倉吉の汽水空港でこんな話をした。

2021-02-08 lundi

2021年1月17日に倉吉の汽水空港という不思議な名前の書店に招かれて、お話と質疑応答をした。私の講演部分だけ採録。

 ここ汽水空港がこの地域の文化的な発信拠点となっているようですが、同じようなことが今日本各地で起こっています。共通項は、壁に本棚、コーヒーが飲める木造のスペースということでしょうか。新しい時代のモデルというのはイデオロギーとか理念とかではなく、実はイメージなんじゃないかと思います。手触りとか、匂いとか、そういうものにリアリティがあれば、イメージは浸透力を持ち現実変成力がある。
 何かトレンドが起きるときは、イメージが先行するんです。大学にポストを得て初めて授業をした日、僕はツイードのジャケットにダンガリーのシャツ、黒いニットタイにボストンの眼鏡といういでたちで教壇に立ちました。授業の後に学生から「そんなに着込んで暑くないですか?」と訊かれて、四月中ごろにどうしてオレはこんな格好しているのか考えました。そして、それが『失われた聖櫃(アーク)』でインディ・ジョーンズ博士が冒険の旅の後、大学でつまらなそうな顔をした女子学生の前で考古学の授業をしているときのスタイルだったことに気がつきました。映画を観て「ああいう恰好をして授業をしたい」とつよく念じたせいで、僕は大学の教師になった。イメージに引きずられて職業を選んでしまったのです。イメージにはそういう現実変成力がある。
 汽水空港の森くんは2011年の震災のときに千葉からひたすら西へ向かって逃れてきて、鳥取で足が止まって、そこでとにかく書店を始めたいと思ったそうです。僕の年若い友人である青木真兵・海青子ご夫婦が奈良県の東吉野村に移住して運営している私設図書館「ルチャ・リブロ」も、僕の友人の平川克美くんが東京でやっている「隣町珈琲」も汽水空港とイメージが似ています。壁一面の本棚、木の床、珈琲の香り。凱風館の2階も同じ構造です。壁一面の本棚と木の床。そこが公共の場になっている。書物というのは私有財産ではなくて、公共財です。書物は読んでも減らないし、モノとして独占しても意味がない。だから、書物を中核とする空間というのは、本質的に開かれたものになる。
 公共性をもつ施設として、図書館の他に、神社仏閣、教会、道場などがあります。そういう施設は基本的につねに訪れる人に対して扉が開いている。中に足を踏み入れるには条件は一つしかありません。それは場に対する敬意です。その開かれた場に対する敬意を持っている人であれば、誰でも受け入れる。
 例えば、うちの道場には神棚があります。神棚は外部に通じる「回路」です。異界への扉です。公共性というのは、単にいまこの現実を共有している人たちに対して開かれているというだけではなく、いまとは違う時間、こことは違う場所と繋がる回路があるということでもあります。
 汽水空港やルチャ・リブロや隣町珈琲に共通するのは「開かれた公共的な空間」に対する渇望ではないかと思います。空間がすべて私有化され、他者の立ち入りを許さない「パーソナル・スペース」に分断された社会に暮らすことの息苦しさに対して、もっと風通しのいい空間で暮らしたいという思いが強まってきた。そのことの表れではないかと思います。
 共有地のことを英語では「コモン(common)」と言います。中世から19世紀まで英国の田舎にはどこにでもあった村落共同体の共有地のことです。人々はそこで家畜を放牧し、釣りをし、狩りをし、果実やきのこを採取することができた。フランスには「コミューン(commune)」、イタリアには「コムーネ(comune)」と呼ばれる基礎共同体がありますけれど、発生的には同じものです。共通の土地、宗教、言語、生活文化を共有する共同体です。公共を共同的に管理することのできる共同体の再構築のための作業がいま世界的な規模で始まっています。それは言い換えると、「私たち」という一人称複数形がしっかりとしたリアリティと手応えを持つような共同体を創り上げるということです。
