まえがき
みなさん、こんにちは。内田樹です。
今回の本も、コンピレーション本です。あちこちの媒体に書いたものをエディットしてもらって一冊にしました。タイトルをどうしようか考えました。最初編集者からは「仮題」というもの(『不思議の国、ニッポン』というのです)が提示されたのですが、なんだかぴったり来ないなあ・・・と思って、「ちょっと考えさせてね」と言ってお待ち頂きました。この「まえがき」を書いている段階でも、実はまだ正式タイトルが決まっていないのです。
タイトルに必要な条件とは何でしょうか。今ちょうどそれについて考えているところですから、「まえがき」に代えて、それについて考察してみたいと思います。そして、この「まえがき」を書き終える前に、タイトルを思いついたら、それを採用することにします。作品の生成過程そのものを作品化するって、なんだか懐かしい「60年代」みたいですね。
そういえば、このところ僕のところに来る仕事って、あの「懐かしい60年代、70年代」を回顧するインタビューが多いんです。
つい先ほども「1972年の時代の空気についてインタビューしたい」というオファーがありました。その年に『木枯らし紋次郎』と『必殺仕事人』の放映が始まったんだそうです。そういうアウトローをヒーロー視する時代の空気があったんでしょうかという質問が書かれていました。企画書を書いているのは40歳くらいの人なので、もちろん52年前の時代の空気なんか知りません。僕が40歳の時(1990年です)の52年前というと1938年です。盧溝橋事件があり、日本軍が上海に侵攻し、暮れには南京大虐殺があった年です。もし、その頃の「空気」を知っている73歳の古老に40歳の僕がインタビューする企画があったとしたら、どうなったでしょう。「その頃の日本人て、いったいどんな気分だったんですか?」と僕が訊くと、「戦後生まれの若い人にはわからんじゃろうがのう・・・」というふうに古老は語るんでしょうけれど、彼が何を語るか僕には想像もつきません。
ともかく、僕ももうそういう年回りになってきたようです。ここ数年は「現代史の生き証人は語る」というタイプのインタビューが増えました。1969年の三島由紀夫vs東大全共闘の時代の駒場の空気はどんなでしたかとか、羽田闘争で山崎博昭君が亡くなった時に何を感じましたかとか、早稲田大学で川口大三郎君が殺された時にはどう思いましたかとか、いろいろ訊かれます。
もちろん、僕に同時代を代表して発言する資格なんかないのですが、その頃の政治のことについて、僕の同世代の人たちはわりと口が重いんです。その中にあって「何を訊いても機嫌よくインタビューに応じてくれる古老リスト」みたいなものがメディア業界にはひそかに流布されていて、そのリストの上の方に僕の名前が書いてあるんじゃないかという気がします。
この本に収録されているのはだいたいが時事的なトピックについての僕の私見ですけれども、僕の年齢を考えると、これらも「同時代人のコモンセンス」とはほど遠いものではないかという気がします。きっと読者も「へえ、そうなんだ。昔の人は同じものを見ても、ずいぶん違う感想を持つんだなあ」という意外性を求めて僕の本を手に取っているんじゃないでしょうか。
僕が子どもの頃に『時事放談』というテレビ番組が日曜朝にありました(山下達郎さんと大瀧詠一さんが20年以上にわたってラジオで続けていた『新春放談』はそのパロディなんです)。僕が観ていたのは小汀(おばま)利得さんと細川隆元さんのお二人がやっていた時です(ビートルズを「乞食芸人」と呼んで、「日本武道館なんか貸すな、夢の島でやれ」という発言で大炎上した頃のことです)。僕は中学生で、もちろんビートルズの大ファンでしたけれど、番組を見て、げらげら笑っていました。「お爺さんたちって、ほんとに世界の見え方が違うんだな」と思ったのです。
でも、それから半世紀以上経っても、この番組のことはずっと覚えているんです(山下達郎さんたちも)。それはこのような「世界の見え方が違うお爺さん」たちの言葉のうちに、何か少年の心に刺さるものがあったからだと思います。
僕の物書きとしての立ち位置も、たぶんぼちぼち「時事放談」的なところに収まりつつあるのではないかという気がします。時事的なトピックを扱うけれども、切り取り方がまったく「現代的」ではない、という。別にそんなことを意図しなくても、気がついたら同時代から「浮いて」しまっている。だって、先ほどからいくつか事例を引きましたけれど(『木枯らし紋次郎』から『時事放談』まで)、若い読者はどれ一つとして知らないでしょう? 読者に何かを説明しようとして具体的な「喩え」を探してきても、そのほとんどが「誰も知らない話」になる。これがどうも現在における僕の物書きとしてのきわだった個性ではないか、そんな気がしてきました。それならそれで、肚を括って、「古老の語り」に徹しようじゃないか。
