第二番目の質問は、内田先生が学者としていままで創り上げられた「学知」などがありましたら教えて頂ければ幸いです。
さあ、これが最後の質問ですね。これもまた、日本のメディアから一度も訊かれたことのない問いです。せっかくの機会ですので、真剣にお答えすることにします。
僕が長期にわたって専門的な訓練を受けたのは、20世紀のフランスの文学・哲学の研究と、武道(合気道)の二つの領域です。この二つについては「それでご飯が食べられるくらい」の訓練は受けてきました。
フランス文学・哲学についての業績はレヴィナス三部作(『レヴィナスと愛の現象学』、『他者と死者』、『レヴィナスの時間論』)と『前―哲学的』に収録されたいくつかの学術論文があります。『私家版・ユダヤ文化論』も長年にわたる思想史研究の成果ですから、学術的業績にカウントしてよいと思います。助手時代から書いた学術論文はその多くがそのあと単行本として出版されました。中には賞を頂いたものもありますから、学者としてはまことに恵まれた人生だったと思います。
ただ、僕はフランス文学・哲学の研究者としては評価があまり高くありません。いや、正直に「低い」と言った方がいいですね。僕がメディアに出る場合、つけられる肩書は多くの場合「思想家・武道家」です。「翻訳家」と紹介される場合もありますし、「評論家」とか「哲学者」という肩書を付けられたこともあります。でも、「仏文学者」という肩書でメディアに登場したことは過去に一度もありません。なぜ日本のメディアは僕を「仏文学者」として認定してくれないのでしょう。これはメディアの側にやはり一つの暗黙の合意があるのだろうと僕は思います。僕は「思想家」や「評論家」ではあっても、「学者」ではないという合意です。
なぜ、僕は学者としては認知されないのでしょうか。
これは友人の研究者から聞いた話です。彼が学会のあとの懇親会で若手研究者たちとおしゃべりしているときに、たまたま僕のことが話題になったそうです。そのときに、40代の研究者たちが口を揃えて「内田はダメだ」という辛い評価を下したそうです。友人は興味がわいて「どうして?」と訊いたら、「自分の専門外のことに口を出し過ぎる」という答えだったそうです。
たぶん、この評語は、僕についてついてまわるものだと思います。なぜ、ひとつの専門領域に自分を限定せずに、あれこれと口を出すのか。彼らのその言い方には「怒り」に近いものが感じられます。
たぶん僕は「ルール違反」を犯しているのだと思います。それは若い人たちも、研究者・学者として生きることを選んだ時点で受け入れたルールです。それを受け入れないとアカデミアでは生きていけないと思った。でも、僕は「ルール違反」を犯しながらなお大学の教師をしたり、研究書を書いている。内田のケースはあくまで例外的であり、本来学者として許される生き方ではない。そういう暗黙の合意があるのだと思います。僕の生き方をアカデミアに対する敬意の欠如だとみなすなら、彼らの「怒り」もわかります。
では、僕が犯している「ルール違反」とは何か。
それは僕が研究対象について「一望俯瞰的」な仮説的立場をとらない/とることができない、ということにあるのだろうと思います。
学術論文において、主語は「私たち(We/Nous)」を用いるのがふつうです。それは研究を導いているのは、個人ではなく、ある種の「集団的な知性の働き」のようなものだとされているからです。抽象的で、透明で、いかなる主観性からも離脱し、もちろん身体も持たない「私たち」が研究の主体に擬されている。そして、この身体をもたないし、個人史も持たない「私たち」は高みから、自分自身の研究の論程を一望俯瞰している。
これが学術論文を書く時の基本的な作法です。朴先生もそういうアカデミアのルールは熟知されていると思います。
ですから、論文の「序文」において、「私たち」は、これから自分が行う研究の全行程を鳥瞰的に眺め、論程をざっと要約して、結論がいかなるものであるかを予示できる者として登場します。論述が始まる前の時点で、すでに論文の結論まで知っているものが「私たち」です。そういう観想的な「私たち」を主体に擬すことなしに学術論文は書くことができません。