 白井聡、斎藤幸平といった若い人たちが相次いで「コモン」をテーマにした本を世に出しました。僕も同じ頃に『コモンの再生』という題名の本を出しました。期せずして、公共財をどうやって共同的に管理するのか、公共財を共同的に管理することのできる共同体とはどのようなものか、それはどのようにして立ち上げられるのか、ということが緊急性の高い問いとして前景化してきた。
 持続可能な共同体というのは、私的利害を基準にしては成り立ちません。自分はこれだけの財やサービスを共同体に供出したのだから、それに見合うだけの「リターン」が欲しいというような考え方をしている人たちだけではコモンは成立しない。コモンを存立させるためには、まず豊かな公共財を、「みんなが使える公共財」をしっかり確保しなければならない。だから、コモンの立ち上げにおいては「持ち出し」になります。メンバー全員が私財の一部を供出し、私権の一部を断念することによってはじめて公共は立ち上がる。だから、自分が供出した分より多くを公共財から取り出そうとする人たちがいたら当然ですけれども、自分が出した分だけきっちり回収しようとする人たちが過半を占めるようではコモンは成り立ちません。
 70年生きてきて、世の中の移り変わりを見てきた立場から言うと、1950年代の東京の市井の暮らしにはまだ共同性がありました。家庭間での行き来があったし、小津映画によく出てくるようにおかずや調味料の貸し借りも日常のことでした。防犯、防災、公衆衛生も地域社会の仕事でした。行政がまだ十分には機能していなかったから、地域の安全のためにパトロールするのも、どぶさらいするのも、自分たちの生活を守るためには当然のことでした。それが僕が中学生だったころ、東京五輪の頃から大きく変化しました。そういうゆるい共同体がなくなった。最初にブロック塀が出来て、家と家の境界線が明確化されました。よその家に遊びに行くのも間遠になった。急激な経済成長のせいで貧富の差が生じたせいです。電化製品や自家用車のある家とない家の差が出て来ると、他人の目から自分たちの「パーソナル・スペース」を隠そうとするようになった。嫉妬のまなざしを避けようとした。そうやって日本が豊かになるにつれて地域社会はあっけなく解体してゆきました。こんなに簡単に地域の共同性というのは壊れるものかと僕は驚きました。
 そのあと、80年代には地域社会に続いて家族も解体することになりました。村上龍と糸井重里という時代を代表する人たちがそれぞれ『最後の家族』『家族解散』というタイトルの小説を出して、家族という制度はもう賞味期限が切れたのだと宣告した。もう誰かと空間や生活習慣を共有する必要はないのだ、と。自分の好きな部屋に、自分の好きな家具を並べて、好きな音楽を聴いて、好きな時間に寝て好きな時間に起きて、好きなものを食べて暮らすのが幸福なのだということがあらゆるメディアから喧伝された。
 家族解散は消費活動を加速させました。それまで家族が「コモン」として共有し、使い回してきたすべての財が私物化された。4人家族が一軒の家に住んでいたのが4つの不動産物件が必要になり、冷蔵庫も、洗濯機も、テレビも、みんな人数分要るようになった。市場の「ビッグバン」が到来した。「これはオレのものだ。誰も触るな」という共有を拒否するマインドそのものがGDPを押し上げて、高度成長の推力になった。誰とも何も共有しない、誰とも折り合いをつけないで「自分らしさ」を追求する「あらゆるものの私有化」が資本主義においては「絶対善」だとみなされた。その結果が今です。
 バブルが崩壊してから、そろそろ30年。それからの日本はひたすら貧しくなってきているのですが、「誰とも財を分かち合わない」というマインドだけは変わっていない。コモンというのはひとりひとりの生活を豊かにするための公共財でした。でも、いまはもうすべてに所有者のラベルが貼ってあって、みんなが利用できるコモンはない。
 僕が子どもの頃の日本は「共和的な貧しさ」のうちにありました。貧しかったけれども、みんなが多くのものを共有していた。要るものはみんなで使い回し、順番によその家の子どもの面倒を見た。日本はいま再び貧しくなってきました。だから、あの頃のように財やサービスを公共の場に供託して、それを必要とする者が使うという仕組みをもう一度立て直すときがきたと僕は思います。
