春日武彦『鬱屈精神科医、占いにすがる』解説

2022-12-29 jeudi

 春日先生がこんなに深い屈託を抱えている方だとは知らなかった。いつもにこにこ笑っている「上機嫌な人」とばかり思っていた。十数年前に最初に対談をしてからこれまで春日先生とお会いした全場面を思い出しても、笑顔しか記憶にない。人というのはわからないものである。
 でも、春日先生は、それだけの屈託を抱えていながら、精神科医としてのプロの仕事を果たし、いくつもの著作を世に問い、僕の友人の平川克美君に言わせると「傑出した現代詩人」でもある。常人ではない。
 でも、こんなにすごい人でも「不安感や不全感や迷い―そういった黒々として不透明なもの」が心の中に広がってくると「耐え難い気分になる」というのである。どうして、そんなことになるのか、正直、僕にはよくわからない。
「いや、春日先生の気持ちはよくわかる」という読者も多いと思う。この本を読んで「自分とすごく似ている」と感じて、それによって心の救いを得た読者は少なくないと思う。そういう人たちには以下の僕の「解説」は不要である。自分の好きな作家については、訳知り顔の「解説」なんか僕は読まない。
 以下の解説(らしきもの)を僕は春日先生に読んで欲しくて書いている。
 どうして春日先生は「耐え難い気分」にとりつかれ、僕はとりつかれないのか。その理由がよくわからない。それをできれば少しでも言葉にしたい。解説を奇貨として、「なぜ僕は耐え難い気分にならないのか」について書いて、春日先生に僕の「症状」について診断を下して欲しいと思う。

 もちろん、僕も生身の人間だから体調不良が続いたり、人から罵倒されたりすると、暗い気持ちにはなることもある。でも、あまり長くは続かない。精神科で診療してもらうまで「暗い気分」をこじらせたことはこれまで二回しかない。占い師のところに行って「何か悪霊が憑いてませんか?」とすがりついたことは一回しかない。
 どちらもそれほど深刻なことにはならなかった。精神科医は「仕事を休みなさい」と言って睡眠薬と抗うつ剤を処方してくれた。占い師は「あなたには強力な背後霊がついているから、心配ない」と保証してくれた。それで治った。
 どうして春日先生は「耐え難い気分」に取り憑かれて、治らないのか。
 僕の仮説は、それは人間の「深さ」と相関するのではないかということである。僕が「耐え難い気分」から免れているのはおそらく僕の「人間としての底の浅さ」の効果である。それについて少し自己分析してみたいと思う。
 
 僕は底の浅い人間である。少なからぬ人が僕の人間や作品を評して「わかりやすいが、底が浅い」と切って捨てていると思うけれど、これについて僕は反論しない。その指摘が正しいことは本人が一番よく知っている。
 ずいぶん昔になるけれど、大学時代にクラスメートからしみじみとため息まじりに「内田って、ほんとうに嫌な奴だな」と言われたことがある。そう言ったのは温厚で、めったなことでは人の悪口を言わない友人だった。彼は100パーセント正直に心に思ったことを口にしたのである。僕がショックを受けたのは、その時の彼の評言に「憐み」のニュアンスが含まれていたことである。
 僕は自分が「嫌な奴」であることは知っていた。十代の終わりくらいから、あえてそのようにふるまっていたのだから当然である。大学のクラスには「反内田グループ」というものが組織されていて、定期的に集まって僕の悪口で盛り上がっていたくらいである。
 でも、「内田ってほんとうに嫌な奴だな」とつぶやいた彼の表情には、表から見ても「嫌な奴」、裏から見ても「嫌な奴」、余白というか、余情というか、深みも味わいもまったくない「つるつるの嫌な奴」を前にしたときの憐み(を通り越して悲しみ)の情が表れていた。
 それに胸を衝かれた。これは何とかしなければならないかも知れないと思った。そして、それから少ししてから自己陶冶のために武道の道場に通うようになった。
 さいわいとても立派な師匠に出会うことができたので、熱心に稽古に励んだ。そのまま半世紀にわたって稽古を続けて、気がついたら武道の専門家になって、道場で弟子を教えるようになっていた。
 この「反省して、ただちに自己陶冶を始める」というあたりがどうやら人間としての「浅さ」の表れのように思う。友人に憐みの眼で見られたら、ふつうはやけ酒を飲んで暴れるとか、あてのない旅に出るとか、そういう自己破壊的な迂回をしたりするはずだが、僕はそういうことがなかった。「嫌な奴だ」と言われたので、反省して、「真人間」になろうとした。迷いというか、葛藤というか、そういう「ため」がない。
 それから十年ほど経った頃に合気道の道友から、ある日かなり怒りを含んだ声で「内田さんて、自分の卑しいところとか、醜いところとかを、どうして隠すんですか」と詰問されたことがある。「さらけ出せばいいじゃないですか。誰だってさらけ出しているんだから」と詰め寄られた。「偽善者」とまで言われた。
 僕だって、別にことさらにいい人ぶっていたわけではない。ただ、「嫌な奴」からの脱出の修行中だったので、暴力性とか攻撃性とか嫉妬とか憎悪とか、そういうネガティブな感情をできるだけ解発しないように心がけていた。古い言葉で言えば「紳士たらん」としていたのである。それを「偽善者」と言われては立つ瀬がない。
 でも、僕を責めた彼には「紳士たらん」として自己形成の努力をする人間というものがこの世に存在することが信じられないようだった。彼の眼には「人間ではないもの」を見ている生理的嫌悪に近いものがあった。人間というのはある種の「浅さ」や「薄さ」に対してつよい嫌悪感を抱くことがあるということをその時になってようやく理解した。