僕もある時期まではそういうスタイルで書いて来ました。序論を書いている時点で結論まですでに見通しているような「透明な知」の名において論文を書いてきました。『前―哲学的』をお読みになったときに、朴先生はおそらく「これらの論文を書いているときの内田の書き方って、今とずいぶん違うな・・」という微妙な違和感を覚えたのではないかと思います。自分で読んでもそう思います。それはとりあえずの論件については「観想的主体」として書いているからです。「このトピックにかかわる必要な学術情報を私たちは上空から俯瞰しており、それらを熟知した上で書いているように書く」というのが学術論文を書く時の基本的なマナーです。
だから、学会で発表している人間に対して、「あなたは、この論件について書かれた・・・の論文を読んだか?」という質問が致命的なものになり得るのです。この問いに対して「知りません」と答えるのは、アカデミックな基準では「負けを認めること」を意味します。
僕は学会でそういう場面に何度も立ち会いました。そして、「・・・を読んだか?」「なぜ、・・・に言及していないのか?」という知識の欠如を一つでも指摘すると、発表者に致命傷を与えることができるという「アカデミアのルール」に対して、ある時期から深い疑問を抱くようになりました。
自分の論程の全体をはるか高みから一望俯瞰しているという「設定」は、そんなに必須のものなのだろうか。網羅的であることは研究にとってそれほど本質的なことなのだろうかと思い出したのです。「なかなか独創的で生産的なアイディアを提示したのだけれども、これについて研究する人間なら当然読んでいるべき基礎的文献を読み落としていたので、学術的には価値がない」という推論は間違っていると僕は思います。
というのは、学問というのは「集団的な営為」だからです。誰かがある知識を欠いていたとしても、別の誰か、その知識を持っている人が、「ほい」とそこに補填してあげれば、その人の研究のうちで価値あるものは「価値あるもの」としてそのまま救い出すことができる。まとめて「ゴミ箱」に放り投げるより、ずっとその方が生産的です。
何より僕が「豊かな研究」と評価するのは、その人がその研究をしたことによって、反論であれ、擁護論であれ、解釈であれ、祖述であれ、多くの人が「それについて語る」ような研究です。集団的な知の活動を解発するような研究です。集合的な知的パフォーマンスを向上させる人を僕は「知性的な人」とみなします。僕はある時期からそんなふうに考えるようになりました。
若い学者たちが僕の態度を「ルール違反」と感じたのは、ただ僕があれこれ専門外のことに口を出すということではないと思います。そうではなくて、僕が「私たち」という匿名的な知の主体として語ることを止めたからだと思います。僕は個人史を持ち、身体を持ち、それゆえ固有の無知や偏見や感情に囚われた一人の人間として研究をしています。「私たち」を棄てて、「私」という一人称単数形で語ります。それがおそらく「ルール違反」と認定されたのだと思います。だって、無知や偏見込みで語ることができるなら、「どんなことについても、何でも語れるじゃないか」ということになりますから。
いや、まことにその通りなんです。僕がどんなことにも無節操に口を出すのは、「何でも語れる」からです。僕は「大きな主語では語らない」。「私」の固有名において語り、語ったことがもたらす責任は自分ひとりで引き受ける。僕は別に真理の名において語っているわけじゃありません。「私の個人的意見」を述べている。
でも、勘違いして欲しくないのですが、そう腹をくくっていられるのは、僕が学者たちの集合的な営みに深い信頼を寄せているからです。
僕が「学術的貢献」というものを果たし得るとしたら、それは集合的な知的生産のうちで「僕以外の誰にでも代替できない仕事」をすることによってです。「他の人でもできることを他の人より手際よくやる」ことによってではありません。僕は自分の仕事をする。それは、僕が「他の研究者たち」の誠実な仕事ぶりを当てにしているからです。僕が断片的であることができるのは、僕の断片的な知でも、「他の研究者」たちのかたちづくる集合的学知に加算してもらえると、それなりの有用性を持ち得ると信じているからです。
