兵器より温泉

2024-04-15 lundi

 定期的に悪友たちと集まって、箱根で湯治をしつつ麻雀をしている。50歳を過ぎた頃に始めた行事なので、もう20年を超えた。ずっと同じ旅館の、同じ部屋に泊まる。他の条件を同じにしておくと、経年変化が鮮やかに可視化されるからである。
創業メンバーの四人のうち一人(私の兄)はすでに鬼籍に入り、一人は認知症を病んで施設に収容された。残された二人(私と平川克美君)の友人を呼んで定員を補充したが、若手の代表格だった小田嶋隆さんは一昨年亡くなり、釈徹宗先生は多忙のためになかなか都合がつかない。今回はなんとか6人が集まり、五分咲きの桜の下で琴棋詩酒を楽しむ境地のまねごとをしてきた。
 箱根の様変わりぶりに驚かされた。前回(4か月前)の外国人観光客はほとんどが中国からのお客様たちだった。今回も中国人ツーリストの数は同じくらいだが、それよりはるかに多い数の非アジア系(欧米かオーストラリアからか)の観光客が駅やバス停にひしめいていた。若い人たちのグループもいるし、家族連れもいるし、旗を持ったツァーコンダクターについてぞろぞろ歩く中年の団体もいる。バカンスの時のスペインやイタリアの観光地でよく見た光景である。
 コロナ前の賑わいを取り戻したどころの騒ぎではない。どうやら歴史的な円安のおかげで日本の観光地は「安くて、美味くて、治安がよくて、接客サービスがよい」ということが全世界に周知されることになったようである。お客様たちの来訪でコロナ禍で文字通り「閑古鳥が鳴いていた」観光地が息を吹き返したことは慶賀の至りである。
 この風景を見て、やはり日本の未来は「観光立国」だろうと思った。食文化と接客の質において、間違いなく日本は世界一である。物価が高いのがネックだったが、為替格差のせいで日本は外国から見ると「非常に物価の安い国」になった。前にスキー場のリフトで隣り合わせたオーストラリアの青年になぜこんな遠くまで来たのか訊いたら「国内のスキー場に行くより、日本まで飛行機で来た方が安いから」と教えてくれた。たぶん、箱根にひしめいていた観光客たちも「スペインやイタリアより日本の方が安い」からいらした方たちなのだろう。
 こうなったら、もう「これで行く」と腹をくくったらどうかと思う。温泉、神社仏閣、桜や紅葉の名所、伝統芸能、美酒美食...日本には世界に誇る観光資源がある。一朝一夕でできたものではない。千古の努力の成果である。これに類する観光資源を有する国はアジアには存在しない。接客サービスの費用対効果では欧米をはるかに凌ぐ。だとすれば、世界中の人が「日本に行きたい。日本で休暇を過ごしたい。できたら日本で暮らしたい」と思うところまで「歓待の国」化したらどうか。
 中国人富裕層が日本に不動産を購入することを「侵略だ」と気色ばむ人がいるけれど、早とちりしなで欲しい。そういう人たちは資産を移す先は「できるだけ社会秩序が安定的であった欲しい」と願うものである。だから、もし中国政府が仮に日本との関係を対立的な方向に進めようとした場合に「そういうことは止めておいて欲しいです(私の家があるんですから)」と宥和的な政策を願うはずだからである。スイスの銀行に個人口座を持っている人たちは(テロリストでさえ)「スイス侵略」に反対するのと同じ理屈である。
 究極の安全保障は「その国が侵略されたり、破壊されたりすると私が個人的に困る」というステイクホルダーを全世界に持つことである。兵器を買う金があったら観光資源を充実させる方が安全保障上効果的であると私は考えるが、いかがだろう。(山形新聞、「直言」、4月9日)