韓国では、内田先生は「リベラル知識人」として広く知られています。実際に多くのマスコミでは、内田先生のことを「リベラル知識人」として紹介されています。
しかし、およそ十年以上先生のほとんどのご著作を読みふけるだけでなく、新聞・雑誌・Webメディアなどの媒体に寄稿された文章を読んだり、先生が出演されているラジオ番組などを聴いている者としては、内田先生のことを「リベラル知識人」として簡単に決めつけてしまうのはちょっと違うのではないかと思われます。
たとえば、先生の「教育論」などを読んでいると、 「学校教育は惰性の強い制度であり、社会の変化に即応すべきではない。変化しないことこそが教育の社会的機能なのである」というフレーズをよく目にいたします。こういう先生の「教育」についての知見は明らかに「保守的な」考え方ですよね。
そうしているうちに先日、 中島岳志さんが書いた『「リベラル保守」宣言』という本を拝読しました。この本を読んでいるうちに内田先生はもうしかしたら「リベラル保守知識人」ではないかという気がしてきました。ということは、この本で、「リベラル保守」は人間の生き物としての訴えに配慮するだけではなく、「歴史的に蓄積されてきた社会的経験知」と「慣習や社会制度を媒介として伝えられてきた歴史の『潜在的英知』」(33頁)にも耳を傾けるという知見に出会ったからです。
でも、そう思うと否やこの間「隣町珈琲」で行われた漫画家の安彦良和さんとの対談をリモートで観させていただきましたら、先生は「おれは、日本列島から出たくないし、日本の食べ物を食べないと生きている気がしないし、普段から自分のことを『天皇主義者』だと名乗っているし、『 権藤成卿論 』も最近書いているから明らかに右翼です」と、言われました。
この話を拝聴して驚かされると同時にちょっと混沌としてしまいました。
「おとな」は、システムにとっての最適選択をするために「私」を決して固定化しないというのは、内田先生の普段の知見だとは思っていたのですが、それにしても正直びっくりせざるをえなかったのです。
もしかして、これは「君子豹変す」ということでしょうか
現代の多くの韓国人(日本人もそうだと思いますが)は「リベラル」や「保守」そして「右翼」や「左翼」などについて本当はよくわかっていないのではないかという気がしてなりません。韓国や日本のテレビなど観ていると、多くの人が政治の世界をいつも「保守vsリベラル」の戦いだと思い込んでいるようです。
この機会に、内田先生が考えていらっしゃる「リベラル」や「保守」や「リベラル保守」そして「右翼」などの定義を韓国の読者に届けていただければ幸いです。
こんにちは。今回もなかなか日本では向けられない質問ですね。果たして私は政治的に何者であるのか。
実はそれは僕自身にもよくわからないのです。
ご存知の通り「右翼左翼」というのはフランス革命のときの憲法制定国民議会における議席配置に由来します。旧秩序の維持を支持する人たちが議長席から見て右側の席に、体制革新をめざす人たちが左側の席を占めたところから始まった用語です。以後、そのつどの体制について現状維持派が右翼、現状革新派が左翼と呼ばれました。
そして、当然ながら時代ごとに「現状」や「体制」は変わりますので、それを維持する人、刷新したいと思う人の頭の中味も変わります。つまり、「左翼」や「右翼」という分類はある特定の社会についてしか分類指標として機能しないということです。
20世紀の初めに、因習的な左翼・右翼の区分を否定する動きがありました。「極右」と「極左」の同盟という政治的な動きです。フランスのセルクル・プルードン(Cercle Proudhon)が代表的なものですけれども、政治的立場がどうであれ、「戦うもの/戦わないもの」の間に本質的な対立があるという新しい政治思想です。もともとの政治思想が右翼であれ左翼であれ、ほんとうに愛国者であれば、国力の増大・国運の興隆・国民の幸福をめざすはずである。その目的が同じなら、それを実現するための組織や運動をどのような政治的思想によって基礎づけようと、それは各自ご自由に、という考え方です。
実際に、1920~30年代の大戦間期にフランスでは、極右王党派と共産党から飛び出した過激派左翼の「同盟」が実現しました。どちらも既成の右翼・左翼からの「分派(dissident)」者たちです。集団が活性化するためには「分派が必要だ」と、当時王党派からの分派であったモーリス・ブランショは熱く語っておりました。
ご存知の通り、僕はブランショの文学理論について修士論文を書きました。でも、その政治思想にもずっと興味を持っていました。そして、彼の主張する「分派」主義にも深い共感を覚えました。それはそのまま彼の文学理論と同型的なものであり、人間の本質についての洞見のように思えたからです。
ですから、僕の政治的立場をもし一言で述べよと言われたら、僕は「分派」であると答えたいと思います。
僕はマルクスについてずいぶんたくさん書いてきました。ですから、僕のことをマルクス主義者だと思っている人も多いと思います。
『若者よマルクスを読もう』は全5巻のシリーズで、『共産党宣言』から『資本論』までを解読して、若い読者に「ぜひマルクスを読んでください」と懇請するという趣旨のものです。この本の共著者の石川康宏さんは正統的なマルクス主義者で、日本共産党のブレーンの一人です。
でも、僕はマルクス主義者(Marxiste)ではありません。マルクスの思想や考え方や修辞には深い敬意を抱いていますけれども、マルクス主義者ではありません。かつて僕の師のエマニュエル・レヴィナスは「マルクスの思想をマルクスの用語で語るのがマルクシスト(Marxiste)であり、マルクスの思想を自分の言葉で語るのはマルクシアン(Marxien)である」という独特の定義を下したことがあります。その定義に従うなら、僕はマルクシアンです。マルクス主義者たちの「正統」からすれば、「異端」であり、「分派」とみなされるでしょう。