 そういう時代の変化を主導してゆくのは言葉や理念ではなくて、もっと漠然とした、もっと具体的なイメージです。そのイメージを共有する人たちが、同時多発的になにごとかを始める。それが結果的に大きなトレンドを形成するということを最初に申し上げました。そして、いま始まりつつある新しい「コモン」は書物が中心になるのではないかとも申し上げました。
 青木真兵君たちが始めて、僕も加わっている「山學院」という活動があります。一昨年、その集まりが東吉野であったときに、「ひとり書店」「ひとり出版社」をしているという人が何人か参加されていました。漁村で「ひとり書店」を開いているという方の話をうかがいました。自分の街に本屋が一軒もないのが寂しいので、自分で開いたというのです。平日は別の仕事をしていて週末だけ書店を開ける。本好きの人が来るので、おしゃべりをする。
 瀬戸内の人口わずか150人の島に私設図書館を開いた方の話も聞きました。それがきっかけになったその後その島に若い移住者が相次いで、人口がV字回復しているそうです。   
 どこでも共通するのは書物が中心になっていることです。書物をたいせつに思い、それをみんなと共有しようという意志が共通している。書物というのは外部への回路です。書物は読者を「いまではない時代」「ここではない場所」に連れてゆく力を持っています。ですから、極端な話本が一冊そこにあるだけで閉じられた空間に風穴があいて、そこから涼風が吹き込んでくるということが起こる。その風の匂いを感じ取った人たちが、書物の周りに、書物に吸い寄せられるようして集まってくる。21世紀のコモンの再生のそれは一つのきっかけになると思います。
 外部に通じる回路が開いている場所には独特の活気があります。わかる人にはわかる。僕が定点観測している山形県の鶴岡は羽黒山伏が地域のさまざまな活動の中心にいます。僕はそこの星野さんという山伏のお招きで毎年伺っているのですが、集まってきている若い人に「なぜここに?」と訊くと、「なんとなく面白そうな感じがした」というのです。何か新しいことが始まっている場所には独特の匂いがする。それを感知した人が集まってくる。
 僕が勤めていた神戸女学院は明治のはじめにアメリカから来た2人の女性宣教師が開学した学校です。キリシタン禁令が解除された直後に神戸に着いたこの二人の若い女性が開いた私塾に7人の新入生が来ました。この7人はいったい何を感じ取ったのか? 「ネイティヴから英語が学べると就職に有利だ」とか、そういう時代ではありません。二人の女性宣教師が教えたことは、キリスト教学も英語も世界史も明治初年の日本社会において特段「市場のニーズ」のないものでした。でも、そういうことを教える塾を開いたら、「あそこで勉強したい」という子どもたちが集って来た。この子どもたちはきっと「なんだかわからないけれども、あそこには他の場所とは違う空気が流れている」ということを感じ取ったのだと思います。明治の日本社会の他のどこにもないような「異界に通じる回路」を感じたのだと思います。
 これから日本のあちこちに新しい「コモン」が生まれてゆくと思います。そのときに核になるものの一つは書物になるだろうと思います。書物は私有になじまない財であり、それゆえ新しいコモンの基礎となることができる。書物を通じて僕たちは遠い国の、遠い時代の人たちとしばらくの間時間を過ごす。書物を介して死者たちと出会い、死者たちの生やその感情を想像的に追体験する。死者たちとのつながり、それがあらゆる共同体の骨格をかたちづくります。ヨーロッパのコモンやコミューンはそういうものでした。先人から贈られたさまざまな財や知恵や技術を受け取り、次世代に「パス」してゆくことをミッションとして引き受ける人たちによって共同体は基礎づけられます。21世紀の日本でも事情は同じだと思います。それが地方の拠点を形成してゆくことになると思います。