独裁者とその取り巻きたちが公金を私物化し、公権力を私的に利用していました。けれども、どの国でもある時点で、民主化闘争が起きて、公的なリソースはその政治的立場にかかわらず国民に等しく分配されなければならないという考えが常識になった。それが近代民主主義というものです。
しかし、安倍・菅政権では、開発途上国のようなネポティズム政治への逆行が進んだ。ふつうはあり得ないことです。ネポティズム政治を続けていれば、社会的公正が損なわれ、統治機構に対する国民の信頼が傷つき、国際社会における地位の低下をもたらす。つまり、国力が低下する。そんなことは誰でもわかっているはずなのに、安倍・菅政権はあえて後進国の統治形態をめざした。
ふつう、こんな政治が続けば、国民は怒りを感じて、選挙で野党に投票して、政権交代をめざすはずですが、日本ではそれが起きなかった。現政権から「いい思い」をさせてもらっている支持層は自己利益を確保するために投票に行くけれども、何を言っても、何をしても、まったく政治に意見が反映されないという無力感に蝕まれた人たちは、投票に意味を感じなくなって、投票さえしなくなった。その結果、投票率が50%を切り、有権者全体の4分の1を超えるくらいの支持を固めれば選挙に圧勝できるという「必勝の方程式」が完成した。
―彼ら二人が政権の座について実現したかったこととは、何だったのでしょうか。
内田 安倍さんの場合はかなり屈折しています。彼の見果てぬ夢は「大日本帝国の再建」です。ただし、一つだけ条件が付く。それは「アメリカが許容する範囲で」ということです。アメリカの「お許し」を得て、大日本帝国的な統治システムとイデオロギーを復活させること、それが安倍晋三の野望です。主観的には、祖父・岸信介の果たされなかった夢を受け継いでいるつもりなのでしょう。ただ、問題は日本は太平洋戦争でアメリカの若者たち16万5千人を殺した「旧敵国」だということです。大日本帝国の軍事的再建をアメリカは自国の安全保障上絶対に許しません。ただ、米軍は日本の自衛隊を米軍指揮下で自由に運用したいと思っているし、アメリカの軍産複合体は自衛隊に在庫で余っている兵器を日本に売りつけたい。だから、限定的には軍備を拡充することは許すけれども、米軍のコントロール下での活動しか認められないという条件は譲らない。
その結果、安倍さんの「大日本帝国再建計画」は「アメリカの許諾を得て、アメリカ以外の国と戦争する権利」を手に入れるというきわめてねじくれたものになっている。その権利さえ手に入れれば、国際社会でもっと「大きな顔」ができると思っている。日本が中国や韓国や北朝鮮に侮られているのは「戦争ができない国」だからだと彼は思い込んでいる。
憲法を改正して、「アメリカの許諾さえあれば戦争ができる国」になれば国際社会での地位が高まると彼は信じている。でもそれは、日本は主権国家ではなく、アメリカの軍事的属国に過ぎないということを国際社会に向けて改めてカミングアウトすることに他なりません。「日本はアメリカの属国だぞ」と大声で宣言することによって、国際社会から崇敬の念を抱かれ、隣国から恐れられると本気で思っているとしたら、かなり思考が混乱していると言わざるを得ません。
その一方で、国民の基本的人権を制約して、反政府的な人は徹底的に冷遇し、弾圧することについては安倍・菅政権はきわめて熱心に取り組み、みごとな実績を上げてきました。それは、この点についてはアメリカの許諾が不要だからです。
アメリカは自国益に資すると思えば、どんな独裁者とも手を結びます。アジアや中南米の独裁者たちがどれほど非民主的な政治を行っても、同盟国である限り、アメリカはまったく気にしなかった。ですから、日本の極右が「大日本帝国再建」のために国内をいくら非民主化しても、アメリカは口を出しません。この点については日本に政治的なフリーハンドが与えられている。