僕は日本を代表する右翼の論客である亡き鈴木邦男さんに親しくして頂いて、対談本も二冊出しています。ここ数年ほどは『月刊日本』という右翼の雑誌にもよく寄稿しています。でも、僕を「右翼」と認定する人は日本の既成右翼にはたぶん一人もいないと思います。
それは、僕が天皇制と立憲デモクラシーという「氷炭相容れざる」統治原理が葛藤していることが日本人が政治的成熟を遂げるためには必要な歴史的条件であると考えているからです。
その理路は『街場の天皇論』でも詳述しました。それでも、僕と同意見の人は左翼にも右翼にもたぶん全くいないと思います。
左翼は天皇制は「原理的に言えば、廃止すべきもの」だと考えていますし、右翼は立憲デモクラシーを「原理的に言えば、廃止すべきもの」だと考えています。僕はその両方のどちらにも与しません。僕は「原理的に考える」ことそのものに反対しているからです。
歴史的条件として天皇制と立憲デモクラシーが与えられている以上、「与えられた歴史的環境の中で最高のパフォーマンスを達成するためには、どうすればいいか」を考える。僕はそういうプラグマティックな立場です。「天皇制と立憲デモクラシーを共生させる」というのは特殊日本的な政治課題であって、日本人に代わって「こうすればいいよ」という解を与えてくれる人は世界のどこにもいません。だったら、日本人が考えるしかない。でも、左翼も右翼も、誰もこの「特殊日本的な政治課題」について真剣に取り組む気がないらしい。だったら、僕がやるしかないか。というのが僕の考えです。
天皇制をたいせつに思う人たちの顔も立て、立憲デモクラシーをたいせつに思う人たちの気持ちにも配慮して、なんとか落としどころを探る。
別にそれほど難しい話ではないと思います。これまでアメリカ論で繰り返し書いてきましたが、アメリカという国は「自由」と「平等」という二つの対立する統治原理の葛藤の中で250年を過ごしてきました。建国のときから現在までずっとそうです。フェデラリスト(連邦政府への集権論)とアンチ・フェデラリスト(州政府への分権論)の対立から始まって、南北戦争を経由して、現在の民主・共和両党の対立に至るまで、対立の構造はいつも同じです。自由か平等か、です。
市民的自由をいっさい制約しないという道を選べば、強者が総取りし、弱者は野垂れ死にをする無慈悲な競争社会になる。社会的格差はひたすら拡大し、社会的流動性は失われ、国力は衰微する。
平等を選べば、公権力が市民の私有財産の一部を取り上げ、生き方にもあれこれ干渉してきます。平等達成のために同質的な生き方が強いられ、才能のある人間も、独創的な人間も、居場所がなくなり、国力は衰微する。
だから、どちらか一方を選ぶことはできません。「自由か平等か」という二者択一ではなく、「自由も平等も」という困難な共生の道を選ぶしかない。でも、この困難な課題を引き受けて来たせいで、アメリカはその国力を伸長させ、ついには世界一の超覇権国家になることができた。いまアメリカが衰運にあるのは、多くの市民がこの困難な課題を引き受けるだけの市民的成熟を放棄しつつあるからだと僕は思っています。いまアメリカが国民的に分断されているというのは、多数の人が二つの原理のどちらかにしがみつくようになったということだと思います。二つの原理のどちらをも成り立たせる方途を探ろうとする人がいなくなった。この状態が続けば、遠からずアメリカは国力が衰微して、グローバルリーダーの地位から転落するでしょう。
僕は日本人は「天皇制」と「立憲デモクラシー」という二つの統治原理の葛藤を生きるべきだと考えています。ですから、「天皇制」単一原理の人から見れば、僕は(自分たちの仲間ではないから)「左翼」に見えるし、「立憲デモクラシー」単一原理の人からは(やはり自分たちの仲間ではないから)「右翼」に見えるはずです。
僕について政治的なレッテル貼りをする人たちは、別に僕の政治的立場を説明しているわけではなく、自分たちが居着いている政治的立場が何であるかを告白しているだけです。
僕は「右翼」と呼ばれても、「左翼」と呼ばれても、どちらでも構いません。それぞれの固定的な立場からはそう見えるんですから、仕方がありません。文句を言っても仕方がない。
安彦さんとの対談で僕が「右翼です」と言ったのは、あれは挑発的な意図で申し上げたのです。僕は天皇制支持の立場ですし、武道で生計を立てていますし、禊祓いや滝行が大好きで、毎朝道場で神道の祝詞を唱えていますし、極右の思想家権藤成卿についての論文を書いています。ですから、左翼から見たら「完全な右翼」のはずです。
でも、「完全な右翼」のはずなのに、マルクスを絶賛する本を書いているし、日本共産党の選挙運動を支援しているし、相互支援相互扶助共同体の再生というアナーキズムの実践をしています。そんな「右翼」は日本には一人もいません。
僕は「右翼」とか「左翼」とかいう固定的な政治原理に「居着く」ことそのものに抵抗しているのです。それが「分派」者の意地です。
分派者というのは「僕は左翼でも右翼でもないよ」ということではありません。勘違いしないでくださいね。その逆です。「僕は同時に左翼であり、かつ右翼である」ということです。「僕は同時に天皇主義者であり、立憲デモクラシー主義者である」ということです。複雑だし、困難な政治的課題ですけれども、僕は日本人が政治的に成熟するための道はこれしかないと思っています。
韓国の読者にはなかなかわかりにくい話だと思いますので、また機会があれば、もう少し詳しくお話してみたいと思います。
(2024-01-14 10:41)