三島君の『ここだけのごあいさつ』(小さなミシマ社)を朴東燮先生が韓国語訳したものがもうすぐ出る。推薦文をお願いしますと頼まれたので、さらさらと書いた。
三島君とはずいぶん長い付き合いである。まだ彼が最初の会社につとめていた二十代後半の頃にお会いしたのだから、今から20年くらい前のことである。
その時に自己紹介の言葉として『僕は旅人です』といったのがとても印象的だった。仕事の話は何もしないで、三島君はそれまで旅した世界のあちこちの話を聞かせてくれた。おもしろい青年だなと思った。
おもしろい人とはまた会いたくなる。
本を書いて欲しいと言われたので「うん書くよ」と答えた。一緒に仕事をすれば、彼にときどき会える。この青年がどんなふうに成長してゆくのかを見届けたい気がした。
最初の共同制作の作品として大学院ゼミでの一年間のやりとりを録音して、それを三島君がまとめることになった。それが『街場のアメリカ論』(2005年)である。
その次の学期は大学院ゼミで教育をテーマに授業をしたので、それを素材にして『街場の教育論』を仕上げた。それが書き上がる頃に三島君は独立してミシマ社を立ち上げることになったので、この本はミシマ社の最初期のラインナップに並ぶことになった。
日本の出版界に「革命」を引き起こすことになったミシマ社のスタートにかかわれたことは僕にとっては「物書きとしての光栄」である。
それから長いおつきあいが続いた。『街場の文体論』、『街場の中国論』、『日本習合論』、『日本宗教のクセ』(釈徹宗先生との共著)など忘れがたい本をたくさんミシマ社から出して頂いた。これからもきっと三島君は「先生、ぜひ書いてほしいテーマを思いついたんです」と言って、いきなりやってくると思う。
ミシマ社の社是は本書でも書かれている通り「小商い」である。本を作ることはたしかに「商売」ではあるけれども、商売にも節度がなければならないと三島君は考えている。利益を追求したり、会社を大きくしたりすることは彼がミシマ社を始めた理由ではない。彼が作らなければ、他に作る人がいないような本を作ること。彼が発掘しなければ、他に見出す人がいないような才能を掘り出すこと。この方向性において、三島君は創業以来揺らぎがない。
方向性には揺らぎがないが(本書を読めばわかるとおり)三島君の会社経営のやり方はつねに揺らいでいる。一度決めたことでも、なんとなく気が乗らないと「あれはなし」と撤回する。どうして変更したのか、そのときにはうまく説明できない。
中心にある柱に揺るぎない人は、周辺の細かいことについては、どうしてそうなるのか、あまり説明してくれない。本人もよくわからないからだと思う。
僕は三島君をわりと近くからずっと観察してきた。劇的な方針転換がいくどかあったけれど、それについてご本人から「納得のゆく説明」を聴いた覚えがない。でも、僕はそんなことぜんぜん気にしない。端からみると「劇的な方針転換」なのかも知れないけれど、三島君自身はまっすぐ自分の道を歩いているからである。
「旅人」がどこで何をしているのかは、僕たちにはよくわからないけれど、彼が「旅人」であることは決して変わらない。
彼の旅に豊かな祝福がありますように。God speed you!
(2024-03-06 11:15)