この本と同時期に並行して、やはり新聞や雑誌に寄稿した短文を集めたコンピレーション本を作りました。そちらは『凱風館日乗』というタイトルにしました(永井荷風先生の『断腸亭日乗』を借用いたしました)。古老の語りですから、それくらい古臭い方がつきづきしいのではないかと思いまして。
さて、本題に戻って、タイトルの条件ですけれど、一番たいせつなのは「覚えやすい」ということですね。本屋に行って探す時にタイトルを思い出せないと困ります。昔、どういうタイトルが覚えやすいか考えた結果、「五七調」が覚えやすいのではないかと思い至りました。『ひとりでは生きられないのも芸のうち』とか『私家版・ユダヤ文化論』とか『村上春樹にご用心』とか、実は五七調なんです。
あと、書店員さんに訊く時に、あまり言いにくいタイトルは困ります。昔、林真理子さんの『花より結婚きびダンゴ』という本が出た時に書店に買いに行ったんですけれど、周りにお客さんがいて、書店員さんに向かってなかなかそのタイトルが言い出せなかったことがありました(ちゃんと買えましたけど)。
もちろん本の内容を一言で言い表しているようなタイトルでなければなりません。でも、タイトルを見ただけで中身が想像がついてしまっては、それはそれで困る。謎めいていた方がいい。中沢新一さんの『チベットのモーツァルト』なんて、インパクトありましたよね。どんな中身か想像もつかない。トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』もそうですね。どうやってティファニーで朝ご飯を食べられるのか・・・つい考え込んでしまう。矢作俊彦さんの『マイク・ハマーに伝言』も素敵なタイトルでしたね。誰がどうやってマイク・ハマーに伝言を伝えるんでしょう。高橋源一郎さんの『ジョン・レノン対火星人』もすばらしいタイトルですね。いったい、ジョン・レノンと火星人は何で対決するのか。囲碁かじゃんけんかにらめっこか・・・想像もつきません。やはりタイトルは「アイ・キャッチング」であり、かつミステリアスでなければならない。
難しい条件ですが、これでだいたいタイトルの条件は揃いました。あとは思いつくだけです。こういうのはぱっと頭に浮かんだのがいいのです。はい、決まりました。「だからあれほど言ったのに」です。とりあえず五七調という条件はクリアーしました。どういう意味ですかとか、そういう硬いことは訊かないでください。「なるほど、そうですか」と静かに笑って受け入れてください。
では、「あとがき」でまたお会いしましょう。
「あとがき」
最後までお読みくださって、ありがとうございました。いかがでしたか。
素材はいろいろな媒体に書いたり、講演録を文字起こししたりしたものです。文体も想定読者も違うテクストをまとめたので、読みやすく整えるために、だいぶ加筆しましたので、3分の1くらいは「オリジナル書き下ろし」です。
ただ、時事的なもの(ウクライナ戦争やガザの虐殺、あるいは人口問題)については初出のままにしてなるべく手を入れないようにしました。ですから、数値的データその時点のままになっています(GDPもまだドイツに抜かれる前で「世界三位」です)。その時点での情報に基づいて考えたことなので、後知恵で手を入れると、話の筋目が通らなくなるかも知れませんから、そのままにしてあります。「なんだよ、ずいぶん古い話してるなあ」という感想を持たれたかも知れませんが、そういう事情なのでご海容ください。
いろいろな媒体に二年くらいの間に書き散らしたものですけれども、通読してみると、中心的なテーマは「日本の未来を担う人たち」をどうやって支援するか、ということに尽くされているように思いました。とくに子どもたちを「決して傷つけず、『無垢な大人』に育て上げる」ということが今の日本人にとって最優先の課題ではないかと思います。
でも、今の日本の大人たちは(家庭でも学校でも)、子どもたちを怯えさせ、萎縮させ、硬直させることに熱中しているように僕には見えます。どうして、そんなことをするんでしょう。
権力の側にいて、管理する人たちがそうするのはわかります。でも、「政治的に正しいこと」を訴える人たちも、しばしば人々を「怯えさせ、萎縮させ、硬直させる」ことに熱中しています。
でも、声を大にして申し上げますけれども、処罰されることの恐怖からは「よきもの」は何も生まれません。創造のためにはある種の無防備さがどうしても必要です。「アジール」というのは、「無防備であっても傷つけられるリスクのない場」のことです。社会全体が「アジール」である必要はありません。でも、あちこちの片隅にそのような「ミステリアスな暗がり」がある社会の方がみなさんだってきっと暮らしやすいと思います。
2024年2月
(2024-02-19 10:57)