文化日報への寄稿「パンデミックとその後の世界」

2020-09-20 dimanche

韓国のメディアから「パンデミックとその後の世界」というお題で寄稿の依頼があった。これまであちこちに書いたこととそれほど違うわけではないけれども、韓国の読者が読んでもわかる話をこころがけた。

 ポスト・コロナの時代に世界はどう変わるか。この質問に答えることはそれほどむずかしくない。国際政治とか国際経済とか、話のスケールが大きいほど予測は容易である。
 おそらくグローバル資本主義はしばらく停滞するだろう、新自由主義は遠からず命脈が尽きるだろう、自国ファースト主義やナショナリズムや排外主義が蔓延するだろう、二酸化炭素の排出量が減って、環境破壊のペースは少しだけ遅れるだろう・・・程度のことはたぶん誰にでも予測がつく。システムが大きいと、それだけ惰性が強いからである。だが、それよりももう少しスケールの小さい事象になると、わずかな入力の変化で、出力が大きく変わることがあるので予測がむずかしい。それでも、変わるとしたら、どこがどう変わるのか、比較的蓋然性の高いことについて予測してみる。

 コロナ・パンデミックで私たちのシステムのどこが脆弱であるかはかなり鮮やかに可視化された。今回分かったことの一つは(あまり指摘する人がいないが)アメリカの世界戦略に大きな「穴」があったということである。
 日本で最初に大規模なクラスターが発生したのはクルーズ船だったが、米海軍の空母セオドア・ルーズベルト号も3月太平洋航行中に100人を超える感染者を出して、患者の艦外退避のために作戦行動変更に追い込まれた。ここから知れるように、艦船は感染症にきわめて弱い。同時に、軍隊という組織も、その性質上、閉鎖空間に、斉一的な行動を取る大量の人間が集住することを余儀なくされるわけであるから、感染症にきわめて弱い。つまり、「艦船」と「軍隊」は感染症に弱いのである。潜水艦は空母よりさらに感染症に弱い。乗員に許された空間の狭さと換気の悪さは空母の比ではないからである。ということは、軍事的緊張のある地域に空母を派遣して、それを母艦にして戦闘機やヘリを飛ばして制海権・制空権を抑え、潜水艦からミサイルを撃ち込むという伝統的なアメリカの海外派兵スキームがしばらくは使えなくなったということを意味している。「感染者が出て、どの艦船がいつ使用不能になるかわからない」というような条件下で作戦行動を立案実施することは難しい。米国防総省のスタッフは今ごろ頭を抱えていることだろう。それゆえ、これまでアメリカがアフガニスタンやイラクでやってきたような通常兵器による軍事行動については抑制的になるという予測が立つ。たぶんこの予測は当たると思うけれども、予測が当たった場合には「何も起こらない」ので、私の予測の当否を事後的に検証することはできない。

 狭いところに人を押し込めるのがダメ、人々が斉一的な行動を取るのがダメということになると、自動的に都市生活がダメということになる。
 都市生活というのは、要するに生活のリズムが一致し、行動が斉一的な人々が密集して暮らすということである。そういう環境が感染症の拡大にとっては最もつごうがよい。となると、私たち個人の生活レベルで「感染症に対して抑制的な生き方」はどういうものかが論理的に決まってくる。それは他の人々と生活のリズムをずらし、斉一的な行動を取らず、他の人と離れて暮らすということである。
 