一人であれもこれもやる必要はないんです。野球で守備をするときに、一人で投げて受けて守備をして・・・ということはできません。僕がもしライトなら、ライトの守備範囲だけきちんと守っておけばいい。一人で全フィールドを走り回ることなんかない。その代わりにライトから見えた夕暮れの空の色や、吹き抜ける風の冷たさや、観客たちの声や、流れて来るポテトチップの匂いや、ライトフライを取るときぶつかったフェンスの感触をきちんと経験しておいて、それをその時ライトを守っていなかったすべてのプレイヤーのために、その時に球場にいなかったすべての人たちのために記憶し、記述することの方が、ずっと有用なんじゃないか。ある時期から僕はそんなふうに思うようになりました。
僕の仕事はごく断片的なものに過ぎない。僕が目を通した文献や史料は、僕が直感的に手に取ったものだけで、まったく体系的でも網羅的でもありませんでした。でも、それでいいじゃないか、と。それは他ならぬ僕固有の断片性だからです。僕がある本を読み、ある本を読まなかったのは、僕なりの無意識の選択の結果です。でも、こういう言い方を許してもらうなら、僕の断片性は僕だけのものだし、僕の無知は僕だけのものであり、その断片性と無知には僕の固有名が記されています。そして、このような個人名を刻印された無数の「断片性と無知」の総和として集合的な学知は成り立つ。僕はそんなふうに考えています。
研究論文を書く時に、「大きな主語」で語る必要はない。そう思うようになってから、僕はずいぶん自由になったように思います。もし僕が「私たち」的な学術主体を書き手に擬していたら、レヴィナス三部作は書かれなかったでしょう。だって、もしも、「リトアニアの歴史と地政学を知り、ロシア語とドイツ語とヘブライ語を習得し、篤学のラビについてタルムードの弁証法を学ぶことなしにはレヴィナスを語る権利はない」という人が出て来たら、あるいは「そもそも自分自身が反ユダヤ的迫害も戦争も捕虜生活もホロコーストも経験していない人間にレヴィナスを語る資格はない」という人が出てきたら、僕は黙るしかないからです。でも、僕は黙りたくなかった。
それは「弟子」というポジションから書きたかったからです。「私たち」という鳥瞰的・観想的な主体から書くことを放棄して、僕は研究対象について「よく知らない、でももっと知りたい」という欲望に駆動されて書くことを選びました。それは手探りで暗闇の中を進んでゆくような研究の仕方です。ですから、序論で全体を予示することもできないし、ある結論に至るために過不足なく材料を調えることもできません。直感に導かれて書いているうちに、うまい具合に見通しが立つ場合もあるし、袋小路に入り込んでしまって分岐点まで引き返してやり直しをすることもあるし、同じ話を何度も何度も繰り返すということもあります。どれも「私たち」が一望俯瞰して書く学術論文では許されないことです。でも、僕はある時期からどれほど不細工でも、「正直に書く」ことを最優先するようにしました。
その結果、僕の書くものはどれも「長い断片」になりました。ごく個人的な知見を書き綴ったものです。それでも、集合的な学知の「素材」くらいにはなると思って書いています。
学者の野心は「最後の、決定版の研究論文」を書くことだと僕は思いません。その人がその論文を書いたせいで、もう誰もその論件については語らなくなった・・・というようなものを書くことが学者の栄光であると僕は思いません。むしろ、その人がその論文を書いたせいで、「われもわれも」とその論件について語り出す人が出て来た・・・ということの方を学者は喜ぶべきではないでしょうか。
残念ながら、僕のような学問理解をする人は、日本のアカデミアでは例外的少数です。学術研究が集団の営為であり、すべての研究者たちは、過去の人たちも、これから生まれてくる人たちも含めて「研究者集団」という多細胞生物をかたちづくっていて、自分はそのうちの一細胞なのだという考え方は、あまり一般的ではありません。
朴先生からのご質問は「内田が学者として創り上げてきた学知は何か?」というものでした。僕の答えは「そのようなものはありません」です。
僕は「学知というのは集合的なものだ」というふうに考えています。僕はその集合的な学知の素材に使ってもらえるかもしれない断片をレヴィナスについて、カミュについて、あるいは武道について、映画について、手作りしてきました。これからも僕は自分の「煉瓦」を手作りしてゆくつもりです。それが後世の誰かに拾われて、「あれ、この煉瓦はこの建物の材料に仕えるかもしれないぞ」と思ってもらえるなら、それにまさる喜びはありません。
(2024-01-28 11:37)