「街場の日韓論」まえがき

2020-04-25 samedi

 みなさん、こんにちは。内田樹です。今回は「日韓関係」をテーマにしてアンソロジーを編みました。その趣旨につきましては、いつものように寄稿者への「寄稿ご依頼」の文章を掲げておきたいと思います。

 みなさん、こんにちは。内田樹です。
 僕から「みなさん」宛てのメールをこれまで受け取ったことのあるかたはただちにご理解頂けたと思いますけれど、今回もまたアンソロジーへの寄稿のご依頼です。
 主題は「日韓関係」です。これがたぶんいまの日本において最も喫緊な論争的主題だと思います。この論件について、みなさんのお考えを伺いたいと思います。

 いま日韓関係は僕が知る限り過去最悪です。もっと関係が悪かった時代もあるいは過去のどこかの時点にはあったのかも知れませんけれど、僕の記憶する限りはいまが最悪です。どうして「こんなこと」になったのか。それについて僕自身は誰からも納得のゆく説明を聞いた覚えがありません。
 メディアの報道を徴する限り、ことは韓国大法院の徴用工の補償請求への判決から始まったとされています。でも、もちろんこの判決が下るに至る日韓関係の長い前史があります。日本政府は1965年に問題の始点を区切って、「そこから」話を始めて、それ以前のことは「解決済み」として考慮に入れないという立場ですが、韓国の人たちはそれでは気持ちが片づかない。
 法理上のつじつまが合うことと、感情的に気持ちが片づくということは次元の違う話です。次元の違う話をごっちゃにしたまま力押しで押しても問題は絡まるばかりです。
 日韓の関係は昨日今日始まったものではありません。二千年にわたって深い関係を持ち続けた隣国同士です。だから、これは「問題」というよりは、ひとつの「答え」なんだと僕は思います。両国ともそれぞれの固有の筋を通しているうちに身動きできなくなったというのが「答え」です。ですから、僕としては、この「答え」をせめて「問題」のところにまで押し戻したいと思っています。
 わかりにくい喩えで申し訳ないんですけれども、「もう答えが出ちゃったよ」というときに、「すみませんが、そのちょっと手前の、『答えが出せないで悩んでいる』というところまで時間を遡って頂けませんか」という要請というのはあってもいいんじゃないかと僕は思います。
 答えが出なくて悩むことのほうが、答えを出すより知的に生産的であるということは経験的にはよくあることです。同じように、当事者たちそれぞれが自信たっぷり理路整然と意見を語るときよりも、当事者たちのいずれもが自分の意見がうまくまとまらないというときの方が、対話的な環境が成り立つということもあります。
 この問題について語っている人たちの言葉を徴する限り、どんな立場からのものであれ、「快刀乱麻を断つ」タイプの言説は無効のように思えます。それはその言説をあらかじめ支持する構えでいる人たち向けのアピールではあり得ても、それに同意していない人たちの警戒心を解除する力はない。
 いまの日韓関係については、誰か賢い人に「正解を示してください」とお願いするよりも、忍耐強く、終わりなく対話を続けることのできる環境を整えることの方がむしろ優先するのではないでしょうか。クリアーカットであることを断念しても、立場を異にする人たちにも「取り付く島」を提供できるような言葉をこそ選択的に語るべきではないのか、僕はそんなふうに考えています。
 僕が寄稿を依頼するみなさんにお願いしたいのは、そういう面倒なお仕事です。
 ご厄介をおかけしますけれど、僕はどなたにも「日韓問題を解決する秘策をご提示ください」とお願いしているわけではありません。

 広く人口に膾炙したアントニオ猪木の名言に「ピンチっていうのは、ひとつのものじゃなくて、いろんなやっかいごとが『ダマ』になってやってくる。『ダマ』をひとつずつ解きほぐしていけば、ピンチは必ず乗り切れる」というものがあります。日韓関係は無数の紐が絡まって「ダマ」になった「ゴルディアスの結び目」のようなものです。アレクサンドロスはこの結び目を剣で一刀両断にして難問を解決したのですが、僕がお願いしたいのは、そうではなくて、無数の「結び目」のうちの一つだけでもいいですから、結び目の構造を明らかにし、かなうならば「ここは、こうやるとほどけるかも知れない」という知恵をご教示頂きたいということです。
 寄稿をお願いするのは、必ずしも日韓問題の専門家ではありませんが、僕がその見識に
深い敬意を抱いている方たちです。みなさんのご協力を拝してお願い申し上げます。