大日本帝国の再建のためには何よりもまず日本の統治者であり続ける必要がある。そのためには、アメリカから「属国の代官」として承認される必要がある。そのためには自国益よりもアメリカの国益を優先する必要がある。こうやって安倍は「アメリカの国益を最優先に配慮するナショナリスト」という非常にねじくれたものになった。でも、この「ねじれ」は深いところでは日本人全員が共有しているものです。
「対米従属を通じて対米自立を果たす」という「ねじれた」国家戦略を戦後日本は選択しました。それ以外の選択肢がなかったのだから仕方がありません。まず徹底的に対米従属する。そして、同盟国としてアメリカから信頼を獲得する。しかるのちにアメリカからある日「これまでよく仕えてくれた。これからはもう一本立ちして、自分の国は自分で差配しなさい」と「のれん分け」を許される...というシナリオを戦後日本人は夢見てきました。従業員が主人に尽くせば尽くすほど「自立」の日が近づくと信じるのと同じです。ですから、まことに不思議なことですけれども、「もっとも対米従属的な人が、もっとも愛国的な人である」という図式が戦後日本では成り立ってしまった。
でも、この「ねじれ」は日本人全員が深いところで共有してきたものです。日本人が集団として抱え込んでいる自己欺瞞を安倍さんは際立った仕方で演じて見せたに過ぎません。それが彼が一部の日本人から熱狂的な支持を得た理由でしょう。
これに対して菅さんにはそもそも実現したい幻想的なビジョンがありません。就任して最初に挙げたスローガンが「自助、共助、公助」でした。国民に向かって、「自分のことは自分で始末しろ。手が足りなかったら周りを頼れ。国にはできるだけ頼るな」とまず公言するところから仕事を始めた。国民に向かって、「できるだけ国に仕事をさせるなよ」と言ったわけです。ふつう政治家になるのは国民のために何か「よきこと」をしたいからですが、彼は別に実現したい政治目標がなかった。興味があるのは、権力者の座にたどり着くことだけだった。そのための裏工作や恫喝は得意でしたけれど、政権の座に上り詰めてから、やりたいことは何か考えたら「できるだけ国民のためには仕事をしたくない」というのが一番やりたいことだったということに気がついた。
―1955年以降続いた長期自民党政権と今の自民党政権とでは、政治の質はどのように変わったのでしょうか。
内田 55年体制当時の自民党は、ハト派からタカ派まで、立場を異にする人たちが集まっていました。例えば、僕のかつての岳父も自民党の代議士でしたが、戦前は日本共産党の中央委員で、特高に捕まって拷問された経験を持っていました。逆に、岳父の叔父は、戦前は農本ファシストだったけれども戦後は社会党の国会議員でした。だから、「所属政党は違うけれど、人間はよく知っている」ということが多々あったわけです。そういう人間的なネットワークが基になって、55年体制のいわゆる「国対政治」はできていたのだと思います。
自民党の内部でもイデオロギー的な統一性はなかった。だから、ある政権がきわめて不人気な政策をとって支持率が急落した場合でも、「疑似政権交代」によって、有権者の目をそらして、政権を維持することができた。
岸信介内閣の時、60年安保闘争で国論が二分した後には、「寛容と忍耐」、「所得倍増」を掲げる池田勇人内閣が登場して、「不愉快な隣人とも共存する」という国民融和が図られた。佐藤栄作内閣の時代にはベトナム戦争をめぐって国論が二分しましたけれど、次に登場した田中角栄内閣は「日本列島改造論」を掲げて、全国民が経済的に受益する政策によって国民融和を図った。分断的な政治家の後には融和的な政治家が登場して、国内の対立を鎮める。そういう「二人羽織」のような巧妙な術を使うことで、自民党の長期政権は維持された。
―田中角栄の時代には「五大派閥」が互いに拮抗し、「角福戦争」と呼ばれる事態にも発展しました。
内田 僕の知り合いで、学生時代に過激派だった男が、就職先がなくて、父親のつてで田中角栄に頼み込んだら「若い者は革命をやろうというぐらいの気概がある方がいい」と言って就職先を紹介してくれたそうです。彼はたちまち越山会(田中角栄の後援会)青年部の熱心な活動家になった。たしかに目くじら立てて「排除する」より「抱き込む」方が政治的な費用対効果はいい。こういう技を駆使する「食えないオヤジ」たちがかつての自民党にはたくさんいました。