 1665年にロンドン襲ったペストでは最終的に46万人のロンドン市民のうち7万5千人が死んだが、ダニエル・デフォーの『ペスト』を読むと、生き残った人たちはたしかに「他の人がいないところ」にいて「他の人がしないこと」をして難を逃れたのである。金持ちたちは流行初期に郊外の疎開先に逃げ出した。ある者は食糧を大量に買い集めて、数か月にわたって家に閉じ籠っていた。逃れる先もなく、買いだめする資力もない人は、市内で仕事を続けていくばくかの金を稼ぎ、日々市場で食べ物を調達する他になかった。そういう人たちがペストに罹って死んでいった。
 17世紀のロンドンでは「他人とニッチを変える」ためには例外的な資力が必要だったが、さいわい21世紀には、それほどの資力もコネクションも必要がない。
 日本でも韓国でも、若い世代の地方移住・地方離散が進んでいる。このトレンドはパンデミック以前から進行していたが、コロナ以後は地方移住・地方離散の動きが加速するはずである。
 農村・漁村に住み、不特定多数の人々と接触する機会があまりない生活をしていれば(満員電車に乗って通勤するとか、狭いオフィスにひしめいて働くとか、満員のライブハウスで騒ぐとか、していなければ)感染リスクはほぼゼロに抑えることができる。ふだん通りのことをしていれば、それだけで命と健康を守ることになるというのは、ストレスフリーな生き方である。
 たしかにパンデミックのせいで全社会的に経済活動が縮小し、流通が滞れば、地方の生活にも影響が出るだろう。廃業したり、倒産したりする事業体も出てくるだろう。しかし、農漁村は基本的に食料を生産しているわけであるから、何があっても「食うには困らない」。
 それに、どれほど社会活動が縮んでも、社会的インフラ(上下水道、交通網、通信網など)の管理運営、医療、教育、そして宗教生活なしに人間は生きてゆくことはできない。それらのどれかの領域において何らかの専門的な技術と知見を具えた人は、どこにいても、それを生業として生き延びることができるだろう。ぜひ、この機会に人間が共同的に生きてゆくためになくてはならない仕事のうち、自分に「何ができるか」を自問してみて欲しい。「その職務を担う人がいなければ世の中は成り立たない仕事」以外はデヴィド・グレーバーに言わせればすべて「ブルシットジョブ」である。今回のコロナはあなたの仕事が「ブルシットジョブ」かそうでないかを教えてくれたはずである。
 だから、コロナによって都市生活の脆弱性が露呈され、多くの人が「地方で暮らすこと」の可能性を検討し始めたというのは、端的によいことだったと私は思う。それは、改めて「私には何ができるのか?」「私はほんとうは何をしたかったのか?」「私を求めている人がいるとしたら、それはどこにいるのか?」といった根源的な問いを自分自身に向ける機会となるからである。どんな場合でも(たとえそれがパンデミックであっても)、根源的な問いを自分に向けるのは、よいことである。ただ、この問いに急いで答えてみせる必要はない。そんなに慌てなくてもよい。
「天職」「召命」のことを英語ではcallingとかvocationと言う。いずれも「呼ぶ」という動詞の派生語である。私たちが自分の生涯の仕事とするものは多くの場合、自己決定して選択したものではない。もののはずみで、誰かに「呼ばれて」、その場に赴き、その仕事をするようになって、気がついたら「天職」になっていたのである。それはしばしば「自分がそんな仕事をするようになるとは思ってもいなかった仕事」である。
 始まり方はだいたいいつも同じである。偶然に出合った人から「お願いです。これをしてください(頼めるのはあなたしかいないんです)」と言われるのである。先方がどういう根拠で私を選び、私にはそれが「できる」と思うに至ったのか、それはわからない。でも、こういう場合には外部評価の方が自己評価よりも客観性が高いから、それに従う。多くの人はそうやって天職に出会ってきた。
 だから、コロナによって住みにくくなった都市を去って、地方に離散しようとする人たちに向かって、「いったいお前は、そんな見知らぬ土地に行って、何をするつもりなんだ? ちゃんと計画はあるのか? どうやって生計を立てるつもりなんだ?」というような心配顔の問いを向ける人がたくさんいると思うけれども、それに対しては、正直に「わからない」と答えておけばよいと思う。なぜだかわからないけれども、田舎に住みたくなった。行き着いた先で自分が何をすることになるか、それはまだわからない。だから、とりあえずしばらくは「召命」の声に耳を澄ませて過ごすことにする、と。正直にそう答えればよいと思う。というのも、「召命の訪れを待つ」ことほど人間的な時間の過ごし方は他にないからである。
「召命」と言っても、別に聖書にあるように、雷鳴が下るとか、黒雲が空を覆うとか、柴が燃えるとか、そういう演劇的な装置の中で起きる出来事ではない。それはたいていの場合「ちょっと手を貸してくれないか?」というカジュアルな依頼文のかたちで到来してくる。「だって、することなくて暇なんだろう?」私の知る限り「天職」に首尾よく出会った人の90%はこのパターンである。
 そんなふうにして、「私はほんとうは何をしたかったのか?」と自問しつつ、「声がかかるのを待つ」人たちが国中に何万人も何十万人もいる世の中は、とても穏やかで、居心地がよいものになるような気がする。
 コロナは多くの人の命と健康を奪い、多くの人が経済的困窮で苦しんでいる。けれども、これを奇貨として、各国の軍事行動が抑制的になり、環境破壊が止まり、グローバル資本主義と新自由主義についての反省が始まり、自分自身の生き方について根源的な問いを向け、「召命」の声を求めて耳を澄ます人たちが出てくるなら、この疫病からも引き出し得るいくばくかの「よきこと」があったのだということになるだろう。