 以上が「寄稿のお願い」です。これだけお読み頂ければ、本書の企図がどういうものであるかはみなさんにもご理解頂けたかと思います。
 これは難問の解法を示す本ではありません。いくつかの「取り付く島」を例示することができれば、僕としてはこの本を編んだ甲斐はあったと思います。そして、実際に集まった原稿を通覧した限り、寄稿者のみなさんは、それぞれがご自身の領域において熟知されている「結び目」を、それぞれの仕方で解きほぐそうとされていました。企図をご諒察頂きましたことに、寄稿者のみなさんに編者として篤くお礼を申し上げます。

 個人的なことを申し上げますけれど、年を取ってからだんだん「答えを出す」ということに興味がなくなってきました。正否はいずれにありやと切り立て合うよりは、双方ともが「これは軽々には解けそうもない問題だ」と覚悟を決めて、渋茶でも啜りながら、小さくため息をついて、ぼんやり庭を眺めるくらいの構えから始めた方が、話が前に進むような気がするのです。困った者同士が、ぼんやり同じ庭を眺めながら、「梅が咲いてきましたねえ」「そうですなあ」とか頷き合っているくらいの方が、結果的に相互理解は深まるのではないか、と。
 困ったときには素直に困る。わからないときは「わからない」と正直に言う。うまくことが運ばないときにはしょんぼりする。その方が知力体力ともに働きがよくなるということは長く生きてきてわかったことの一つです。別に逆説でもなんでもなく、ほんとうの話です。
 ですから、僕は困ったときには「適度にしょんぼりする」ことにしています。「適度に」というところにそれなりの知恵と工夫が要るわけですけれども、とりあえず、楽観と悲観の中間くらいのところで揺曳していると、思いがけない活路が見えてきたりする。
 日韓問題は「軽々には解けそうもない問題」です。
 そういうときには、無力感に苛まれてへたり込むのもよくないし、逆に「これで一気呵成に解決」というような万能の解を探し求めるのもよくない。それより「これ、たいへんな難問です」と問題の下にアンダーラインを引いて、しばらくじっと眺めている方がおのれ自身の知的成熟に資する。そういうものだと思います。
 難問に答えが出せないのは「自分がそれほど賢くないからだ」ということを認めて、その上で、自分がその答えが出せるくらいに賢くなるまで待つ。一生かけてもそこまで賢くなることがなければ(たぶんないと思いますが)、それでいいじゃないですか。一寸でも五分でも前に這い進んで、最後に前のめりに泥の中に顔をつっこんで息絶えました・・・ということでも僕はとくに悔いはありません。なにしろ、日韓関係は2000年来の歴史があり、近代に限っても、江華島事件以来150年にわたって、もつれにもつれてきたんですから、「オレの代で決着をつける」というようなことができるはずがないし、望むべきでもない。
 僕個人としては、何人かの韓国の友人たちとのかかわりを通じて韓国を理解し、僕を通じて日本を理解してもらうというささやかな足場を手作りすること以上のことはできません。でも、それでいいと思っています。国と国のかかわりを構築するのは集団の営為です。個人にできることはわずかです。でも、その「わずか」の累積としてしか国と国のかかわりは成り立たない。
 僕は僕の煉瓦を積む。他の人たちはそれぞれその煉瓦を積む。何十年か、あるいは何百年か経つうちに、その煉瓦の重なりが壮麗な大廈高楼になっているかも知れないし、廃屋になって土に還っているかもしれない。先のことはわかりません。僕個人としては、日韓両国の間の原っぱにぽつんと建っていて、通りすがりの人が自由に出入りできる飾り気のない「あずまや」のようなものができていたら、それが一番いいような気がします。
 
 今回の論集にはぜひ韓国の方にもご寄稿願いたかったのですが、残念ながら、編者からご寄稿をお願いしたお二人ともにそれぞれのご事情で執筆がかないませんでした。小説を除くと、現代の韓国の知識人で、その著作が次々と日本語訳されているという方はいません。ですから、論争的な事案について、「あの人はこれについてどう言っているだろう?」と訊ねることのできる定点観測的な方を僕は存じ上げないのです。(「韓国の養老孟司」とか「韓国の司馬遼太郎」とか「韓国の鶴見俊輔」のような方がいて、何かあるたびにその卓見を伺うことができたら、どれほど僕の心は安らぐことでしょう)。
 その点については、自分の無力をほんとうに残念に思っています。もし、次にもう一度日韓論について編む企画があったら、そのときには韓国の言論事情にお詳しい方に編者をお願いして、人選を託してみたいと思っています。

 最後になりましたけれど、本書の企画を立て、笑顔で叱咤してくださった晶文社の安藤聡さんの雅量と寛容に、そして、改めて寄稿して下さった皆さんのご尽力に感謝申し上げます。ありがとうございました。この本が日韓の相互理解のための一石になることを願っております。
(2020年3月)