―様々な層の支持を自民党が一手に受け入れていたのに、党が自ら懐を狭めていったと。
内田 中選挙区制の下では、たとえば群馬三区では福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三が同じ選挙区で「上州戦争」と呼ばれるほどの激烈な選挙戦を展開しました。三人がそれぞれに地方組織の充実に努めたので、派閥抗争が激化した結果、自民党全体の足腰も強くなるということが起きた。
ところが、ある時期から「派閥政治はよくない」という話になった。政治が派閥の間の密室のやりとりで決まるという非民主的なプロセスと、「政治とカネ」の醜聞に国民がうんざりしたからですから、そうなって当然なんですけれども、そのバックラッシュで、今度は「政党は上意下達で、一枚岩の組織であるべきだ」という極端な話になった。
小選挙区制によって、公認権を握る党執行部に権力が集中したということもありますけれど、政治家が「政党のあるべき姿」についてそれまでと違うモデルを選んだことも大きく影響していると思います。
かつての自民党の政治家たちが合意形成のモデルにしたのは「農村共同体」でした。農業従事者が日本の労働者の50%を超えていた時代に育った人たちですから当然です。彼らは村の寄り合いでものを決めるように、長い時間をかけて合意を取り付けた。でも、戦後世代の政治家たちはもう農村の合意形成システムなんか知りません。知っている組織といえば株式会社です。
株式会社では合意形成に手間をかけたりはしません。CEOが一人で経営方針決めて、それが下に示達される。トップのアジェンダに同意する人間が登用され、反対する人間は排除されるのは株式会社では当然のことです。CEOの経営判断の適否の判断は「マーケット」が下す。従業員が合議して決めるわけじゃない。どんなジャンクな商品であっても、マーケットに出したら、バカ売れして、売り上げが伸びて、株価が上がったら、それを決めたCEOは正しかったということになる。「マーケットは間違えない」というのは資本主義の基本ルールです。
株式会社では、事前に合意形成はしません。トップに決定権を与えて、事後の実績でその良否を決定する。ある時期から、政治家もメディアも何かというと「民間ではあり得ない」という決まり文句を口にするようになりましたが、あれは要するに「株式会社的ではない」という意味です。生まれてからずっと株式会社のような組織しか見たことがない人は、「組織というのは、そういうものだ」と信じているから、政党も行政も学校も医療もすべて株式会社のようなものに仕立て直そうとする。
自民党もある時期から「政党は株式会社のように組織化されるべきだ」と思い込む人たちが多数派になりました。トップに全権を委ねて、トップは自分のアジェンダにもろ手を挙げて賛成してくれる「お友だち」や「お気に入り」を重用して、反対意見を述べたり、懐疑的な態度をとる人間を政治家でも官僚でも遠ざけるようになる。そうして9年経ったら、上から下まで「イエスマン」ばかりで占められるようになった。
―党の「株式会社化」はどのようなタイミングで始まったのでしょうか。
内田 決定的だったのはバブル崩壊だと思います。成長が止まり、「パイ」の拡大が止まった。人間というのは「パイ」が大きくなっている間は分配の仕方にあまり文句を言ったりしないんです。自分の取り分が増えいる限り、分配方法はあまり気にしない。でも、「パイ」の拡大が止まり、縮小に転じると、いきなり分配方法が気になりだす。「おい、いったいどういう基準でパイを分けているんだよ。誰か『もらい過ぎ』のやつがいるんじゃないか。オレの『取り分』を誰かが横取りしているんじゃないか」という猜疑心が生まれてくる。
