アメリカ大統領選を総括する

2020-12-30 mercredi

ある媒体にインタビューを受けて、アメリカ大統領選について総括的なコメントをした。少し言い足りないところがあったので、それを追加して、前半だけ採録しておく。

 当選確定後、バイデンは自分に投票しなかったトランプ支持者にもひとしく配慮すると約束しました。トランプに投票した人は7380万人。浮動票を除いてもトランプのコアな支持者が今もアメリカ国内には数千万人いるということです。バイデンは彼らの立場や要求にも配慮しながら統治を進めなければいけない。困難な仕事になると思います。
 それはアメリカ社会はどのようなものであるべきかについて、その「アイディア」によって現在の国民的分断がもたらされているからです。僕はそれを「自由」と「平等」のどちらをアメリカの本質的な理念に掲げるか、その選択の違いによるものではないかと考えています。それについて少し説明します。
 まず第一に確認して欲しいことは、そもそもアメリカの建国理念が最も重んじたのは市民の自由であって、市民の平等ではなかったということです。
 独立宣言には「すべての人間は平等に創造され、創造主によって生命、自由、幸福追求の権利など奪うことのできない権利を付与されている」と書かれています。よく読むとわかりますが、平等であることは自然権には含まれていません。つまり、合衆国の公権力は「生命、自由、幸福追求の権利」については国民にこれを保証しなければならないけれども、平等の実現は必ずしも政府の仕事とは考えられていないということです。
 ですから、1787年制定の年合衆国憲法も、その修正条項(いわゆる「権利章典」)にも、「自由を保障する」ことは繰り返し確認されていますけれど、「平等を達成する」という文言はどこにもありません。
 それは自由の獲得は「人間の仕事」であるけれど、平等の達成は「神さまの仕事」であると考えられているからです。人間たちは創造主によってすべて平等に創造された。それからあとひとりひとりが自由に生き、それぞれに創意工夫を凝らして、競争し、その結果として社会的格差が生じたのだとしたら、それは少しも悪いものではない。
 アメリカ社会においては、「社会的なフェアネス」とは、あくまで個人の市民的自由の行使を妨げないことであって、全体の平等を実現することではありません。統治理念でありながら、自由と平等では、その位置づけがまったく違うこと、人間たちにとっての優先順位がまったく違うこと、そのことを踏まえておかないと、アメリカで今起きている国民的分断の理由が理解できないと思います。というのは、アメリカにおける国民的分断はつねに「自由」と「平等」のどちらを優先させるかというきわめて原理的な対立スキームの中で起きて来たからです。
 独立宣言が発布されてから奴隷解放令まで80年以上かかりました。公民権法の制定まではさらに100年かかった。それでも人種差別はなくなっていません。今もブラック・ライブズ・マター運動が平等の実現を訴えている。建国以来250経っても市民的平等が実現していないということは、平等の実現はアメリカ建国の目標ではないと考える多数の市民が存在するということを意味しています。
 平等の実現は、公権力が富裕層や権力者に対して強権的に介入して、彼らの財産や権力の一部を取り上げて、それを貧者・弱者に再分配するというかたちでしか実現しません。自由を最優先する人たちにはこれが許せないのです。自助努力を通じて獲得した資産や権力を、何が哀しくて、努力もせず、才能もない人間たちと分かち合わなければならないのか。それは建国理念がめざす市民的自由の侵害である、と。そう考える人たちは、自分たちこそアメリカの建国理念に忠実なのだと考えています。
 アメリカに公教育が導入されたときも、フランクリン・ルーズベルト大統領の「ニューディール」政策が実施されたときも、オバマ大統領のオバマケアが制定されたときも、つねに「それは社会主義だ」「非アメリカ的」だというはげしい批判が右派からなされました。公権力が介入して平等を実現することは「間違っている」と確信している人たちがアメリカにはそれだけいるのです。
 それでも、アメリカ市民たちは、今回のパンデミックで、感染症を抑制しようと望むなら全国民が等しく良質な医療を受けられる体制を整備する以外に手立てがないということは、理屈ではわかったはずです。でも、理屈ではわかっても、身体が受け付けない。
 それは、アメリカでは久しく「医療は商品」だと考えられていたからです。金のあるものは良質な医療が受けられる。金のないものは受けられない。それが「フェア」だと多くの人々は信じてきた。医療は不動産や自動車と宝石と同じような「高額の商品」である、と。それが「欲しい」という場合に、手持ちの金が足りないので、差額を税金で補填してくれと言い出したら、周りの人は怒り出すでしょう。そんなものは自分の金で買え、と。
 医療も同じように考えられている。お前が医療を受けて病気を癒し、健康な身体になった場合、医療はお前の自己利益を増大させたことになる。だったら受益者負担のルールに従って、医療が受けたければ身銭を切って手に入れろ。他人の金を当てにするんじゃない、と。
 たしかに、一般の疾病だったら、その理屈が通る。でも、感染症は違います。今回新型コロナウイルスに感染して入院した患者に、退院後1000万円が請求されたというようなニュースがありました。アメリカで医療に携わってきた友人たちに訊くと、そんなのは日常茶飯のことだそうです。アメリカには今2750万人の無保険者がいます。彼らはたとえ感染の疑いがあっても、怖くてとても診療なんか受けられない。だから、感染しても、隔離もされず、治療もされずに放置される。そのグループがいつまでも感染源として社会にとどまり続ける。
 誰でも経済的な不安なしに診療を受けられる体制を整備しない限り、感染は永遠に終わりません。アメリカが世界最高の医療テクノロジーを持ちながら、感染者数、死者数とも世界最多であるのはそのせいです。
 もちろん、ビル・ゲイツのように私財を寄付するという人はいます。でも、それはあくまでビル・ゲイツの自由意思に基づく行為であって、彼が富裕層に向かって「君たちも寄付しなさい」と命じる権利はない。再分配は公権力によってではなく、私人の慈善によってなされるべきであるというのがアメリカの常識です。たしかに、財団とか教会とかが行う慈善活動のスケールは桁外れの規模のものですけれども、それでも、平等の実現のために身銭を切るという仕事はあくまで「私事」とみなされている。