 ずいぶんと人間の質は違うけれども、僕と春日先生は育ってきた条件がそれほど違うわけではない。いくつか共通点がある。一つは虚弱児だったということである。春日先生は喘息だけれど、僕は6歳のときにリウマチ性心臓疾患を患って、弁膜症になり、運動することができなくなった。中学生までは激しい運動を禁じられていた。だから、運動会にも出たことがないし、もちろん逆上がりもできない。
 そういう人間が、自己陶冶のためとはいえ、いきなり武道の道場に入門したのである。頭がおかしい。ためらいとか、葛藤とかを抜きに、直角的に生き方を変えることができる性格は、春日先生だったら精神の病だと診断してくれると思う。本書には人格障害の分類がいくつか紹介してあるけれど、僕は「軽佻者」という文字列に強く反応した。
 もう一つ春日先生と僕には共通点がある。それは「鳥なき里の蝙蝠」ということである。僕には「これが私の専門です」という分野がない。文学を論じ、哲学を論じ、政治を論じ、教育を論じ、武道を論じ、能楽を論じてきたけれど、専門家になるための体系的な訓練を受けたことがあるのは文学研究と武道だけで、それ以外の領域では、その場で思いついたことをしゃべっているだけである。だから、どの分野でも、「その道一筋」の専門家からは嫌われる。でも、止められない。興味がわくと、それについて猛然と語りたくなる。道行く人の袖を引いて「話を聴いてください」と懇請するようになる。知的節度の問題ではなく、病気である。たぶん僕は春日先生と「同じ病」に罹患しているのだと思うけれども、二人ともそれで困っているわけではなさそうである。

 僕は自分のことをかなり「病んでいる」と思う。「浅さ・薄さ」という自己防衛の「檻」のようなものを自分で手作りして、そこに安住している。健全な人間のすることではない。でも、この「檻」に閉じこもることは、たしかに僕にある種の疾病利得をもたらしていると思う。それは春日先生を苛んでいるような慢性的な「耐え難い気分」を味わうことがないということである。
 僕はある時期から自分を「浅くて薄い人間だ」と思いなし、そのようにふるまうことにした。今もし「内田さんにとって最も深刻な内的な問題は何ですか?」と問われたら「浅くて薄っぺらな人間であること」と答える。正直な答えだ。僕が浅い人間だということは誰もが知っているまぎれない事実である。そして、「浅い人間」に向かっては誰も「どうしてあなたはそんなに浅い人間になったのか?」と問うことができない。まさにそのような問いを免ぜられた人間のことを「浅い人間」と呼ぶからである。手の込んだ病み方である。
 春日先生はご自分のことを「境界性パーソナリティ障害と健常者が接するあたりに位置する人間」だと自己診断されていた。僕も何かの障害と健常者の「あわい」を遊弋している人間だと思う。
 本を読んでいるうちにものすごく春日先生にお会いしたくなった。先生が僕をどういう狂気に分類してくれるのか、それが知りたい。このままでいいのか、何らかの治療を要するのか、それも教えて欲しいと思う。
(2022年6月15日)
追記:そう書いてしばらくしてから春日先生と平川君と隣町珈琲で「どうして人はものを書くのか」というテーマで鼎談をする機会に恵まれた。二人の文学的葛藤の深さを耳にして、改めて自分がかつて一度も「文学少年」にも「文学青年」にもなったことがなく、詩人になろうと思ったことも、作家になろうと思ったこともなく、詩人や作家にあこがれたことも嫉妬したこともない「物書き」だということを教えてもらった。やはり病気だと思った。