90年代の終わりくらいからですね、「パイの分配方法」がうるさく議論されるようになったのは。それまでは「どうやってパイを大きくするか」が優先的な課題だったのに、ある時期から「どうパイを分配するか」の方が優先的な話題になった。もちろん、そんなことにいくら時間を費やしても「パイ」は大きくならないんですよ。ひたすら縮んでゆくだけです。そうすると一層うるさく「パイの分配方法」はどうあるべきかについての議論に熱中するようになった。
その時に、「社会的有用性・生産性・上位者への忠誠心」を基準にして資源は傾斜配分すべきだということを小賢しいやつらが言い出した。「役に立つやつ」と「役に立たないやつ」を差別化して、「役に立つやつ」に多めに配分し、「役に立たないやつ」には何もやらないようにしよう、と。その頃からです、生活保護受給者へのバッシングとか、「もらい過ぎ」の公務員叩きとか、格付けとか評価とかいうことがうるさく言い出されたのは。どれもやっていることは同じです。もう「パイ」が大きくならないのだから、自分の取り分を増やすためには他人の取り分を減らすしかない。どうすれば「他人の取り分を減らす」ことができるか。その理屈を考えることにみんな夢中になった。「外国人」や「反日」や「あんな人たち」は公的支援を受ける資格がないという話を人々がするようになったのは、資源分配で「他人の取り分」が気になるようになったからで、要するに日本人が「貧乏になった」からです。「貧すれば鈍す」です。
株式会社化というのも、この時に出てきた「格付け」趨勢の一つの現れです。株式会社では能力よりも忠誠心が重んじられる。上位者の命じるものであれば、「無意味なタスク」であっても黙って果たす人間が重用される。「こんな仕事、意味ないじゃないですか」と直言する人間は嫌われ、排除される。忠誠心とイエスマンシップを勤務考課で最優先に配慮する。これが株式会社の人事の最大の弱点なんですが、「株式会社化した自民党」もこの弊害を免れることができなかった。
―トップダウンによる意志の統一は、一見、組織を強くするように思えますが。
内田 株式会社でCEOへの全権委任が許容されるのは、先ほども言いましたけれど、経営判断の適否についてはマーケットが判断を下すからです。トップの経営判断にマーケットがすぐに反応する。マーケットから「退場」を命じられたCEOは黙って去るしかない。「失敗したらすぐに馘になる」という保証があるから、CEOに暫定的に全権を委ねることができるのです。
でも、政治についても同じことが言えるかというと、これは言えないわけです。というのは、ビジネスにおける「マーケット」に相当するものが政治においては何であるかについて、社会的合意がないからです。
僕は政策の適否について判断を下す「マーケット」は国際社会における地位だと思います。ある政党が政権を担当している間に、その国の国力はどれくらい向上したのか、国際社会における外交的なプレゼンスはどのくらい重くなったか、その国の指導者の言葉に国際社会はどれくらい真剣に耳を傾けるようになったのか、その国をロールモデルにして、「あの国の成功例に学ぼう」という国がどれくらい出てきているか...、そういう指標に基づいて、政治の成否ははじめて判定できると僕は思います。
例えば、コロナ対策であれば、同じ問題に世界中の国が同時に取り組んだわけですから、その成否は客観的指標に基づいて正確に判定できます。人口当たりの感染者数、死者数、検査数、ワクチン接種率、医療体制...そういうものを比べれば、日本政府の「点数」ははじき出される。でも、日本政府はそういうことを絶対にしませんでした。というのは、彼らにとっての「マーケット」は国際社会における地位ではないからです。
では、何が「マーケット」かというと、それは「次の選挙」です。次の選挙で勝てば、それは 政策が「マーケット」の信認を得たということであり、政策が「正しかった」ということを意味する。政治家もメディアも、みんなそう言い立てています。「次の選挙」で多数の議席を取れば、それはこれまで行った政策はすべて「正しかった」という民意の信認を得たことであるという話になる。どれほど失政を重ねても、すべてうまくいっているようなふりをして、メディアがそのように宣伝して、有権者がそれを信じて投票行動をとれば、すべての政策は「正しかった」ことになる。