 トランプがあれほど支持された理由の一つは彼がまさに「アメリカン・ドリームの体現者」のように自己演出して、それに成功したせいだと思います。それが人々を惹きつけた。そして、よく考えればわかりますが、アメリカン・ドリームというのは、社会的平等の実現と食い合わせが悪いんです。
 あまり知られていないことですけれど、アメリカは19世紀末までは世界の社会主義運動の中心地でした。そもそもは1848年のヨーロッパ各国での市民革命に失敗した自由主義者や社会主義者たちが祖国の官憲の弾圧を逃れて、アメリカやオーストラリアに移民したことから始まります。彼らは「48年世代(forty-eighters)」と呼ばれました。他の移民と違って、その多くが高学歴で、高度専門職を持ち、そしてそれなりに金も持って移民してきた。だから、移民した先でもコミュニティを創り上げ、ただちにさまざまな事業を興して、成功した。もともとリベラルな人権派ですから、当然のようにリンカーンの奴隷解放政策を熱烈に支持しました。そして、南北戦争が始まるとその多くは義勇軍として北軍に身を投じて戦った。
 これまであちこちで書いていることですけれど、カール・マルクスがニューヨークのドイツ語誌「革命」のために『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を書いたのは、1852年のことです。それを読んだ「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」のオーナーのホレース・グリーリーがロンドンのマルクスに「ロンドン特派員」のポストをオファーしました。生活に困っていたマルクスはこのオファーに飛びついて、以後10年間にわたって400本以上の記事を書き送りました。うちいくつかは無署名で「トリビューン」の社説として掲載されました。「トリビューン」はニューヨークの人口が50万人だった当時に発行部数20万部を誇る超メジャーなメディアでした。「トリビューン」を通じて、ニューヨークの知的読者たちは南北戦争前の10年間、ほぼ10日に1本ペースでマルクスの書く政治経済の分析記事を読み続けたのです。マルクスはイギリスのインド支配、アヘン戦争、アメリカの奴隷制などについて、同時代の政治的問題について健筆を揮いました。南北戦争前の北部の政治的意見の形成にマルクスはダイレクトにかかわっていたのです。
 アメリカで最初のマルクス主義政治組織「ニューヨーク・コミュニスト・クラブ」が創建されたのは1857年です。73年には第一インターナショナルの本部がロンドンからニューヨークニューヨークに移転してきます。
 つまり、南北戦争をはさんだ30年間くらいというのは、アメリカは言論の面でも、組織や運動の面でも、世界の社会主義のセンターだったのです。もちろん、彼らの最優先の課題は「平等の実現」です。階級格差の廃絶、人種差別の廃絶、そして男女平等の実現がアメリカ社会主義のスローガンでした。このままゆくと、1880~90年代にアメリカでは世界で最も早く社会的平等が実現するかに思えました。ところがそうならならなかった。アメリカでは1870年代にぴたりと労働運動・市民運動の思想的・組織的進化が止まってしまう。「アメリカン・ドリーム」のせいです。
 1862年に、リンカーンによってホームステッド法が制定されました。国有地に5年間定住して、農業を営んだ者には160エーカーの土地が無償で与えられるという法律です。この法律のおかげで、ヨーロッパで小作農や賃金労働者だった人たちが自営農になるチャンスをめざしてアメリカに殺到しました。これによってアメリカの西部開拓は可能になったのです。
 1848年のカリフォルニア・ゴールドラッシュ以来多くの貧者が「一山当てる」ことをめざして西へ向かいました。1901年にはスピンドルトップで石油が噴き出した。アメリカの大地には無尽蔵の自然資源が埋蔵されているように見えました。チャンスに恵まれれば、極貧の労働者が一夜にして富豪になるということが実際に起きたのです。この時代を「金ぴか時代」(the Gilded Age)と呼びます。「鉄道王」とか「石油王」とか「鉄鋼王」とか「新聞王」とかが相次いで登場したのはこの頃です。昨日まで自分の隣で一緒に働いていた貧しい労働者が、おのれの才覚と幸運だけで「王」のような御殿に暮らして、贅沢の限りを尽くしている。そういう実例を見せつけられていると、「鉄鎖の他に失うべきものを持たないプロレタリア」を組織して、雇い主と戦って雇用条件を引き上げようというような「たらたらしたやり方」に耐えられないという労働者が出てきても不思議はありません。そうやって人々を夢見心地にさせた「アメリカン・ドリーム」のせいでアメリカの社会主義労働運動は、支え手を失って短期間のうちに空洞化したのでした。
 ですから、アメリカン・ドリームの体現者であるトランプが、ヨーロッパ的な社会民主主義を体現するサンダースとが不倶戴天の敵同士であるというのは、「金ぴか時代」のドラマを再演しているという意味ではまことに興味深い光景なのです。
 マルクスは『ブリュメール18日』で、人間たちはまったく新しいことをしているつもりでいるときに「過去の亡霊」を呼び出し、過去の「スローガンや衣装を借用」すると書いています。その通りだと思います。今もまたアメリカ人たちは、遠い昔に誰かが使った台詞を繰り返し、埃を払って古い衣装に手を通しているのです。