喩えて言えば、マーケットの反応ではなく、社内の人気投票で経営判断の当否が決まる会社のようなものです。いくら売り上げが下がっても株価が下がっても、従業員たちが「経営は大成功している」というプロパガンダを信じていれば、経営者の地位は安泰です。だから、今の政治家たちは実際に政策を成功させることよりも、「成功しているように見せる」ことの方を優先するようになった。
―コロナ対策についても、さまざまなミスが検証されないままですが。
内田 トップダウンの政体では、失政についての説明はつねに同じです。それは「政府の立てた政策は正しかったが、『現場』の抵抗勢力がその実施を阻んだのでうまくゆかなかった」というものです。スターリンのソ連も毛沢東の中国も、世界中の独裁政権の言い訳はつねに同じです。システムは完璧に制度設計されていたのだが、システムの内部に「獅子身中の虫」がいて、正しい政策の実現を阻んでいる。すべての失敗の責任はこの「反革命分子」「売国奴」「第五列」にあるというものです。だから、失政のあとには「裏切者」の粛清が行われるけれども、システムそのものは手つかずのまま残る。
今の日本も同じです。コロナ対策でも、「厚生労働省の政策は正しかったが、医療機関や国民が政府の言う通りにしないので、うまくゆかなかった」という話になる。そこから導かれる結論は「だからもっとシステムを上意下達的に再編すべきだ」というものです。憲法を変え、法律を変えて、政府の命じることに逆らう医療機関や市民に罰を与える仕組みを作ればすべてうまくゆくということを言う人がいますが、それは失敗した独裁者が必ず採用する言い訳です。
―自民党内で多様性が失われた一方で、野党に対しても「一枚岩ではない」といった批判がよくなされます。
内田 政党が一枚岩でなければならないなんてことをいつ決めたんですか。その理屈から言ったら、共産党や公明党が最も「一枚岩」ぶりが徹底しているわけですから、メディアは「共産党、公明党に投票しましょう」と社説に掲げるべきでしょう。そうじゃないと話の筋目が通らない。
綱領や規律できっちり固められた政党もあれば、かつての自民党のようなぐずぐずに緩い政党もある。僕はそれでいいと思いますけどね。綱領も違うし、組織原理も違う、めざす社会像も違う、そういう政党が並列していて、交渉したり、妥協したり、離合集散を繰り返しながら、とにかく国民にとって暮らしやすい社会を実現してゆく。それでいいじゃないですか。政党がどういう組織であるべきかについて「正解」なんかあるわけがない。メディアが「一枚岩じゃない」「党内で意思統一ができていない」ということをうるさく批判するのは、記者たちが株式会社しか組織を知らないので、「今の政党は株式会社みたいじゃないのは変だ」と言っているだけです。
いろんな政党があっていいんです。有権者は選挙のたびに自分の判断で投票する。地方選挙と国政選挙で、違う政党に投票したって構わない。有権者はどんなことがあっても一つの政党を支持すべきである。だから政党は単一の方針を貫徹するべきだという発想は幼稚過ぎると思います。
立憲民主党がふらふらしてどうも信用しきれないと批判する人がいますけれど、立憲民主党は「ふらふらする政党」なんですよ。それが持ち味なんだから、それでいいじゃないですか。「つねに、あらゆる政策判断について正しい政党」の出現なんか期待すべきではありません。どんな政党だって間違えます。間違えた後に「あれ、間違いでした」と正直に認める政党だったら、僕はそれで充分誠実だと思います。
―政治の世界だけでなく、より日常的な場面でも、白黒はっきりつけろという発想が広がっています。コロナ禍の中では特に、様々な分断が生じているように感じられます。
内田 敵か味方か、正義か悪かという単純な二項対立でしか政治を理解できないのは、市民的成熟度が低いことの証左だと思います。コロナでも、ワクチンを打つべきか、打たない方がいいのか、マスクはつけるべきか、外すべきかというようなのことが議論されていますけれど、そんなことは、本来科学的なマターであって、イデオロギーの問題じゃないし、まして人格の問題でもない。今までわかっているエビデンスに基づいて、科学者は暫定的な知見を示す。それなら「これくらいのことまでは分かっていますから、こんな感じでふるまってください」という大筋の合意形成くらいはできる。それなのに、感染症の専門家でない人たちが、自分でネットでかき集めてきた情報に基づいて、「こうあるべきだ」と断定する。これはまことに非科学的で幼児的な態度だと思います。予見不能のふるまいをするウイルスによる感染症なんですから、わからないことについては「わからないので、科学者の総意に従う」という節度を保つべきだと思います。
―日本の戦後教育の中で、そういった対話の訓練が十分なされてこなかったということでしょうか。
内田 学校ですべて教えるのは無理です。対話や合意形成の訓練は学校教育の手に余ることです。ひとりひとりが自分の社会経験を通じて、どうやって対話を成り立たせるか、どうやって合意を形成するか、試行錯誤を積み重ねていくしかありません。人に習ってすぐにできるようになるというものじゃない。大人たちが、実際に対話して、異論をすり合わせて、合意を創り出している実践の現場を見せて、そこで場数を踏むしかない。でも、今の日本社会では、そういう「民主的な組織」はほとんど見出し難いです。
―こうして見てみると、安倍・菅政権は今の日本の合わせ鏡のようなもので、変えていくのは至難の業のように思えます。
内田 そうだと思います。バブル崩壊から30年かけて、日本はほんとうに衰弱したと思います。経済の指標だけを見ても、世界の株式会社時価総額トップ30のうち30年前には日本企業は21社を占めていたのが現在ではゼロです。これから日本は急激な人口減・超高齢化の局面を迎えます。急落しつつある国力をV字回復させることはほぼ不可能だと思います。
でも、日本にはまだ豊かな国民資源が残されています。温帯モンスーンの肥沃な土壌も、豊かな水源も、多様な動物相・植物相も、あるいは上下水道や交通網、ライフラインのような社会的インフラも、行政や医療や教育も、まだ十分に機能しています。観光資源でもエンターテインメントでもまだ国際競争力はある。この手持ちのリソースをていねいに使い延ばしてゆく。再び経済大国になる力はもうありませんし、政治大国として指南力を発揮できるほどのヴィジョンもない。「穏やかな中規模国家」として静かに暮らしてゆく未来をめざすというのが現在の国力を見る限りでは一番現実的な解だと思います。
―こうした社会変革は、現下の自民党政権では不可能なことのなのでしょうか。
内田 いや、そんなことはないと思いますよ。失敗を認めればいいんですから。どうもこの30年ほど「ボタンの掛け違い」があったということを認めればいい。あらゆる組織は株式会社をモデルにして再編すべきだとしてきたことが日本の没落の原因だということに気がついて、「もうそれは止めよう」ということに自民党内の誰か言い出したら、僕はその人を支持しますよ。
これからの日本は長期にわたる「後退戦」を余儀なくされます。人口はどんどん減っていくし、経済も停滞する。大切なのは、そういうときでも「愉快に過ごす」ということだと思います。そういうときだからこそ、快活である必要があるんです。暗い顔をしていたんじゃ知恵は出ません。後退戦で求められるのは、「いかに負け幅を小さくするか」「いかに被害を最小化するか」です。「どれだけ勝つか」、「どれだけ儲けるか」を考える時だったら知恵も出るけれど、「負け幅を小さくする」というような不景気な話じゃ知恵も出ないという人もいると思いますけれど、申し訳ないけれど、そういう人は「後退戦」には向きません。
(2024-05-01 14:59)